8月4日開幕

世界陸上で生まれた世界記録27

最多5個の世界記録が生まれた大会の第1号
ガネルが100mハードルを断念した場所で世界新

5種目と、最も多くの世界記録が誕生した世界陸上が、1993年のシュツットガルト大会だった。
4年毎開催から2年毎になった最初の大会で、盛り上がりが懸念されたが杞憂に終わった。前半4日間の記録的な盛り上がりは今ひとつだったが、5日目の女子400mハードルから「ワールドレコード」のアナウンスが4日間続いたのだ。

その第1号となったサリー・ガネル(英国)は、2年前の東京大会では0.05秒差でT・レドフスカヤ(ソ連)に敗れて銀メダルだった選手。翌年のバルセロナ五輪で金メダルを獲得したが、タイムが53秒23と東京世界陸上よりも悪かった。米国の陸上雑誌の実力ランキングでは、五輪銀メダルのS・F・パトリック(米国)の下に位置づけられてしまった。
シュツットガルトでは5台目の通過でパトリックに0.26秒のリードを許していた。8台目で0.02秒差まで迫ったが、9台目で0.04秒と再びリードを広げられ、最後の10台目では0.08秒差。劣勢は明らかだった。

だが、10台目を越えてからフィニッシュラインまでの40mで、息を吹き返したガネルが逆転。1・2位は東京大会と同じ0.05秒だった。2人とも従来の世界記録を上回っていただけに、勝利が重大な意味を持っていた。
「レースに集中していたので、パトリックとの勝敗はわかりませんでした。まさか金メダルと世界記録を一緒に手に入れられるとは」
ガネルにとっては、シュツットガルトが忘れられない場所になった。

ガネルは13歳で陸上競技を始め、当初は走り幅跳びを専門にしていた。17歳シーズンの1983年に七種競技をしたこともあったが、同じ年のヨーロッパ・ジュニアには100mハードルで出場。86年の英連邦大会に優勝し、その年に13秒16まで自己記録を縮めた。
ところが、同じ86年のヨーロッパ選手権で予選落ち。その敗北が、400mハードルに本気で取り組むきっかけになったが、ヨーロッパ選手権の開催地が他ならぬシュツットガルトだったのだ。10台目を超えてからの奇跡的な逆転を可能にしたのは、7年分の思いだったのか、100mハードルで培ったスプリント力だったのか。

前年のバルセロナ五輪では、ウイニングランの途中で両親の祝福を受けたガネル。シュツットガルトでは、前年10月に結婚した夫の抱擁を受けていた。

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