8月4日開幕

世界陸上で生まれた世界記録27

“ルイス抜き”の米国世界記録は16年ぶり
ボルト出現まで更新されなかったハイレベルの記録

予想外の世界記録、と言えるだろう。
第1回世界陸上の37秒86から92年バルセロナ五輪の37秒40まで、米国チームの世界記録はすべてカール・ルイス(米国)がアンカーを走ってきた。そのルイスが4×100mリレーは走らないと、大会前から表明していた。すでに32歳。後進に道を譲った形だが、シュツットガルト大会でもルイスは100m4位、200m銅メダルと健在だった。

実際、大会7日目午前に行われた予選は38秒12で、決して悪いタイムではなかったが、世界記録まで予感させる数字ではなかった。3走にはルイスと同じ32歳、C・スミスを起用していた。200mの1、2回大会連続金メダリストだが、力の衰えは隠せなかった。

しかし、3走をスミスからデニス・ミッチェルに変えた同日午後の準決勝は、4走のリロイ・バレルが気がついたら2位以下に5m以上の大差をつけていた。タイムは37秒40。前年のバルセロナ五輪で米国が出した世界記録とまったく同じ数字だった。
1走こそ新鋭のジョン・ドラモンドが起用されていたが、2走のA・ケーソンは2年前の東京大会で世界新を出したときの1走で、ミッチェルとバレルは東京大会&バルセロナ五輪と、“ルイス・チーム”の2・3走を連続で走ってきた。特に2走のケーソンが、シュツットガルト大会100mで銀メダル(9秒92の自己新)を取るまでに成長していたことが大きかった。

バレルは6月の全米選手権で敗れて個人種目には出場していなかったが、世界陸上では復調しつつあった。翌94年に9秒85と、ルイスの世界記録を破る選手である。 そのバレルが準決勝のレース後に「チームメイトが本当によく走った。決勝ではこの記録を破れると思うよ」と自信を見せた。
だが、翌日(最終日)の決勝では、同じメンバーで臨んだが37秒48。バレルは世界記録を逃したことを悔やんだ。
「世界記録を出したい気持ちがプレッシャーになった。我々のバトンパスは、昨日ほど良い出来ではなかった」

2位の英国が37秒77、3位のカナダも37秒83と、史上初めて3チームが37秒台をマークしたハイレベルのレース。そこで完勝した米国の強さは、ルイス抜きでもホンモノだった。準決勝の世界記録はその後15年間、更新されなかったのだから。
ウサイン・ボルト(ジャマイカ)という怪物が出現するまでは…。

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