8月4日開幕

世界陸上での日本選手の活躍

西塔拓己、6位入賞。「鈴木さんから叩かれたことで、もう一度頑張ろう、と心を奮い立たせられました」

西塔拓己(東洋大。現愛知製鋼)は、鈴木雄介(富士通)から背中をポンと叩かれた。
モスクワ大会20km競歩の15km過ぎのことだった。
西塔は鈴木のいる4位集団に14kmで追いついたが、限界に近い状態だった。だが、それ以上にきつくなっていたのが、5km過ぎから12km手前まで、単独で先行していた鈴木だった。

鈴木は冷静に自分を把握するタイプで、これ以上はその位置で歩くことは無理と判断した。
前回8位入賞者として悔しさはあったが、あとを西塔に託すしかない、と考えた。
「鈴木さんから叩かれたことで、もう一度頑張ろう、と心を奮い立たせられました」
一時は4位を歩いたが、西塔もきつくなっていた。スタジアムの手前で1人に、最後にもトラックで1人に抜かれてしまった。

だが6位入賞は、柳沢哲の2001年エドモントン大会7位を上回り、五輪を含めても20km競歩過去最高順位だった。当時大学3年生。20歳4カ月の世界陸上史上最年少入賞は、多くの“つながり”があって達成された。

その年2月の日本選手権では鈴木に敗れて2位だったが、西塔は鈴木の持っていた学生記録を1秒更新した(1時間20分05秒)。
スタート直後に飛び出すレーススタイルも、鈴木と似ている。日本選手権では序盤からハイペースの流れを作り、結果的に鈴木の日本記録更新につながった。モスクワでも5kmまで先行したのは西塔の方だった。

同学年には今年の北京大会代表の高橋英輝(富士通)がいる。高橋は典型的な非エリート意識の選手で、自分が代表として国際大会で戦う覚悟もなかった(富士通に入社するまでは)。だが、高校時代から全国タイトルを取り続けた西塔と合宿で練習をし、寝食をともにするなかで意識が高まった。
西塔は14年から故障がちとなり、万全の状態でレースに臨めなくなっているが、代わって高橋が台頭した。今年3月には1時間18分03秒の日本歴代2位をマーク。北京世界陸上では入賞候補の1人に名前が挙がっている。

また東洋大の後輩では、松永大介(東洋大)が14年の世界ジュニア1万m競歩で優勝し、今年3月には1時間19分08秒の日本歴代3位と大きく成長している。箱根駅伝優勝の長距離ブロック、桐生祥秀のいる短距離ブロックと東洋大の看板種目は多いが、そのなかで世界のトップに最も近いのが、昨年まで西塔が牽引した競歩ブロックである。

モスクワ大会の西塔の6位は、選手は代わったが競歩種目で連続入賞した初めてのケース。西塔は出場しないが、北京大会でも20km競歩で入賞が続く確率は高いと思われる。来年以降の五輪&世界陸上では、西塔が代表に復帰しているかもしれない。
日本が競歩入賞の常連国となったとき、西塔がモスクワ世界陸上で果たした役割は高く評価される。

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