8月4日開幕

世界陸上での日本選手の活躍

跳躍種目世界陸上最高順位の6位入賞。ロンドン五輪記録なしから劇的な成長

「(自己記録が)50cm上がったみたいです」。
モスクワ大会棒高跳びで6位入賞を決めた直後、山本聖途(中京大。現トヨタ自動車)は高揚した口調で言い切った。自己ベストは前年の5m65から5m75へ、10cm上がったに過ぎない(10cmでも棒高跳では大きいが)。それが山本には、50cmも記録を伸ばした感触があった。
国際大会への自信の変化が、この数字を言わせたのだった。

2012年に急成長し、前年の5m35から5m62(学生新)に自己記録を伸ばした。日本選手権は雨のなか、日本記録保持者の澤野大地(富士通)を激闘の末に撃破。 上り調子でロンドン五輪に臨んだが、最初の高さの5m35を跳ぶことができず記録なしに終わった。

初の海外での試合。
経験不足がもろに出てしまった。ピットの脇で頭を抱え、ときに睨むような目つきで空を見上げていた。シドニー五輪で、ベストエイトに残れなかったときの室伏広治(ミズノ)に似た状況だった。
それがモスクワでは、予選では澤野や荻田大樹(ミズノ)が一緒だったこともあり、笑みも見せながら試技を進めた。決勝に進んだのは山本ひとりだったが、助走距離やポールを的確に変更した。

5m75は自己タイ、五輪&世界陸上での日本人最高という高さだが、その1回目を失敗すると、ポールを硬いものに変更した。2回目も失敗して追い込まれたが、最後の3回目に見事にクリアした。
「1、2本目は助走のリズムと突っ込み動作が上手くできませんでしたが、助走で自分のリズムを取り戻せば、5m75も跳ぶ自信がありました」

ロンドン五輪後、スウェーデンでの合宿やユニバーシアード(銀メダル)など、海外経験も積んだが、一番の違いは悔しさを糧とした山本が、競技への取り組みをとことんまで突き詰めたこと。1年前は経験不足という意味での若さが全面に出てしまったが、モスクワ世界陸上では跳躍種目最年少入賞者(21歳5カ月)という称号に変わっていた。

だが、モスクワ世界陸上以後は腰痛の影響もあって、5m70が跳べなくなっている。
昨秋のアジア大会も記録なしと失敗した。小林史明コーチは、試合中の判断が追いついていない面が大きいと見ている。
腰痛を克服する過程で体幹などをしっかりと強化した。助走も明らかに力強く走れるようになっている。ポールも昨年まで、澤野や荻田より10cm短い5m00の長さを使っていたが、今季から5m10のポールを使えるようになった。それがまだ完璧でなく、助走の狂いが生じやすくなっているのだ。

山本自身はメンタル面を強調する。
「去年は気持ちの面で、ハングリーさがなかった。自分の中で、腰を言い訳にしてしまっていました。世界陸上は2年前の入賞は忘れて、一から挑戦します」 今年の北京世界陸上は、2度目の再起を懸けた舞台となる。

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