8月4日開幕

世界陸上での日本選手の活躍

女子短距離のパイオニア、福島が世界陸上初の100m&200m準決勝進出。「中くらいの一歩です」

テグ大会の福島千里(北海道ハイテクAC)は、女子短距離のパイオニアに相応しい活躍だった。
100m予選を11秒35、4組2位で着順通過を果たした(*1)
。200m予選は1組5位で着順通過はできなかったが、23秒25の国外日本人最高の好タイムで“プラス”で通過した。
*1:次のラウンドに進出する条件には各組の何位以内と、決められた“着順”で進むケースと、その着順に入らなかった選手のなかでタイム上位何人と、“プラス”で進むケースの2つがある。

両種目とも世界陸上では初めて、200mでは五輪を含めても史上初の準決勝進出を果たしたのである。福島は自身がやり遂げたことを「今回は中くらいの一歩です」と控えめに話した。
2008年北京五輪100mに、この種目としては56年ぶりに出場。当時20歳。標準記録Bは破っていたが、将来への期待値込みでの選出だった。本番では1次予選で11秒74と、まったく力を出せなかった。

しかし翌09年のベルリン世界陸上は100m1次予選を11秒52で通過(*2)。「小さな一歩です」と福島独特の言葉で自身の成長を表現した。
08~10年で日本記録を2種目で7回マークし、11年の世界陸上で2種目準決勝進出。テグではベルリンの言葉を受けて「中くらいの一歩」という言い方をしたが、福島は女子短距離のパイオニアとして、世界に向けてトップスピードで走り続けていた。
*2:ベルリン大会までは1次予選・2次予選・準決勝・決勝の4ラウンド制。テグ大会から予選・準決勝・決勝の3ラウンド制になったが、予選の前に予備予選が行われている。

だが、テグ大会から2年後の13年モスクワ世界陸上では、「速かった自分はもういない」と福島はコメントしている。そう話すしかない状態だった。
12年の世界室内で体調を崩してから歯車が狂い始め、屋外シーズンはスタートで軽い痙攣を起こすレースが続いた。その年のロンドン五輪は100m、200mとも良いところなく予選落ち。特に200mでは24秒14という、考えられないようなタイムだった。
13年は200 mしか標準記録を切ることができず、モスクワ世界陸上も23秒85で予選落ち。トンネルから抜け出す出口が見えず「速かった頃の私は…」という言葉が口に出た。

復調の兆しが見え始めたのは、昨年中盤だった。秋のアジア大会は0.01秒差で2連覇を逃したが、今年6月のアジア選手権に優勝。アジア大会金メダリストの韋永麗(中国)に雪辱し、7月のヨーロッパ遠征で11秒25の国外日本人最高で走った。
復調の理由は接地で重心に乗り込むタイミングや、肩甲骨と骨盤の連動が良くなったこと、男子の練習パートナーの存在など複数の要因が指摘されている。滑らかな脚さばきが福島の特徴だが、一歩一歩の力強さも出てきた。
それらすべての背景に、福島の競技に取り組む姿勢がある。

2010年の11秒21と22秒89(2種目とも日本記録)を最後に、5年間も自己記録を更新できていない。「(国内レースで)勝てば良いか」と思ってしまった時期もあったが、昨年からは「走るからには毎回、日本新を目指さないといけない」と、自身の甘さを捨て去った。
「今は、競技にしっかり向き合えています」

テグで「中くらいの一歩」を踏み出したが、準決勝では両種目とも組最下位でしか走れなかった。
4回目の世界陸上となる今年の北京大会は、「自己ベストは更新できる」と久しぶりに手応えを持って臨む。
思い出の地・北京で、福島はどんな一歩を踏み出すのだろうか。

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