8月4日開幕

世界陸上での日本選手の活躍

驚異の36歳、世界陸上男子最年長金メダリストに。「本当に、スポーツ人生は良いものです」

2004年アテネ五輪で世界の頂点を極めた室伏広治(ミズノ)だが、2011年テグ大会で獲得した世界陸上3つめのメダルは、深みの感じられる金色だった。

試技展開は、「全力を出し切れた」と話したエドモントン大会以上に完璧だった。
1回目に79m72でトップに立つと、2回目に81m03、3回目に81m24と伸ばし、2位に2m近い差をつけてベストエイトに入った。外国勢の上位も29~31歳と経験を積んでいた選手たちだったが、室伏に気圧(けお)されている雰囲気も出始めた。

室伏は5回目にも「一番良かった」と81m24を投げた。6回目にK.パルシュ(ハンガリー)が記録を伸ばしてひやりとさせられたくらいで(81m18)、しっかりと勝ちきった。
それを可能としたのは、完璧なピーキングだった。
10年前のエドモントン大会はシーズンベストが83m47で世界陸上に臨んだが、2011年はシーズンベストが78m10でテグに入った。01年は80m以上を5試合で出して世界陸上を迎えたが、11年は出場2試合だけで世界陸上に臨んだ。

ハンマーを投げるときには400kg以上の負荷がかかる。
以前と同じように試合をしたら36歳の体は壊れてしまうのだ。回転スピードも全体的にはアテネ五輪の頃ほど速くはないが、振り切りのスピードは以前と遜色ない。
試合数は少なくても、世界陸上の予選でシーズンベストを46cm更新すると、決勝の1~3投目も連続でシーズンベスト。ベテランの味、という言葉だけでは言い尽くせない妙技だった。自身の技術とトレーニング方法を、とことん突き詰めてきた室伏だからできたことだろう。

それまでもトレーニング方法はアレンジをし続けていたが、09年の世界陸上を欠場した頃から、より大きな変化が生じ始めた。投てき練習の本数は減ったが、「ファンダメンタル」という基礎運動、身体作りに多く時間を割くようになった。理学療法士のロバート・オオハシ氏をスタッフに迎え、05年から技術面のコーチ兼トレーナーとして契約しているトーレ・グスタフソン氏らと“チーム・コウジ”を結成。故障の予防に万全を期した。
「テグ世界陸上までの1カ月半、練習計画をほとんど変更しませんでした」

05年ヘルシンキ、09年ベルリンと2回の世界陸上を欠場し、07年の大阪世界陸上や08年北京五輪も、万全の状態で戦えなかった。
最初のメダルから10年後の36歳が、完璧に練習計画を遂行できるなど、誰が予想できただろうか。室伏は陸上界の常識を覆した、というよりは凌駕した。

10年間で、室伏の集中の仕方も変わっていた。エドモントンでは自身の内面を研ぎ澄ますためなら、他人を寄せ付けない雰囲気も出していた。それがテグでは表情に余裕があり、寄せ書きが入った日の丸を競技場に持参した。室伏と交流があった、東日本大震災被災地の子どもたちが書き込んだメッセージだ。
内面的な集中は、どんな状況でもできるようになった。その上で社会や多くの人との触れ合いを、自身の競技にプラスとする力も身につけた結果の金メダルだった。

アテネ五輪での優勝後、何を求めて投げ続けてきたのか、という質問に対する室伏の答えに心を揺さぶられた。
「スポーツが好きで、ハンマー投が好きでやってきて、でも、いつも体の状態が良いというわけではなく、テクニックも必ずしも安定しません。そのなかで自分の可能性がどこまであるのか、というところに着眼点をおいてやってきたから長くできているのでしょう。スポーツですから勝ったり負けたりもありますが、本当にスポーツの人生は良いものです」
厳しく、温かく、深く、そして味わいのある風格をまとった金メダリストが、日本から生まれたことを誇りとしたい。

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