8月4日開幕

世界陸上での日本選手の活躍

地元開催メダルゼロの危機を救った驚異的な終盤の粘り。マラソンでは初の2個目のメダル獲得

大阪世界陸上の最終日まで、日本はメダルを1個も取れていなかった。期待された選手たちが次々に敗退していた。
地元大会メダルゼロのピンチを救ったのは、土佐礼子(三井住友海上)の驚異的な粘りだった。

6年前のエドモントン大会に続き、土佐は積極的なレースを展開した。
30kmから自分のペースに持ち込み集団を7人まで絞った。次に勝負をしかけたのはケニア勢で、38kmからペースを上げ、嶋原清子(SWAC)らが遅れて5人になった。
ところが、その5人のなかで最初に遅れたのが土佐だった。39km。残り約3kmで走りを立て直し、抜き返すのは難しい。日本のメダルゼロが決まりかけた……と思われたが、土佐はあきらめていなかった。
「そこから頑張るのがマラソンです。ゴールする瞬間まで何があるかわかりません。圏内ですから、“メダル”と思って走りました」

必死の形相(これはいつものことだが)で前を追い、39.4kmでケニア選手を、40.3kmで中国選手を抜き3位に浮上した。金メダルのC.ヌデレバ(ケニア)には18秒(約100m)、銀メダルの周春秀(中国)には10秒届かなかったが、見事な銅メダル獲得だった。
 どうして、ここまで粘ることができるのか。
「私は腕が下がりすぎると前に進まなくなる。疲れたときはそこを意識します。アクセントをつけるような腕振りをすると違ってくるんです」と、技術的なコツもあるのだが、土佐のマラソンに取り組む姿勢が背景にある。

レース前、土佐への期待はそれほど高くなかった。
大会1カ月前に中国・昆明での合宿中に転倒し、松葉杖をついて帰国したからだ。ただ、疲労性の故障ではなかったので、休養と位置づけて、その後の調整練習も上手くこなすことができた。
それよりも、代表を決めた前年11月の東京国際女子から半年近く、膝や足首の故障を繰り返したことが懸念材料だった。5月にようやくジョッグを再開し、本格的なマラソン練習は6月に入ってから。
ただ、6年前のエドモントン大会の前も同様に、5月にボルダー合宿に入るまでは故障で走れなかった。

土佐の回復が早いのは、故障中にできるトレーニングをしっかりとこなしているから。
固定式自転車を2~3時間こいだり、水中歩行を3~4時間続けたり。走る筋肉とイコールではないが、故障箇所に負荷をかけずに、周囲の筋肉や心肺機能を落ちないようにする。地味なトレーニングに強い気持ちで取り組むことで、治ってすぐに高いレベルの練習にもどすことができるのだ。
それでも、不安がゼロになることはない。土佐が不安を克服できたのは、鈴木秀夫監督は「人間力」だと説明した。
自分のできることに全力で取り組んだ上で、良い意味で開き直る。土佐は日本がメダルゼロという報道を見ても、プレッシャーは感じなかったという。

6年間でマラソン観が変わったのか、という質問に「それほど変わっていないと思う」と答えた。
「マラソンはスタートラインに立つまで色々ありますが、結果が出ると“良いなあ”と思えるんです」
いつものように、のんびりとした口調。
土佐が見せる驚異的な粘りは、肩肘張らずにマラソンに取り組むことで生まれた集中力だった。

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