8月4日開幕

世界陸上での日本選手の活躍

男子トラック種目初、そして“スタブロ種目”初のメダル獲得の快挙。決勝で発揮した驚異の勝負強さ

男子400 m障害で2個も銅メダルを取った為末大は、まさに世界陸上の申し子といえた。
1個目のエドモントン大会は勢いと戦略で取り、2個目のヘルシンキ大会は経験と戦術で取ったメダルだった。

男子トラック種目でのメダル獲得は、五輪を通じても史上初。
スターティング・ブロック(通称スタブロ)を使用してスタートする400 m以下の短距離・障害種目では、男女を通じてメダル第1号という快挙だった。

為末のエドモントン決勝のレース展開は、300 mを過ぎてもアジア記録保持者のH.ソマイリー(サウジアラビア)と並んでトップ。9台目を越えてからF.サンチェス(ドミニカ)とF.モリ(イタリア)に抜かれたが、ソマイリーには競り勝った。
記録的には予選は49秒45と抑え、準決勝で48秒10の日本新をマーク。
決勝で47秒89と日本人初の48秒突破も成し遂げた。
「メダルは狙っていました。準決勝のソマイリーを見て、上手くすれば勝てるかな、と。大会前は決勝に行けたら、くらいだったのですが、レース毎に目線が上がってきました」。

前年のシドニー五輪は強風に対応できず、予選で9台目を引っかけて転倒した。国際大会の経験不足が背景にあると分析し、2001年は6~7月にヨーロッパを単身転戦。48秒38の自己新という記録的な収穫を得るとともに、シドニー五輪金メダルのA.テイラー(米国)やサンチェスと好勝負を展開した。「外国人もびびることがわかった」と、メンタル面で気後れすることもなくなった。

海外で経験を積むのは中期戦略だったが、為末は自身が描いた長期戦略の正しさも、エドモントンで証明した。
100mと200mの中学チャンピオンだったが、ショートスプリントの伸びに限界を感じ、高校では400mに専門種目を変更。高校生初の45秒台を出し、世界ジュニアでも4位入賞と健闘した。
だがその世界ジュニアで、400mでも世界のトップには歯が立たないと実感した。それに対し、400m障害なら戦える可能性を感じた。ハードル選手以上にハードリングは上手く、三段跳で15mを跳ぶバネも持っていた。レース前半のインターバルを、世界トップ選手と同じ13歩で行くこともできそうだった。

170cmと小柄な為末が13歩で行くには、最初からスピードに乗せる必要があるし、短距離のスピードを生かせる部分。
「1台目をトップで越える」レースパターンは、自身の特徴を生かしながら世界と戦う戦略だった。
前半でレースの主導権を握るのは、イエテボリ大会で7位に入賞した山崎一彦と同じスタイル。東京大会400 mの高野進が先陣を切り、山崎が続いたことで定着した“ファイナリスト”の価値を為末が引き継いだ。

為末のすごさは、先輩2人が予選や準決勝よりもタイムを落としたのに対し、決勝で大幅に自己記録(=日本記録)を更新した点にある。
「決勝は夜の9時でしたから、あと何時間であそこに立てる、と待ち遠しかった。子どもの頃、ずっと欲しかった玩具を買ってもらって、早く家に帰って遊びたいときの心境です」
それだけが要因ではないが、為末は決勝の舞台を楽しむことで、高野以来の伝統をメダルにつなげることができた。

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