8月4日開幕

世界陸上での日本選手の活躍

高橋欠場で予想外のスローペースも、冷静に勝負を仕掛けマラソン最年少メダリストに

21歳の若さだが、市橋有里(住友VISA)の走りには落ち着きがあった。
上下動がなくスーッと進んで行くフォーム。表情も、端整な顔立ちをまったく崩さない。ただ、市橋本人は、前半のスローペースに「少しイライラしていました」という。
セビリア大会女子マラソンのスタート時の気温は24度と、走りやすいコンディション。スローペースとなったのは、高橋尚子の不在も一因だった。

高橋は前年のアジア大会で、2時間21分47秒の日本新で優勝していた。
それまでの日本記録を4分も更新する別次元のタイムを、高温の中でたたき出した。セビリアでも、その走りを再現すると予想されていたが、故障のため大会当日に、出場を取りやめざるを得なかった。
5km毎は17分台後半で進み、30kmではまだ集団に11人が残っていた。
市橋は、高橋が16分半前後の速い入りをすることも想定して練習してきた。イライラの理由は「もう少し速いペースを期待していた」からだが、冷静に他の選手たちの動きを見ることも忘れなかった。
F.ロバ(エチオピア)が34kmで集団から抜け出したが、「スパートは長続きはしない」と判断し、慌てずに時間をかけて差を詰めた。一時は50mほどリードされたが、37kmで追いつくと、38kmでロバを振り切った。フィニッシュまで4km。
2年前の鈴木博美(積水化学)に続く連続金メダルの可能性も大きくなった。

だが、予想外の選手が追い上げていた。
北朝鮮のチョン・ソンオクが間もなく追いついてきた。ソンオクの41kmのスパートに市橋はつくことができず、スタジアムに入ってから差を詰めたものの3秒差で逃げ切られた。
それでも市橋は、レース中のポーカーフェイスを笑顔に変え、両手を挙げてフィニッシュした。
「勝てなかったのは残念ですが、大きな目標としているアテネ五輪に向け、良いステップになりました」
市橋は翌年のシドニー五輪でなく、5年後のオリンピックを最大目標にしていた。

中学卒業後に陸連の浜田安則氏(京セラ監督時代に、東京世界陸上銀メダルの山下佐知子を指導)が主宰するクラブに入り、1学年上の市川良子らと、高体連には登録しないで活動してきた。インターハイや全国高校駅伝など、多くの高校生が目標とする大会にこだわらず、日本代表として活躍することを見据えて走り続けてきた。

スピード型の市川が96年アトランタ五輪5000m代表となったのに対し、持久型の市橋はなかなか結果を出せない。だが、97年からマラソンに取り組むと、適性を生かして3レース目の東京国際女子で2位になって代表入り。初の代表レースとなったセビリアで、早くも結果を残した。
「一番の目標への過程でも、取れるものは取っておきたいですから」
21歳でのメダル獲得は、マラソンでは男女を通じ、現在でも世界陸上日本人最年少記録である。

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