土曜 よる11:30〜

人生最高レストラン

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放送内容(2020年9月5日 #175)

ごちそう様 キムラ緑子さん

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ゲストは、キムラ緑子さん。本格的にテレビで活躍し始めたのは、50歳を過ぎてから!しかし今や、舞台はもちろん、映画、ドラマに欠かせない名バイプレーヤーとなった彼女が底抜けに明るい素顔と共に、女優人生を好転させてくれた“おいしいもの”のお話を語った。

■お品書き

京都・河原町「モテモテ時代の超激安!絶品のアレ」
京都で過ごした大学生時代、そして卒業後所属していた劇団員時代にキムラ緑子さんがよく通っていた寿司店がある。それが、安くておいしいと評判の「とみ寿司」。

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京都といえば、祇園など高級店のイメージがあるが、大学が多いこともあり、実は“学生にも優しい”町。中でも、「とみ寿司」は断然に“学生に優しい”お店だという。緑子さんが通っていた当時の値段はナント、破格の1貫20円から!あまりお金のなかった劇団員時代は、先輩に怒られるからと…その一番安い1貫20円の握りばかり食べていたという。そのネタが、「どうびん」や「げそ」。もちろん、今でこそ値上げしているが、それでも1貫40円という安さ。

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※現在のお品書き

「どうびん」とは、関西で食べられるネタで“タコの頭”のこと。ゆでた真ダコの頭を薄切りにして、甘ダレをつけた一品。シャリが小さめの江戸前寿司なので、何貫でも食べられるそう。

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そして、ヘビーローテーションして食べていたもう一品が、ゆでた紋甲イカを使った「げそ」。

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人気メニューは、握りの盛り合わせ「とみにぎり」。ボリューム満点で、1,650円というお手頃価格。ちなみに、緑子さんは注文したことがないという。

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当時、緑子さんはこのお店で支払いをした記憶がほぼないという。先輩が自分の分を出してくれたり、お店で同席した気前のいいオトナの方々―大学の教授や大学病院の先生たち―がおそらく支払ってくれていたんだと思う…と振り返った。

*店舗情報:「とみ寿司」京都府京都市中京区新京極四条上ル578-5

東京・代々木上原「孤独を救ってくれた生ハム」
大学生時代から付き合っていた演劇サークルの先輩、現在も第一線で活躍している劇作家・脚本家・演出家のマキノノゾミさんと31歳の時に結婚した緑子さん。ところが、マキノさんの主宰する劇団の一員として、そしてプライベートでは夫婦として四六時中共に過ごすうちに、『人生このままでいいのかな?』と思うようになってしまったという。そして結婚13年目に、『1回一人になりたい』と我がままを言って離婚。しかし、緑子さんのその後は“人生最悪”というほど孤独でつらい日々だったという。そんな一人暮らしをしていた代々木上原のマンションから見えたのが、いつも賑やかなお店「ウェルファンカフェ」だった。

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マスターがスペインまでわざわざ買い付けに行って仕入れた本場の食材を使ったスペイン料理とワインが名物のこのお店は、深夜まで営業しており、その賑やかな雰囲気に引き寄せられ、一人でふらっと訪れてから常連になったという緑子さん。孤独で暗い気持ちだった彼女は、陽気なマスターの橋本さんと何気ない会話を交わし、美味しい料理を食べ、美味しいお酒を飲んで過ごすうちに、沈んでいた気持ちもだんだんと復活。前向きな日々を送れるようになったという。そんな緑子さんにとって忘れられない料理が、「イベリコ豚の生ハム」。当時はまだ日本でイベリコ豚がそこまで出回っていない頃だったが、ここでは「イベリコベジョータ(どんぐりなど自然産物のみのエサで放牧されて育った希少種)」など本場の味を味わえたという。

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離婚して独り身だった頃も、緑子さんは年に1回は必ず元夫であるマキノさんの劇団で舞台に立ち、一緒に芝居を作り上げていた。その時間はやはり楽しかったという。そんな関係性が続いていた中で怒ったのが、東日本大震災だった。『誰かと一緒にいないと、一人は嫌だな』と感じ、再びマキノさんと一緒になった緑子さんは今、『読めない漢字があれば、何て読むの?』と何気ないことを聞ける相手が身近にいることをしみじみ『いいな』と思える日々だという。それも、孤独でつらかった数年間、毎日のように通った「ウェルファンカフェ」での美味しくて楽しかった日々があったから、そう言えるのかもしれない。

*店舗情報:「ウェルファン カフェ(Welfun Cafe)」東京都渋谷区西原3-24-12岡部ビル1F

東京・新宿「憧れの舞台の後に食べた…人生最高の一品」
キムラ緑子さんの“人生最高の一品”は、新宿にある居酒屋「犀門」の「コンニャクとジャコ炒め」。演劇に革命を起こした劇作家・演出家・小説家のつかこうへいさんに憧れ、演劇の世界へ入った緑子さんは、つかさんがよく公演していた紀伊国屋ホールに『いつか立ちたい』という夢を抱き、京都で女優活動を続けていた。そして、その憧れの舞台についに立った時、訪れたのが居酒屋「犀門」だった。『東京の演劇人の仲間入りができた』と感動したと当時を振り返った緑子さんは、“演劇界の聖地”とも呼ばれる新宿紀伊国屋ホールの近くにあり、演劇人たちが集う名店と知られていたこのお店に、今でも通い続けているという。

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一番のお気に入り料理は、「コンニャクとジャコ炒め」。コンニャク、ちりめんじゃこ、ししとう、鷹の爪、山椒などを煮込んだ、シンプルだけど出汁が染み込んだ味わい深い一品。今ではメニューにないが、どうしても食べたくなった時、特別に作ってもらうこともあるという。

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聖子ちゃんカットでモテモテだったバブル時代の女子大生の時、演劇と出会い、夢を抱き、京都で地道に演劇活動を続けていた緑子さん。そんな彼女には“女優人生の恩人”と呼ぶ人物がいた。関西で演劇のプロデューサーをやっていた遠藤寿美子さん。ずっと応援し続けてくれた遠藤さんのおかげで、緑子さんは35歳にして東京進出を果たすことができたという。遠藤さんは「好きにしよし」という言葉を口癖のように、いつも緑子さんにかけてくれたという。自由であること、言いたいことを言うこと、我慢せずぶつかり合うこと、そういう生き方が大事だということを体現して教えてくれた…亡き遠藤さんの言葉を心の支えに、緑子さんは今、女優として満開の花を咲かせている。

*店舗情報:「犀門(さいもん)」東京都新宿区新宿3-36-15 内野ビル 4F

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