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人生最高レストラン

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放送内容(2020年5月2日 #157)

おかわりスペシャル(4)
ごちそう様 林家たい平さん・藤ヶ谷太輔さん(Kis-My-Ft2)・中村獅童さん

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「食」と「人生」がたっぷり詰まったアノ人のアノ話を“オカワリ”するスペシャル第4弾!今回は、国民的番組「笑点」でお馴染みの落語家・林家たい平さん、“ジャニーズの中で最も苦労したグループ”の1つと言われるKis-My-Ft2の藤ヶ谷太輔さん、“歌舞伎界の異端児”中村獅童さんの3名。大切な人との絆…感動のおいしいお話をオカワリしました。

■お品書き

林家たい平(2020年2月8日放送)
東京・浅草「涙を流しながら師匠と食べた…天丼」(人生最悪&人生最高の一品)

たい平さんが真打に昇進したのは、2000年のこと。その披露パーティーを師匠である林家こん平さんの誕生日にやると決め、師匠が尊敬する国民的歌手・三波春夫さんを呼んで喜ばそうと思ったたい平さんは、思いをしたためた手紙を三波春夫さんに送った。すると後日、こん平師匠に呼ばれて行くと、目の前には2通の手紙が。1通は、自分が三波春夫さんに送ったはずの手紙。そして、もう1通は三波春夫さんが師匠に宛てた手紙だった。こん平師匠宛の手紙にはこう書いてあったという。『たい平さんの気持ちはよくわかりました。ただ、芸能界には芸能界のしきたりがあって、物事を頼む際には順番を踏まないといけない。そこは、わきまえないといけない。ただ、たい平さんの気持ちをこん平師匠にはよくわかって欲しいから、その手紙を同封します』と。そして、こん平師匠は『こんなことを教えてくれる人はいない。三波先生のところに二人で謝りに行こう』と言い、一緒に謝罪に行ってくれたという。その帰り、申し訳なさでいっぱいだったたい平さんは『ご馳走させてください』と、本来は弟子が師匠に言うことのない言葉を発する。すると、こん平師匠は『ご馳走になろう!おいしくて高いもの』と答えてくれたという。その時に二人で食べたのが、師匠の大好きな浅草の「大黒家天麩羅」の「天丼」だった。

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えび2本に、かき揚げ1枚入り。ごま油の香ばしい「天丼」を前に、たい平さんは『本当にすみませんでした』と何度も謝ったという。しかし、そんな弟子を前にこん平師匠は『よし、もういい。これからは美味しく食べよう!』と一言。その後は、『おいしいね!おいしいね!』と食べたという。そんな師匠の愛情に触れ、申し訳なさと嬉しさで、こん平さんは天丼が涙で見えなかったという。師匠との絆がより深まった一品であった。

*店舗情報:「大黒家 天麩羅 別館」東京都台東区浅草1-31-9

藤ヶ谷太輔(2020年3月21日放送)
東京・渋谷「アイドル人生の苦楽を共にした…ラーメン」(人生最高の一品)

藤ヶ谷太輔さんの“人生最高の一品”は、NHKの食堂の「ラーメン」。1杯280円。小学5年生(11歳)でジャニーズ事務所に入り、長いジャニーズJr.時代を経て、24歳でKis-My-Ft2のデビュー、そしてデビュー9年目にして果たした紅白初出場…21年のアイドル人生で苦楽を共にしてきたのが、このラーメンだった。今まで400、500杯は食べ、いつも食べると『初心に戻れる味』。2019年、初めて紅白に出場した時もメンバーとすすったラーメンは、『こんなうまかった?』と思うほどの美味しさだった。これからの芸能人生においても、藤ヶ谷さんがずっと食べ続けていくであろう“最高の一杯”。

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「ひと言が重い…中居正広さんとの食事」(人生最悪の一品)
グループとしても、個人としても一番お世話になっている先輩・中居正広さん。そんな中居さんと時々食事をすることがあり、そこではいつも、メンバーが出演した番組をほぼ観ている中居さんから具体的なアドバイスがあるという。そうなると、いつしか箸も止まってしまい、手は膝の上でひたすら緊張しながら話を聞く…といった状況に。藤ヶ谷さん的には、中居さんとの食事は『気楽にご飯行って楽しいとはならない』という意味で、“人生最悪”にして中居さんをイジろうとしてみたが…そうはならなかった。というのも、中居さんと二人きりで旅行するほどの関係で、これまで本当にお世話になってきているから。『汗をかき、恥をかき、ベソをかく。この“3かき”をしないとダメだ。そうしないと感動するものは生まれない』、『Kis-My-Ft2が、SMAPを越えろ』など、印象に残る中居さんのアドバイスがたくさんある。そして、ジャニーズ事務所を退所する中居さんへの思いを聞かれると…『すごい寂しいけど、これからの中居さんの姿をしっかり見て、自分たちは“コイツらなら大丈夫”だと思ってもらえるようになりたい』と語った。

中村獅童(2020年3月28日放送)
神奈川・鎌倉「愛妻との縁を繋いでくれた…あの街のイタリアン」

獅童さんのことを支える妻の沙織さん。出会いは、獅童さんの行きつけのアクセサリー店。店員だった沙織さんのことが気になっていた獅童さんが招待されたパーティー後、飲みに誘ったのがキッカケだった。しかし、沙織さんは3時間経っても現れず…痺れを切らした獅童さんが電話で言った言葉は『お前、早く来いよ』。実は、沙織さんはどう断ろうかとずっと上司に相談して悩んでいたという。そんなことは知らず、その後やって来た沙織さんに対し、お酒が入っていい気分になっていた獅童さんは『俺と結婚しよう』と、いきなりのプロポーズをする始末。その次の日、前日のヒドイ自分を猛省した獅童さんは、あらためて沙織さんを食事に誘った。そうして初デートで行ったのが、某番組の鎌倉特集で知ったイタリアン「Fosseta(フォセッタ)」だった。

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初デートで食べたのは、その某番組で紹介していた「魚介を使ったパスタ」だった。湘南の海で獲れたシコイワシ(カタクチイワシ)と旬の鎌倉野菜・菜の花を使った「小坪シコイワシと湘南菜の花のアーリオオーリオスパゲティ」。もちろん、味は絶品だった。

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ちなみに、ヒドかった前日と異なり、その日は沙織さんに振り向いてもらおうと一生懸命だった獅童さん。そのギャップが沙織さんの心を掴んだのか、無事交際がスタートしたという。今も、時々この店に行った時には、当時のことを思い出す、獅童さんにとって大切な思い出の味。

*店舗情報:「Fossetta(フォセッタ)」神奈川県鎌倉市西鎌倉1-2-1

「最愛の母が残してくれた…最後の大好物」(人生最高の一品)
歌舞伎の名家に生まれたものの、父が歌舞伎俳優を廃業したことで後ろ盾もなく、自ら道を切り拓いてきた獅童さん。そんな獅童さんを幼い頃から支え続けたのが、母・陽子さんだった。その最愛の母が、2013年の冬、突然他界した。あまりにも突然のことで混乱した獅童さんだったが、妻・沙織さんと二人で家を整理した際、冷蔵庫を開けて出てきたのが、「母が作り置きしていたビーフシチュー」だった。それが、中村獅童さんの“人生最高の一品。

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※イメージ

獅童さんも、妻・沙織さんも大好物だった「母のビーフシチュー」。母の最後の手料理だけに食べるに食べられず、数週間後ようやく二人で口にした時、母との思い出が走馬灯のように甦ったという。後ろ盾のない中、獅童さんが憧れて入った歌舞伎の世界…身の回りの世話から全てやってくれ、いつも獅童さんを応援し続けてくれたのが母・陽子さんだった。その母が亡くなってから気付いた感謝の気持ち、そしてケンカしたまま謝ることもしてなかった後悔、何も伝えられてなかったし、何もしてやれてなかった…と今も獅童さんは心残りだという。だからこそ、『だらしなくてダメな人間ですけど、少しでも、もっともっといい役者になって、真面目に生きないといけない』と、涙ながらに母への思いを語った。最後になった「母のビーフシチュー」は、“料理は作り手の思いを感じて、いただかないといけない”そして、“普段の何気ない日常を大切に生きなければいけない”と教えてくれたのであった。

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