土曜 よる11:30〜

人生最高レストラン

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放送内容(2020年3月28日 #153)

ごちそう様 中村獅童さん

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ゲストは、中村獅童さん。歌舞伎の名家に生まれたものの、父が歌舞伎俳優を廃業して後ろ盾がない中、初音ミクとコラボした「超歌舞伎」など、常に新しい挑戦を続け、“歌舞伎界の異端児”として自ら道を切り拓いてきた獅童さん。一見ヤンチャで強面なイメージだが、実は子煩悩のイクメンパパで人情深い男。そんな獅童さんが突然スタジオで涙…。そこには、自分を支え続けてくれた母が作る大好物の一品が深く関わっていた。獅童さんが最愛の母への思いや愛妻との出会いを語りながら振り返った“食”と“役者人生”とは?

■お品書き

東京・永福町「小学生から憧れ続けた…伝説の名店」
小学校から高校まで東京・吉祥寺に通っていた獅童さん。小学1年生から毎日バス通学していた獅童さんが、いつも店の前を通ると車内まで美味しそうな香りが漂ってきて、『いつか食べてみたい』と憧れ続けたラーメン店があった。それが、昭和30年創業の名店「永福町 大勝軒」。

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初めて食べたのは、小学6年生の時。お小遣いを貯めて一人で、6年越しの憧れを胸に暖簾をくぐった獅童さん。それ以来、現在に至るまで「永福町 大勝軒」を愛してやまない獅童さんには、超絶なこだわりがある。それは、『大勝軒のラーメンは、気軽に行って食べるものではなく、体調と精神を万全な状態に“整えて”から行くべし』というもの。獅童さん流の“整え方”というのが、①「朝はサラダ」②「昼は食べない」③「大勝軒へ思いを巡らせる」④「体調を整えた状態で訪問」。そして、初めて訪問した人には注文して待つ間に、店内に置かれている小冊子「ラーメン通信」を必ず熟読して、初代店主のラーメンへの思い、お店の歴史などを十分理解した上で食べてもらいたいと熱弁した。そんな獅童さんがいつも食べるのが、「チャーシューメン 生玉子・メンマ付き」。煮干しベースに豚骨・サバ・カツオ・玉ねぎ・じゃがいもなどから出汁をとったスープに、普通盛りで麺が2玉も入った一杯。女性にはちょっと厳しそうな量だが、獅童さん曰く“整え”ればペロリと食べられるらしい。そのまま食べても美味しいのはもちろんだが、生玉子を溶き、そこに麺をつけて“すき焼き”のように食べるのが獅童さんのオススメ。

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*店舗情報:「永福町 大勝軒」東京都杉並区和泉3-5-3

神奈川・鎌倉「愛妻との縁を繋いでくれた…あの街のイタリアン」
獅童さんのことを支える妻の沙織さん。出会いは、獅童さんの行きつけのアクセサリー店。店員だった沙織さんのことが気になっていた獅童さんが招待されたパーティー後、飲みに誘ったのがキッカケだった。しかし、沙織さんは3時間経っても現れず…痺れを切らした獅童さんが電話で言った言葉は『お前、早く来いよ』。実は、沙織さんはどう断ろうかとずっと上司に相談して悩んでいたという。そんなことは知らず、その後やって来た沙織さんに対し、お酒が入っていい気分になっていた獅童さんは『俺と結婚しよう』と、いきなりのプロポーズをする始末。その次の日、前日のヒドイ自分を猛省した獅童さんは、あらためて沙織さんを食事に誘った。そうして初デートで行ったのが、某番組の鎌倉特集で知ったイタリアン「Fosseta(フォセッタ)」だった。

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初デートで食べたのは、その某番組で紹介していた「魚介を使ったパスタ」だった。湘南の海で獲れたシコイワシ(カタクチイワシ)と旬の鎌倉野菜・菜の花を使った「小坪シコイワシと湘南菜の花のアーリオオーリオスパゲティ」。もちろん、味は絶品だった。

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ちなみに、ヒドかった前日と異なり、その日は沙織さんに振り向いてもらおうと一生懸命だった獅童さん。そのギャップが沙織さんの心を掴んだのか、無事交際がスタートしたという。今も、時々この店に行った時には、当時のことを思い出す、獅童さんにとって大切な思い出の味。

*店舗情報:「Fossetta(フォセッタ)」神奈川県鎌倉市西鎌倉1-2-1

「母が最後に残していた…大好物」(人生最高の一品)
歌舞伎の名家に生まれたものの、父が歌舞伎俳優を廃業したことで後ろ盾もなく、自ら道を切り拓いてきた獅童さん。そんな獅童さんを幼い頃から支え続けたのが、母・陽子さんだった。その最愛の母が、2013年の冬、突然他界した。あまりにも突然のことで混乱した獅童さんだったが、妻・沙織さんと二人で家を整理した際、冷蔵庫を開けて出てきたのが、「母が作り置きしていたビーフシチュー」だった。それが、中村獅童さんの“人生最高の一品。

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獅童さんも、妻・沙織さんも大好物だった「母のビーフシチュー」。母の最後の手料理だけに食べるに食べられず、数週間後ようやく二人で口にした時、母との思い出が走馬灯のように甦ったという。後ろ盾のない中、獅童さんが憧れて入った歌舞伎の世界…身の回りの世話から全てやってくれ、いつも獅童さんを応援し続けてくれたのが母・陽子さんだった。その母が亡くなってから気付いた感謝の気持ち、そしてケンカしたまま謝ることもしてなかった後悔、何も伝えられてなかったし、何もしてやれてなかった…と今も獅童さんは心残りだという。だからこそ、『だらしなくてダメな人間ですけど、少しでも、もっともっといい役者になって、真面目に生きないといけない』と、涙ながらに母への思いを語った。最後になった「母のビーフシチュー」は、“料理は作り手の思いを感じて、いただかないといけない”そして、“普段の何気ない日常を大切に生きなければいけない”と教えてくれたのであった。

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