2016年7月27日(水)よる7:56から

緊急特番!今夜限定…スポーツ界を揺るがした4大伝説

みどころ

スポーツの夏到来!
かつて日本スポーツ界を揺るがせた珠玉の4大ストーリーをお届けする

 この夏、数々のスポーツシーンがニッポンを熱くする!そこで今夜は、かつてスポーツ界を揺るがした4つの伝説を緊急放送。ライバル対決や壮絶秘話など、“珠玉の4大ストーリー”をお届けする。


■ 禁断の巨人エース争い「いつもお前が憎かった…」江川卓×西本聖

 1973年、作新学院のエースとして甲子園をわかし、読売巨人軍に入団した怪物・江川卓。その時、雑草・西本聖は巨人軍、入団五年目。甲子園出場もなく、ドラフト外で入団した西本にとって江川は、築き上げてきた地位を脅かす存在であった。
 互いが投げる試合を見ながら、「打たれろ!負けろ!」と心の中で叫び続けていたという江川と西本・・・。今まで一度も腹を割って話をしたことのない二人が、思い出の合宿地・伊東で再会を果たす。野球界伝説のライバルたちは、果たして何を語るのか?

■ 女子マラソン代表争い「私なら金メダルを獲れた…」有森裕子×松野明美

 1992年。女子マラソン日本代表の最後の一枠を巡り、日本中の注目を集めていた2人の選手がいた。1991年世界陸上で4位の好成績を収めた有森裕子。一方、1992年1月 大阪国際女子マラソン2位に入った松野明美。「私を選んでください。」代表選考発表前日、松野の異例の会見に象徴される二人の代表争いは、スポーツ史に残る事件だった。これ以降、一度も言葉を交わすことのなかったライバル二人が再会することになった。二人の心の中に去来するものとは…。

■ 孤高の美人スイマー千葉すず 悲劇の引き際

 ロンドン五輪で戦後最多11個のメダルを獲得した日本競泳陣。その礎を築いたとされる、元祖美人スイマーがいる。今から約20年前の1992年。当時高校2年生の少女は、日本人には手が届かないと思われていた自由形でメダルを期待される若き大エースだった。
 しかし、彼女はメダルに届かず、代わりに全くの無名だった後輩の岩崎恭子が金メダルを獲得した。4年後の大会に際し、ある番組で発した「勝負より楽しみたい」などの発言が日本中のバッシングを受けることになる。その後、一度は競技から離れたが、1999年に復帰。日本新記録を樹立して完全復活した。翌2000年。五輪代表選考を兼ねた日本選手権でも優勝。当然代表に選出されると思われたが、落選。彼女はひっそりと引退した。
 引退以降、マスコミの前に出てくることはなかった彼女が、長年の封印を解いて初めてすべてを告白する。

■ 快進撃の広島カープ 悲運のエースが歩んだ壮絶人生

 150キロを超える剛速球を武器に、闘志をむき出しにして相手に立ち向かう姿を“炎のストッパー”と形容された元広島東洋カープ投手、津田恒美。
1986年9月24日の巨人戦、津田はジャイアンツの4番・原辰徳に対し、真っ向勝負。原はフルスイングで立ち向かうが、ファウルした瞬間に左手有鉤骨を骨折してしまう。後に原は、この時のことをふり返り、「事実上、この骨折でバッター原辰徳は終わりました」と語っている。
 1991年、津田は前年から続く体調不良を抱えたまま開幕を迎え、ジャイアンツ戦に登板。しかし、大乱調のためわずか9球で降板し、敗戦投手となった。これが、自身にとって生涯最後の登板となる。
 この試合の翌日、津田に悪性の脳腫瘍があることが判明。その後、手術を受け復帰を目指して闘病を続けるが、球団から任意引退とされてしまう。それでも再びマウンドに立つためリハビリに励むが、1993年7月20日、32歳の短い生涯を閉じた。登板した最後の試合で津田からタイムリーヒットを打った生涯最後の対戦打者は、奇しくもライバル原辰徳。
 原に投じた最後の一球は、144キロのストレートだった…。

出演者

語り:
堤 真一
小栗 旬

スタッフ

製作:
TBS

制作:
TBSテレビ

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