2016年10月6日(木)よる7:00から

実録!ひばりと裕次郎
幻の映像ついに初公開
昭和スター伝説の真相

番宣画像

みどころ

秘蔵映像と関係者の証言、再現ドラマで綴る
美空ひばりと石原裕次郎の生涯。
人々を魅了した昭和の太陽の光と影に迫る!

 昭和の時代。日本には二つの太陽があった。それは「歌謡界の女王」と謳われた美空ひばりと「日本人が最も愛した男」と称えられた石原裕次郎である。
 終戦、荒廃、復興、繁栄… 激動の時代と言われた戦後の日本を照らし続けた二つの太陽、ひばりと裕次郎。その存在は昭和の歴史そのものであった。何が人々を魅了し熱狂させたのか。そして人々は二人に何を求めたのだろうか…
 この番組は、秘蔵映像、と関係者の証言、そして再現ドラマをもとに二つの太陽の光と影を描く。  
 今年は、美空ひばりデビュー70周年。石原裕次郎にとってはデビュー60周年。二人を振り返るのに相応しい節目の年だ。ひばり、裕次郎を体験した世代は、懐かしく新たな秘話を発見する。知らない世代は芸能界の先駆者である二人の生き様に驚嘆し、感動する。日本人が幅広く、見たい、聞きたい、知りたい二人の伝説が蘇る。

内容

 昭和33年。日本は敗戦からの復興を果たし、新たな時代を迎えようとしていた。
 この年5月。墨田区にある両国国際スタジアムには1万人が詰め掛けていた。「美空ひばりショー」に石原裕次郎がゲスト出演するのだ。二人が同じステージ立つのはこの日が初めてだった。
 映像どころか音声も存在せず、写真が残っているだけだ。これまであまり語られることのなかった幻のコンサート。番組ではその内幕を取材、ひばりファンと裕次郎ファンにとって、夢のコンサートの詳細が明らかになる。
 その他番組では、ひばりと裕次郎の足跡をふり返り、新しい発見や知られざるエピソードをふんだんに紹介する。

○美空ひばりが出演した映画は、176本あった考えられているが、所在がわからないものもあり、実数は不明だ(番組調べ)。
 番組ではそんな幻の映画の一つ「ひばりのアンコール娘」が東京・九段の「一般社団法人 記録映画保存センター」に保管されていることを突き止めた。映像を確認すると12歳の美空ひばりが「東京ブギウギ」などを歌うシーンが収録されていた。
 ひばりがデビュー当時よく歌い、ファンにも懐かしいこの曲をひばりが歌う最古の映像だと確認できた。驚きの歌唱シーンをテレビで初放送する(詳細はホットニュース№3358をご参照ください)。
〇また番組では石原プロモーションの倉庫を大捜索し、未整理のテープを人海戦術でプレビューしたところ数々の驚くべき映像を発見。今回その一部始終を大公開する。
〇裕次郎が自らの制作プロダクションを立ち上げて完成させた映画「黒部の太陽」。映画会社の厳しい規則に抗い、劣悪な制作環境を乗り越え、ついに完成させた悲願の大作だった。
 そして公開当日、映画館には驚くべき光景が・・。
〇小林旭との結婚生活にピリオドを打ち、ひばりは新宿コマ劇場の舞台に立った。以来ひばりは新宿コマをホームグランドとし、23年間連続公演を実施。番組では、新宿コマ劇場公演でのひばりの知られざる
エピソードを紹介。
〇裕次郎が14年間に渡って出演したテレビドラマ「太陽にほえろ!」。昭和61年、その最終回の収録現場には異様な緊張感が漂っていた。
 「このシーンを俺にくれないか」と監督に懇願して臨んだワンカット7分間の芝居。そこにこめられた裕次郎の思いとは。
〇昭和63年、東京ドームコンサートで復活を果たしたひばりは、スタッフと新しいシングル曲を選定していた。「今度だけは私に決めさせて、頼むから」。
 ひばりは、人生を川にたとえて歌う「川の流れのように」にこだわった。その曲に賭けるひばりの異常な熱意をスタッフの誰もが感じていた。「あれが最期の歌になると知っていたのでしょうか…」
 
 ひばりと裕次郎は太陽のような輝きで日本中を魅了する。しかしそれぞれに困難に向き合う時代もあった。ふたつの太陽の光と影。数々の貴重な証言、圧倒的な分量の秘蔵映像、そして詳細な再現ドラマで描く昭和を駆けぬけた二人の実像!

出演者

ナビゲーター:
仲間由紀恵

証言者:
浅丘ルリ子
石原慎太郎
石原まき子
なかにし礼

スタッフ

製作著作:
TBS

制作協力:
オールアウト

プロデューサー:
落合芳行
大木真太郎
鹿渡弘之
大里進

演出:
福島竜也

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