インタビュー

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vol.17:原案・北村泰一さんインタビュー(後編)

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そして、“南極観測隊”、“越冬隊” になられた?

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そうです。まず、“南極観測隊員” になるだけでも大変でしたので、最初は観測隊員になれるだけでいいと思っていたんです。しかし、情報を集めるにしたがって、“越冬隊員” になりたくなった。そして、“どうしたら越冬隊員になれるか” を考えました。今思えば、人生の中で一番考えましたし、尚且つそのアイデアはヒットだったんです。当時、西堀さんに 「 隊員を選ぶ基準は何ですか?」 と聞いたら、「 一番は能力だ 」 と言われました。能力を何で測るか?それは、本当かどうか分からないのですが、“免許を持っているか?” ということ。
当時は、マイカーなんてありませんでしたが、南極へ行って雪上車の運転が出来るか?ということが重要視されるだろうと、皆が考えました。そして、大勢の人が車の免許をとるために走りました。
僕は犬を連れてゆくということを知っていましたので、考えに考えた末、犬係になりたいと志願しました。西堀さんには 「 犬係はダメだ 」 と言われていたのですが、ある日、「 すぐに稚内へ行け 」 と言われたんです。当時、稚内にカラフト犬を集めて訓練をしていましたので、そこへ行けと。結局は、自動車の免許をもっている者はたくさん居たけど、犬係りはいなかったそうで、僕のネライは当たったということです。そのおかげで、僕は南極観測隊員になれましたし、越冬隊員にもなれました。それだけじゃありません。どこかへ行くときには、雪上車が途中で壊れたら困ると、犬を連れていくわけです。200キロ先のボツンヌーテンへ登る際にも、出発寸前に雪上車が不調となり、犬そりだけで行くことになり、僕も参加することができました。僕の望み通りに最大限まで行けたので、最高のアイデアだったと思っています。

越冬での苦労はありましたか?

“苦労” はありませんでした。旅行中は手足が大変冷たく凍傷になりました。また、時には空腹になりました。そんな時、犬の食事を食べたことさえありました。その時、その時で辛いと思うことはありましたが、今思えば全部が楽しかったですね。あえて言うなら、苦労は、人間関係でしょうか。ただし、西堀さんが全ての非難を一身に受けてくれましたから。「 西堀さんが… 」 「 西堀さんが… 」 と僕らが文句をいうことで、隊員はひとつになれました。それはきっと、西堀さんの作戦だったのだと思います。ですから、日本に戻ってからも、西堀さんを中心に越冬隊全員は度々集まっていましたね。

越冬隊、全員が仲間?

“戦友” という言葉がありますよね。越冬は、“生きるか”、“死ぬか”、の状況でしたから、僕は彼らを “戦友” だと思っています。

樺太犬に学んだことはありますか?

今、犬を飼っておられる方は多いので、犬が忠実であることは皆さんがご存知だと思います。
当時の僕は、人間は精神が高く恥を知っているが、犬にはそれが無い、人間よりも下だと思っていました。しかし、樺太犬に学んだことは、犬は人間と一緒、ひょっとしたら人間よりも崇高かもしれないなと。ともに越冬した19頭の犬は、男が18頭と、シロ子という娘さんが1頭いましてね。それは、南極で生まれ育った犬ぞりを作りたいということが目的でした。

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越冬中、シロ子と結婚させる犬はどれがいいか投票したところ、“比布のクマ” がいいだろう、ということになり、ひとつの鎖に比布のクマとシロ子を繋いだ。けれど、シロ子は比布のクマが近寄ると怒るんです。牙をむき出して “来るな!” とね。人間だったら、「 結婚すると決められている。なぜ言うこと聞かんか!」 となると思います。だけどね、他の犬には強い比布のクマはシロ子に近寄らないんです。
1週間経ってもダメだったので、我々が引き離しました。結局、シロ子はジロと結婚し、その他の犬たちとも結ばれ、最後にはテツという老犬と一緒になりました。それ以降、比布のクマはションボリしてしまってね。そしてこんなことが起こったんです…。

カエル島へ行った際、気温が非常に低く、その上疲労も重なって、犬ぞりで戻ることは厳しいと考えられていたときに、丁度基地から仲間が雪上車で迎えに来てくれたんです。19頭の犬たちはその場で放し、昭和基地へ戻ってくるのを待ちました。1頭戻り、また1頭が戻りと、1週間で戻ってきた。しかし、1頭だけ戻らなかった子がいた。それが、比布のクマです。少し経ってから探しに行くと、ある地点で1頭だけが違う方向へ走っている足跡を見つけました。数キロ先は昭和基地です。音も聞こえますし、匂いもします。 普通、犬は道のないところへはいきません。仲間の通った跡を嗅ぎわけて進む習性がありますから。では、何故こんな事が起こったのだろうと。
ここからは推測ですけど、それはきっと、比布のクマの意思に違いないと考えました。比布のクマは自分らの誇りを踏みにじられてしまった。シロ子にもそうだし (弱いシロ子を力ずくでやらなかったこともクマの誇り)、シロ子に拒否されたことをきっかけに、他の犬たちも比布のクマのいうことを聞かなくなりましたからね。王者としての誇りを傷つけられた比布のクマは、死ぬしかないと思ったのではないかと。それは… かつて武士が、“自らの誇り” を何らかの誤解で踏みにじられたとき、切腹して証明した。それに似ているなと。犬にも誇りがあるに違いないと思わされた出来事でした。僕は人間と接して色んなことを学んだけれども、犬係りになったことで、より多くのことを学ぶことができました。これは、僕にはそうとしか思えないのですが、異論あったら言ってください。

最後に、戦後の日本と震災後の日本の重なるところはありますか?

あると思います。当時は、本当に何もなく “ハングリー精神” だけでした。僕と同じ世代の方々は、震災後の状況を見て、戦後を思い出したかもしれません。お腹が空いてもいい、衣料が足りなくてもいい、夏は暑く、冬は寒くてもいいじゃないか。全員が諦めずに、ハングリー精神を持って過ごせば、あの頃のように何年か後には必ず生まれ変われると思います。がんばりましょう。


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