インタビュー

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vol.17:原案・北村泰一さんインタビュー(前編)

久しぶりに宗谷をご覧になっていかがでしたか?

興奮しています。 興奮するとおしゃべりになってしまうので、必要以上に話してしまうかもしれませんが、よろしくお願いします (笑)。

当時の日本において、南極観測に行くことの意味は?

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あれから、気づかぬうちに5、60年経ってしまいましたね。当時の日本は、“戦後10年” とはいえ、戦争の爪痕が残り、復興への道筋も定まっていませんでした。お金もなく、「 敗戦国 」 というレッテルを貼られていた。そんな状況ですから、「 日本が “南極観測” に参加するなんてあり得ない 」 と、戦勝国から罵られました。しかし、そのような状況でも、「 日本は参加できます!」 と断言し、“南極観測” に参加したのです。そこで世界から割り当てられたのは、Inaccessible (インアクセサブル)=接近不可能といわれている場所でした。ノルウェーが行ってもダメ、アメリカが行ってもダメ。それをね、日本はボロボロの船だった 「 宗谷 」 を改造して南極までたどり着き、昭和基地を建て越冬しました。誰も想像していなかったことを成し遂げたんです。
こういう例えはどうでしょう。ある高校生が、成績は中の下なのに “一流大学へ行こう” と志を立てる。しかし、先生も友達も 「 無理だ 」 「 行くな 」 「 無謀だ 」 と止める。だけど、「 大丈夫です。がんばります!」 と努力し、切磋琢磨して、とうとう一流大学に合格する。合格したはいいが、周りに追いつくために毎日毎日努力しなければならない。眠る時間もないような日々です。けれど、諦めなかった結果、医者になれた。その高校生こそが “当時の日本” で、先生や友達が米国や英国などの “戦勝国”、医者になったことが、南極到達です。“南極観測へ行くこと” は、敗戦国である日本が世界と並ぶために、“諦めない” という例をつくリました。思えば、重要な意味のあった出来事だと僕は思います。

「 南極観測 」 へのきっかけは、“子供たちからの募金” と伺いましたが…。

その通りです。当時は、日本中の人々が 「 何かやりたい 」 と思っていました。けれど、日本は戦争に負け、世界は遥か上を行っていた。追いつくことなんて出来ないと思っていた。そんな中、子供たちがね、“南極観測へ行って欲しい”、“お小遣いを5円、10円を寄付したい” と立ち上がってくれたんです。衣糧も満足にあるわけではなく、子供たちにとってはご飯の時間が待ち遠しい状態だった。けれど、“南極” に夢をいだいたんですね。ハングリー精神というのかな?子供たちがきっかけで、政府も、企業も動いてくれました。

戦後の日本がひとつになった出来事は、南極観測が最初ですか?

国際的に何かをやろうとしたのは、“南極観測” が最初だと思います。それをきっかけに、「 南極に負けるな!」 と黒四ダム (黒部ダム) の建設、新幹線、オリンピックと発展していったような気がします。

北村さんが南極へ行こうとしたきっかけは何ですか?

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中学生の頃、ある先生に 「 君たちはパイオニア的人生を送れ 」 と言われました。その頃は、何のことを言われているのか分からなかったんです。その後、終戦を迎えて僕は高校生になり、「 僕の前に道はない。僕の後ろに道が出来る 」 という、高村光太郎さんの詩を習いました。その後、大学生になって山岳部に入り、人類初のエベレスト登頂を夢みたのですが、1953年にエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイの2人が登頂に成功しました。それで僕らは、2番目でいいからエベレストに登ろうと思ったんです。けれどその時、先輩である今西錦司さん、西堀栄三郎さん、桑原武夫さんという同級生の三人衆に、「 お前たちは、ヒラリーやテンジンの後に登りたいのか?それはあかん。もっと低くてもいい、前に何もない、自分の足跡しかないところへ行け 」 と言われました。中学生の時は “パイオニアになれ” と教えられ、高校生の時は “僕の前には道はない” という詩を知り、大学生の時には、“低くてもいいから、前の真っ白な所へ行け” と言われた。それは、皆同じ事を指しているんです。つまり、“初めてのことを求めろ” と、それが尊い生き方であると。しかし当時の僕らは、中々それを見つけることが出来なかった。そんな時に、“南極観測隊” の話を知りました。南極というのは、アムンセン一行によって南極点到達を成し遂げられましたが、それ以外はほとんど分かっていなかった。そこで僕は、“南極大陸” それこそが、行くべきところだと思いました。当時の僕は京都大学に通っていたので、先生には 「 勉強をしろ 」 と大反対されましたが、“それなら辞めるしかない” と京都大学を辞めて上京しました。

… 後編に続く


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