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お江戸マメ知識

まるで本当に見てきたかのように「江戸のアレコレ」を語ってくれる、時代考証の山田順子先生。このコーナーでは毎週、そんな山田先生に“気になるシーン”について解説していただきます。

房楊枝で歯を磨いている仁。歯に繊維が挟まり、「(取ろうともぞもぞしつつ)……」

山田先生

江戸時代の人たちは、楊枝の先を細かく割いて作った房楊枝(ふさようじ)というもので歯を磨いていました。平安時代から「歯を磨く」という考えはあったけれど、庶民に歯磨きの習慣が普及したのはこの頃から。一般的に、白米などやわらかいものを食べるようになったので、その必要性が増したのね。楊枝の原材料は、柳の木や和菓子を頂くときに使う「黒文字」の木(黒文字という名の木があるのだそうです)など。仁先生が使っていたのを見てもわかる通り、房楊枝は今の歯ブラシと違って毛が柔らかくないから、口内に刺さったらとっても痛い!だから、横に動かすのではなくて、縦に動かして使うものなんですよ。
ただ、江戸の人たちが歯を磨くのは、朝起きたときだけ。眠りから覚めたときに「口内のネバつきが気持ち悪いから」という理由で、顔を洗うのとセットで行っていたようね。現代人みたいに、“食後”とか“寝る前”には磨かなかったのよ。
ちなみに、当時、歯磨き粉の代わりとして使っていたのは、目の細かい砂と塩を混ぜたもの。砂は“研磨剤”の代わり、塩は爽快感と歯茎の引き締め効果を狙っていたのでしょう。ただし、当時の人たちにも「口臭」という概念はあったので、さすがに大切なデートの前とか打ち合わせの前には、お茶で口をゆすいで出かけたそうよ。

それは、この世のものとは思われぬような気高さと美しさ。野風、美しくも冷めた微笑みを浮かべ……

山田先生

美の概念って、その時代によって異なるものよね。例えば現代でいうと、目がぱっちりとしていて、鼻が高くて、歯が白くて…。そんな女性が一般的に美しいと思われているのではないかしら。ところが江戸時代では、細くて切れ長の目、鼻立ちはスッとして、口が小さいことが美人の条件だったの。今回、最高級の花魁・野風を演じていらっしゃる中谷美紀さんにご提案させていただいたのは、花魁らしく見えるメイクね。中谷さんは大変現代的な美人さんでいらっしゃるけれど、少しだけ昔に好まれたエッセンスを取り入れることで、より花魁っぽくみせることが出来ると思ったの。
具体的にいうと、目とお口が大きなポイント。花魁は、お客様と正面に向かい合って座ることはまずないの。横並びに座って接客をするから、花魁にとって「横顔を美しく見せる」ことはかなり重要なことなのよ。実際にはしらふだけれど、目尻にはすこし紅をさして、ほんのりお酒に酔ったように上気したような“色っぽい表情”を引き出す工夫をしていたの。また、口元もお客様の注目度の高いパーツ。当時の美の基準では、小さければ小さいほうがよいと考えられていて、小さな口をさらに小さく見せるために、口紅を中央部分にしか塗らなかったそうよ。当時の紅は、大変貴重で高価なもの。…塗る面積が少ないほうが、経済的にもよかったのでしょうね(笑)。

講義にやってきた洪庵。すると、医者たちの会話が聞こえてくる。「コロリがまた?」「浅草でも出たって聞いたぞ」

山田先生

当時「コロリ」と呼ばれていた「コレラ」という病気は、もともとインドの風土病だったといわれています。19世紀には中国や東アジア、ヨーロッパなど世界各地に広がって、人々を死に至らしめたようです。なぜ「コロリ」と呼ばれていたのかというと、“3日でコロッと死ぬ病気”だと言われていたから。江戸では2度の大流行が記録されているけれど、原因のわからない当時の人々は、藁にもすがる思いで“誰かがよいと言いはじめた迷信”などを信じてただ、右往左往するばかりでした。その迷信というのも、“梅干しを食べる”とか“かごを軒先に掲げる”とか、常識で考えたらまったく根拠がないようなものばかりでねぇ。みんな、自分の信じる神社やお寺からもらったお札を戸口や窓などに貼って厄除けをし、病魔が自分の家に入ってこないように祈ったのよ。

山田先生への質問は締め切りました。たくさんの質問をいただき、ありがとうございました。