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お江戸マメ知識

まるで本当に見てきたかのように「江戸のアレコレ」を語ってくれる、時代考証の山田順子先生。このコーナーでは毎週、そんな山田先生に“気になるシーン”について解説していただきます。

打掛を着て座っている咲。栄「では、参りましょうか。咲」

山田先生

咲の結納のエピソードが登場したので、今回は江戸時代の結婚について補足的にお話しするわね。庶民は「お鍋ひとつで嫁入り」なんてこともざらだったようだけど、武家クラスの結婚ともなると話は別。互いの家格を考慮した縁談が組まれ、きちんとした順序を踏んで成立するものだったの。庭園を歩く咲が、「あれが蒲生殿だよ」と教えられて男性と会釈を交わすシーンがあったけれど、あれが当時の一般的なお見合いのスタイル。現代では落ち着いた場所に席を設けて、本人同士きちんと向かい合うのが普通だけれど、当時のお見合いというのはああやって庭先や神社などで“たまたま”を装って本人同士を遠目にすれ違わせる程度のもの。だから、互いの人間性なんてまったくわからないまま、次のステップ・結納に進むことになるのよ。
でも、当時の結納というのは結婚式にも等しい儀式だったから、咲ちゃんのようにここへきて「私はイヤよ」と話をひっくり返すなんてもってのほか。恭太郎が咲に刀を握らせて「自害せよ」と迫るシーンもあったけれど、あれは大げさでもなんでもなく、実際にありうるお話なの。江戸時代最大の誠意は「死」。一方的なわがままで破談となってしまえば“お相手の家に大恥をかかせてしまった”ということで、おわびのしるしが必要。厳格なお家柄であれば、親が娘を成敗しておわびとするようなこともあったはずよ。
ちなみに、蒲生家の代理人が持ってきていた結納の品には、昆布やかつおぶし、するめなどが並んでいたと思うけれど、昆布には“喜ぶ”、かつおぶしには“勝つ”、するめには“当たり目”などそれぞれ縁起のいい意味があってね。このほか、お酒や反物、帯生地、目録(支度金)などが一緒に届けられるのが普通よ。

江戸の人たちは、各自時計を持っていなかったはずなのに、どうやって時間を把握していたのでしょうか?先生、教えてください。

山田先生

時計自体は安土桃山時代にポルトガルやスペインから伝わってきたものがあって、江戸時代初期にはすでに、それを真似て日本の優秀な技術者たちが作ったものも存在していました。でも、高価なものだから、当然庶民たちの手に入るようなものではなかったし、大型で簡単に持ち運びを出来るようなものでもなかったのね。そこで、徳川家康の時代に考案されたのが、明け六つ(午前6時)と暮れ六つ(午後6時)に江戸城内に設置された時計を見た番人が、太鼓を叩いて時間を知らせるというシステム。さらに、2代将軍・秀忠の頃には太鼓を鐘に変え、時計の設置場所を日本橋本石町に移し、朝夕だけでなく一刻(2時間)ごとに鳴らしてより細かな時間を把握できるようにしたの。でも、一箇所で鐘を鳴らすだけでは、遠くに住んでいる人たちの耳にまで届かないでしょう?だから、江戸内の数箇所に鐘つき堂が設置されて、リレーゲームのようにして広範囲に時刻を知らせるようになったのよ。
ちなみに、鐘の聞こえる範囲に住んでいる人たちは、この「時の鐘を聞く」というサービスに対して1ヶ月につき1文(=25円)を幕府に支払っていたの。1文と聞くと安いと感じるかもしれないけれど、本石町の鐘だけでも聞こえる範囲には4百あまりの町が存在していたから、かなりの額が集金されていたはず。こうやって集められたお金は、鐘つき堂の修復代や、鐘つき番の賃金に当てられていたそうよ。

山田先生よりメッセージ

山田先生

これまで『お江戸マメ知識』を応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。このコーナーでは毎週、ドラマに関する事柄を補足的にご説明させていただいたり、お寄せいただいた疑問にいくつか答えさせていただいたのですが、この作品をきっかけに江戸に興味を持ってくださる方が増えたのなら、大変嬉しく思います。
『JIN−仁−』という作品は、主人公がタイムスリップして江戸に来たという非現実的なストーリーなので「反対になるべく江戸時代はリアルに描きたい」と思い、スタッフのみなさんには本当にたくさんのワガママを言いました。でも、その要求に一生懸命応えてくださったスタッフの方々の努力があってこそ、この作品はとてもいいものに仕上がったのではないかと感じています。しかし、江戸時代をドラマとして描くにあたり、どうしても忠実に再現しきれないことがあるというのも事実です。例えば、明かり。江戸時代の行灯というのは、電球に換算すると5ワット程度の明るさです。ロウソクでもせいぜい7、8ワットぐらいのものでしょうか。現代人がひとつのスペースに対し、20ワット以上の照明を灯して日々生活を営んでいることを思い浮かべれば、その暗さがお分かりになるかと思います。昔を再現した明かりの中で撮影を行うと、役者さんのお顔や手元が見えないほどの暗さになってしまいます。また、当時の武家の婦人たちは“おはしょり”(腰のあたりで着物をたくしあげること)をせず、室内では着物を引きずって歩いていましたが、これもそのままやると、役者さんの動きが制限されて闊達な演技ができなくなってしまい、作品のテンポが悪くなってしまいます。また野外のシーンではいちいち着物をたくしあげなくてはならず、咲ちゃんのように町中を走れません。
このほかにもやむなく“現代風”にアレンジさせていただいたところなどがございますが、そのあたりに関しましては、なにとぞご理解を頂けたらと思っております。
この作品に出会い、時代考証として関われたことは、私自身にとっても大きな糧となりました。応援してくださった皆様、本当にどうもありがとうございました!

山田先生への質問は締め切りました。たくさんの質問をいただき、ありがとうございました。