過去の放送内容

「がっちりマンデー!!」毎週日曜あさ7時30分から

がっちりマンデー!!

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2019年3月24日放送

特集

復活ほどじゃないけど…「ちょっとだけ復活」!
あの大阪の遊園地はどん底から「しょぼいイベント」で復活!?

ゲスト

森永卓郎さん、武田真治さん

番組内容

今回のテーマは「どん底からちょっとだけ復活」
会社の業績がどん底…っていうのはよくニュースになるけど、その後どうなったのかは、あんまり話題にならない。
でも、中にはV字とまではいかないけど、ちょっと復活してる会社はそこそこある。
その「ちょっと」にこそ、儲かりのヒントがあったのです!
今回は、一度はどん底を見るのも悪くない!
と思えるかもしれない30分です。

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ひらかたパークを復活させた「ツッコミ待ち」戦略とは!?

どん底からちょっとだけ復活!
まず最初にやってきたのは…

大阪府枚方市にある「ひらかたパーク」
通称「ひらパー」
開業はなんと100年以上前の大正元年で、木製のジェットコースターや大型の観覧車もある…

日本で一番歴史の古い遊園地。

来園者数は、高度経済成長とともに増え続け、1970年代の絶頂期には年間160万人に。
ところがその後、近くに大型ショッピングモールや、あのUSJが開業したこともあって、来園者が激減。
2011年には90万人を割り込み、1億円の赤字というどん底に。

そんな「ひらパー」が、今ちょっと復活しているらしい…
ということで、平日のお昼に行ってみると…
確かに結構、人がいます!

ジェットコースターもかなり並んでるし、その他のアトラクションも、まあまあ賑わっています。

ということで「ひらパー」を運営する京阪レジャーサービスのマネージャー、馬渕さんに話を伺いしました。

馬渕さん:ひらパーは今ちょっと復活中です。がっちり!

その言葉通り、ここ5、6年で来園者数がちょっと回復していました。
一昨年は、120万人を突破!

10年前のどん底時代のことを営業の津田さんに聞いてみると…

津田さん:当時、関西の経済があまりよくなかったので、急に新しいものが作れなかったんです。
そのことでお客さんが伸び悩んだということがありましたね。

「ひらパー」はなんとか営業を続けられたけど、周辺では同業の宝塚ファミリーランドやエキスポランドなどが、静かに閉園していったのです。

ではなんで、たったの数年で「ひらパー」が、ちょっと復活したのでしょうか?

2013年、V6の岡田准一さんを起用した宣伝戦略がかなり独特でした。

「逆に、ひらパー」「園長、暴走」など、お客さんが来ないのを、あえてネタにするキャッチコピーを展開したのです。

馬渕さん:お客さんからのツッコミ待ちみたいなところがあります。今はツイッターとかで、ばんばん反応してくださるので…。

関西人のツッコミ心を刺激する大作戦!
これにはお客さんも…

お客さん:CM観るようになった。印象強いです。

お客が来なければ、頭を使ってなんとかするのが、どん底ひらパー流。

馬渕さん:潤沢に予算があるわけではないので、どうやって既存のアトラクションに乗っていただくか、目を向けて頂くかを考えながらプロモーションを考えてます。

なるべくお金をかけないで、今あるアトラクションを面白くする。
そこで「ひらパー」は、次々と期間限定のイベントを考えました!
例えば…

2014年「目隠しライド」
普通の、どこにでもある垂直落下アトラクションに、アイマスクを付けて乗ってもらう。
たったそれだけ。
目隠しで景色を見せない、というまさかの発想。

でもこれで、ぐんとスリルが増すらしい。

お客さん:ひたすら怖かった!上がってるかどうかもわからなくて怖かった!

スタッフ:お金かかってないですよね?
馬渕さん:制作費だけですね。

これが話題になって、集客率も大幅にアップ!

2015年「おまライド」
CMでV6岡田さんが言う「スーパーひらパー兄さんでおま!」という決めゼリフをマネして、絶叫するときに…

おまーーーー!
と、叫んでもらう、それだけ。

スタッフ:これもお金かかってないですよね?
馬渕さん:そうですね。作ったのは飴だけですね。

おまのど飴をプレゼント、原価は一個5円くらい…?

2016年「ロシアン観覧車」
観覧車のゴンドラ40台の内…

4台の窓を塞いで、外が見えない状態に!

馬渕さん:運悪く、その4台に乗ってしまうと外の景色が全く見えない。

外が見えない観覧車に乗りたくて、何度も列に並ぶ人が続出したんだとか。

こうして、お金はかかってないけど、ひねりの効いた新イベントがいつも何かしらある。
そんなひらパーに、関西のお客さんがじわじわと戻ってきたのです。

お客さん:続けてくれてるからいいなと思います。一時限りで終わるのではなくて。

極めつきと言えるのが、つい最近まで行っていた「枚方万博」

2025年の大阪万博に先駆けて、「ひらパー」がまさかの万国博覧会を開催。

ホームページには「世界の神秘ミイラ展」とあります。
これは行かなきゃ!と案内してもらうと…

馬渕さん:こちらがミイラ展です。

ミイラ展は、ビーフジャーキーや干しエビ、するめなど世界の乾燥食品が並んでるだけ。

ツッコミ待ちのキャッチコピーで知名度を上げ、お金はかけないけど、今あるアトラクションに乗りたくなる作戦。
これをずっと続けて…

ひらかたパークは、アイデア満載でがっちり!

▼スタジオでお話を伺いました。
加藤さん:既存のアトラクションに、何か一個アイデアを加えるだけで行ってみようかなって思うっていうのはすごいですよね。
森永さん:関西はボケると突っ込んでくれるっていう文化があるんですよね。

レタスクラブは180度方向転換した「大ヒット付録」で5万部増!

どん底からちょっとだけ復活。
次は…

雑誌「レタスクラブ」

1987年創刊の、料理をメインにした主婦のための情報誌で…

90年代の最盛期には月に100万部売れていたのが、出版不況の波に飲まれて、その後の20年はどんどん部数が減少。
2016年には、12万部まで落ち込んで、廃刊寸前といわれるどん底に。

そんなレタスクラブが今ちょっと復活してると聞いて、カドカワの雑誌編集部を訪ねてみると…
一番奥に、レタスクラブの編集部がありました。

どん底時代を知る副編集長、三橋さんに、その頃のことを聞いてみると…

三橋さん:当時も色々取り組んでいたんですけど、なかなかうまくいかない状況でした。

そんなレタスクラブの何が変わったのでしょうか?

三橋さん:松田が編集長になってから大きく変わったと思います。

この方が、3年前にレタスクラブの新編集長になった松田紀子さん。
松田編集長になってから…

部数が約5万部も上がったのです。
一体何をしたんでしょうか?

松田編集長:コンセプトを「考えない!悩まない!生活はもっと楽にできる!」という風に、楽な方に振り切ったというのがポイントだったかなと思います。

雑誌のコンセプトを「もっと楽しよう」に変えたってこと!

以前のレタスクラブは、手間をかけたこだわり料理が中心で、いくらの醤油漬けを一から作ってみようとか、とりむね肉VSとりもも肉レシピとか、かなりレベルが高い。
そんなマニアックな料理特集を全部やめて…

松田編集長:包丁を入れて仕上がるまでに15分くらいで出来上がるような簡単な料理に全部集約しました。

例えば、チューブの調味料を使えば、楽して無駄が減るとか、ついで調理で時間貯金とか、とにかく「こだわり」から「楽する」に180度方向転換!

でも、なんで一気に、「楽しよう路線」に切り替えることにしたのでしょうか?

松田編集長:読者の方に片っ端からお会いして色々話を聞いたんです。読者の方の意見を聞いた上で「楽」に絞っていったんです。

松田編集長は、読者を会社に集めて、どんな内容なら読みたくなるかを細かくリサーチ。
その結果が、もっといろいろ「楽」したい!というニーズだったのです。

さらには、読者のリアルを知るために、ある秘密の作戦が。
早速、前田副編集長に同行させて頂くことに。

前田副編集長:これから読者のお宅にヨネスケ調査に行きます。

ヨネスケ調査。
これ、編集部員が、あの隣の晩御飯みたいに、読者のお家に上がり込んでグイグイ話を聞くって作戦。
この日は、埼玉に住む専業主婦、西澤さんのお宅。

まずは冷蔵庫の中をチェック。
どんな食材が入っているのかを細かく見ていきます。
昨日の残りという、味噌汁も…中を開けてみます。

続いて収納スペースやバスルームまで写真、撮りまくり。
ヨネスケ調査、何がポイントなんでしょうか?

前田副編集長:読者がどういう生活をしているのかを編集者の思い込みもあったりするので、読者が求める情報を探しにくるということです。

この日の気づきは…

「主婦は洗濯機の横のホースの汚れに困っている」というもの。

読者の自宅で、企画のヒントをつかんだら、撮った写真を見ながら会議でアイデアを出していきます。

松田編集長:確かにその企画やってないよね。ホースにホコリがたまる企画はやってないね!

みたいに、この会議から生まれたレタスクラブの大ヒット企画が…

毎号付録の「1ヶ月分の献立カレンダーブック」。

週の初めにこれとこれを買って、途中でこれを買い足す。
毎日書いてあるレシピ通りに調理すれば、メニューに悩まず、月の終わりに食材を全部使い切って無駄がなくなる!という目からウロコの便利付録。

松田編集長:献立を考えることから解放されてとても楽になったと、ご意見をいっぱい頂いてます。他社からもパクられまくってますけど(笑)。

出版不況と言われて久しい中、読者の声をしっかり聞いて、ちょっと復活。

レタスクラブは、考えない、悩まない、でがっちり!

龍角散はブランドへの「選択と集中」で驚異のV字回復!

次の会社は…

株式会社龍角散。

あの「ゴホンといえば龍角散」に、どん底の時代があったって、知ってました?

ということで、会社に伺ってみると…

フルートを気持ちよさそうに吹きまくる龍角散の初代から数えて8代目の藤井隆太社長の姿が。

社長兼プロの音楽家という、ちょっと変わった肩書きの藤井社長。

龍角散のどん底があったことは、みんな知らないと思いますが…

藤井社長:そりゃ、かっこ悪いから言えなかったでしょう。一応、ある程度、有名ブランドであるから別に私が借金作ったわけじゃないけど、引き継いでみたらこんな借金あるのかと、そりゃ、かっこ悪くて言えませんよ。

実は龍角散、1990年代の半ば、藤井さんが35歳でお父さんの跡を継ぎ社長になった頃、借金がかさんで、倒産の危機にあったらしい…

95年は売上げが40億円あったけど、借金も同じく40億円。

藤井社長:前社長の父親に財務諸表見せられて、「これ桁違ってんじゃないですか?」と。「売上と同じくらい借金あるけどどういうことですか?」って言ったら、前社長は「そうかな?」っていうから、怒りましたよね。「それでも社長か」と。ひどい息子ですよ。

でも、なんでそこまで借金がふくらんだのでしょうか?

藤井社長:まあ、ひと言いうと時代の波に乗り遅れたってことですね。

龍角散は、200年以上前の江戸時代に、キキョウやセネガなどの生薬成分で作られた医薬品。

そんな古い商品だけじゃダメだと、いくつか新商品を開発してみたものの、なかなか売れずジリ貧に。
どんどん借金だけが増えていきました。
だったら市場規模の大きい風邪薬や胃薬の分野に進出しようという声も上がっていたらしい。

藤井社長:私は猛反対でしたね。市場規模が大きいということは、当然競合もたくさんいるってことですよ。うちなんかかないませんね。私は止めました。当時の役員、番頭連中とは激しく対立しましたね。

このままじゃいかん!と、藤井社長が決断したのが、龍角散ブランドへの選択と集中。

それまで45年間販売していた、もうひとつののど薬ブランド「クララ」を発売中止にしたのです。

藤井社長:クララは長年お世話になったけど、もう諦めましょうと決断したんですね。(周りは)猛反対でしたね。営業全員反対で涙ぐんでるおっさんいましたよ。

その頃のことを知る薬剤師の坂口さんに話を聞いてみると…

坂口さん:クララって割とメインで売れてる商品で。驚きましたね。なんで無くしちゃうのかなと…思いました。

クララをスパッとやめた一方で、龍角散ブランドの新商品を投入。

粉じゃなくて顆粒の龍角散ダイレクトを発売。
さらには…

パウダーを飴にした龍角散のど飴も発売。
すると、この二つが大ヒットしたのです。

95年に40億円あった借金は、どんどん減っていき、ついに完済。
そしてもうひとつ、のどの会社として、藤井社長がこだわった画期的な新商品が…

「らくらく服薬ゼリー」と「お薬飲めたね」

ゼリーで薬を包んで、飲みやすくする商品なんですが、これも…

藤井社長:役員たちは猛反対ですね。だいたい反対ですよ。失敗したら私が買い取るからやらしてくれと、強行突破して。他の役員は、だったらおやりなさいなって感じでしたよ。

結果、服薬ゼリーは年間11億円を売り上げるヒット商品に。

借金もなくなって、龍角散の売り上げは95年の5倍、200億円になったのです!

35歳で就任した若社長が、どんなに反対されても決めたことをやり抜いたからこそ、龍角散は、のど専門で、がっちり!

▼スタジオでお話を伺いました。
加藤さん:「選択と集中」という戦略は練っていったものなんですか?
藤井社長:徹底的に現場まわって、世の中をみて判断しました。誰でも年取ったら保守的になるものなので役員が悪いわけじゃないんです。私だって、もうすぐそうなりますよ。
加藤さん:社長いつで辞めるんですか?
藤井社長:あと5年くらい。それ以上やったら必ず失敗する。
加藤さん:かっこいいですね〜!

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