過去の放送内容

「がっちりマンデー!!」毎週日曜あさ7時30分から

がっちりマンデー!!

過去の放送内容

2009年7月5日放送

特集

百年以上がっちりな東京の老舗

ゲスト

吹石一恵さん、森永卓郎さん(経済アナリスト)

番組内容

今日のがっちりマンデーは、百年以上がっちりな「東京の老舗」特集!次々と新たなビジネスが生まれては消える激動の大都会・東京。そんな東京で長年生き残っている「老舗」から成功の秘密を学んじゃいましょう!

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果物の老舗「千疋屋総本店」

日本橋にある「千疋屋総本店」。実は江戸時代から175年続く超老舗果物店!並んでいる品物を拝見すると…

このマンゴーは1個、1万3650円!その他にも、マスカットは1房1万2000円!そしてメロンは1個2万1000円!!
そう、「千疋屋」といえば高級果物の代名詞なんです!しかし、お店を始めた175年前は、ずいぶん違ったんだとか。そこで、「千疋屋総本店」の大島さんにお話を伺ってみると…

大島さん:当時は"水菓子安売り処"という形だったんです
スタッフ:安売り?
大島さん:激安の!

なんと、高級果物の千疋屋は当時、激安の店だったんです!

千疋屋の創業者は「大島弁蔵」というお侍さんで、槍の先生でした。ところが、天保の大飢饉により失業…。そこで日本橋の路上で野菜や果物を並べて、大安売りを始めたんです!

その激安路線を高級路線に変更したのが2代目の「大島文蔵」。この「大島文蔵」が目をつけたのが……高級料亭!料亭の常連客だった坂本龍馬や西郷隆盛など、当時の有名人やお金持ちをターゲットに、料亭でデザートとして美味しいフルーツをつけたところ、コレが大好評に!
当時の様子を伝え聞く大島さん曰く…

大島さん:西郷さんはスイカがお好きだったようで、うちの店頭によくいらっしゃって「でっけぇスイカ持ってこうよ」と注文を頂いたみたいですね。

こうして、幕末のセレブ達が次々と高級果物の虜になり、「千疋屋」は激安の店から高級店へと大変身を遂げたのです!

今や全国に名を馳せる「千疋屋」の主力は、やっぱり高級マスクメロン!

スタッフ:1日にどれくらい売れるんですか?
大島さん:2〜300個は。ホントにピークの時ですけどね。

「千疋屋」の売り上げのおよそ30%を占めるというマスクメロン!だから「千疋屋」のメロンに対するこだわりはスゴいんです!

日本有数のマスクメロンの産地、静岡県の袋井市にある農家と専属契約。1年中いつでもメロンを切らさないよう「千疋屋」専用のメロンを作ってもらっているんです!

さらに、「千疋屋」にはスゴい"メロンのプロ"がいるんです!それがこちらの金成さん。
なんと、この金成さんはメロンを叩くだけで"食べ頃の差"が分かるんだとか!
だから、届く日にちょうど美味しくなるメロンを選ぶこともできるんだそうです。
では、メロンを叩いた時の音ってどう違うんでしょうか?

金成さん:食べ頃が5〜6日くらい先の音っていうのは"カンカン"という音が。

実際に叩いて"音の差"を聞かせてもらいましたが、スタジオの加藤さんはじめ、素人には全く分かりませんでした…。

そして今、「千疋屋」でとんでもなく人気なのが……「世界のフルーツ食べ放題」!
「千疋屋」6代目当主・大島博社長が始めた夢のサービスです!毎週月曜日の夜7時〜9時(祝日の場合は火曜日)に、50名限定で1人4200円!
この夢のサービス、高級フルーツが食べ放題ということあって、人気が人気を呼び、予約がなかなか取れないんだとか!

毎月1日の午前9時からインターネットの予約受付がスタート!しかし、数秒で予約が埋まってしまうんだそうです!
そこで、スタッフが実際にやってみると…予約が始まったと思ったらホントに数秒で満席になってしまいました!

では、「千疋屋」は一体どのくらいの売り上げがあるのか、大島さんに伺ってみると…

大島さん:ホニャララ億…

今回は上手く話を濁されてしまいました…。

そんな「千疋屋」が175年も続いた理由は、「徹底した高級路線へのこだわり」にあったのです!

刃物の老舗「木屋」

日本橋にある「刃物の木屋」。江戸時代後期から217年続く老舗です。
「木屋」の包丁はプロの料理人も御用達のスゴいものなんだとか!そんな「木屋」の社訓は…"常に新しい研究を怠らぬこと"。
この社訓どおりに、「木屋」は次々と新しいヒット刃物を作り出しちゃったそうなんです!

昭和23年には、布がジグザグに切れる「ピンキング裁縫鋏」を発売。

このような形に布を切ることで布の端がほつれにくくなるんです!

さらに、木屋8代目当主「加藤俊男」社長が昭和30年に生み出した、錆びずによく切れるステンレス包丁「エーデルワイス」。加藤社長曰く、ステンレスとしては"世界一"なんだとか!
早稲田大学理工学部応用金属科卒業の加藤社長。その知識を生かして、鋼の"切れ味"と、ステンレスの"錆びない"という特性を併せ持った包丁の開発に成功したのです!

加藤社長自らが"木屋のドル箱"と語る「エーデルワイス」は、洋包丁売り上げの約50%を占める大ヒット商品!
"常に新しい研究を怠らぬこと"という新商品研究の社訓が217年の歴史を支えていたのです!

蕎麦の老舗「長寿庵」

続いては蕎麦の老舗「長寿庵」。「長寿庵」は街でよく見かける普通のお蕎麦屋さん。そのため「長寿庵って老舗なの?」と思ってしまいがち…。
ところが!その始まりは、なんと1702年!1702年といえば、時は元禄。忠臣蔵の討ち入りがあった年と同じ年。もしかすると、あの"大石内蔵助"も食べていたかもしれません!

現在、「長寿庵」は関東を中心に250店舗以上を展開!蕎麦屋さんのグループとしては"日本一"!そんな「長寿庵グループ」のトップが銀座にいらっしゃるということで、早速会いに行ってきました!

こちらの方が、長寿庵協同組合14代目理事長「天野安彦」さん。蕎麦一筋48年!

天野さん:ウチのそば美味いから召し上がってらっしゃい!

頂いたのは「鴨せいろ」。実はこの「鴨せいろ」、昭和38年に天野理事長が考案したものなんだとか!

ここで天野理事長が「長寿庵」の歴史に関するスゴいものを見せてくれました!それがこの『長寿庵の系統図』!
この系統図、「長寿庵」全店舗が「いつ」、「どこで」、「誰に」暖簾分けしてもらったのかが書かれたもの!「長寿庵」がどう広がっていったかが一目瞭然なんです。

天野さん:ちなみに私どもはコレですね。天野正吉が先代で私が小さく書いてある。
2代目安彦になっています。

銀座「長寿庵」からは約40軒が暖簾分けされているんだそうです!

そんな系統図を見て気になったのが、「十日会」「采女会」といった4つのグループ。「長寿庵」には、さらに4つのグループがあったのです。
では、一体これは何のグループなのでしょうか?

天野さん:出身地によって会派が出来たわけですね。

そう!「長寿庵」は店主の出身地別に会派が別れているのです。なぜそうなったかというと…
例えば、愛知出身のAさんが、東京の「長寿庵」で大成功。すると、それが地元・愛知で評判となり、愛知の若者が東京にいるAさんの下で修業をし次々と独立…
といった具合に店舗が増えていったからなんです!

そして「長寿庵」が増えたのにはもう1つ理由がありました!
独立すると、その店舗はみんな長寿庵協同組合に加盟するのですが、その年会費はたったの4000円!それさえ払えば、メニューや料金、店の造りなどは全て自由!
変にお堅くないところが人気の秘密なんです!

そんな「長寿庵」の暖簾分けで受け継がれるものは「秘伝のたれ」の作り方。それと…

天野さん:長寿庵の看板ですね。

そこで早速、天野さんにその"看板"を見せていただきました。

天野さん:これが登録商標の看板ですね!

そう!「長寿庵」という屋号は"登録商標"!許可がないと使うことができません。この看板はその「証」というわけなんです!
9年修行して独立した昭島「長寿庵」の中村さんは、長寿庵の自由なスタイルについて…

中村さん:結局は全部自分の責任だから、サボることができないですからね。だからやりがいがあるのかな。

と力強い一言。
300年以上続く巨大な老舗「長寿庵」。その"長寿"の秘訣は「同郷の団結と自由さ」にありました!

糊の老舗「ヤマト」株式会社

続いては日本橋にある「ヤマト」株式会社。「ヤマト」は創業1899年、明治時代から110年続く糊の老舗です。

1975年発売の液状糊「アラビックヤマト」は、現在でも年間およそ2200万本を売り上げる大ヒット商品!

そして、もう1つのロングセラー商品が「ヤマト糊」。この「ヤマト糊」は"ある場所"で大人気なんだとか!その場所とは……幼稚園!
日本全国1万3000もの幼稚園で使われ、幼稚園での糊のシェアNo.1!
幼稚園での人気の秘密を5代目・長谷川豊社長に伺ってみると…

長谷川社長:誰でも食べられる"でんぷん"を使っています!

そう、「ヤマト糊」の原料は、食べられる"でんぷん"!幼い子どもが誤って口の中に入れても大丈夫なんです。

1899年、木内弥吉が「ヤマト糊本舗」を創業。当時の糊の原料は"お米"でした。
しかし、110年前の糊は腐りやすかった…。
そんな時、弥吉は防腐剤の話を聞きつけ、でんぷん糊に混ぜてみたんだとか。すると…糊が腐らなくなった!
これを瓶に入れて売ったところ、会社や役所で評判になり、一躍大ヒット商品に!その後、でんぷん糊の原料は"お米"から"小麦"へと変わり、さらに1983年、小麦アレルギーの人にも安心して使ってもらえる新たな原料として…

長谷川社長:タピオカの"でんぷん"を使っています。

タピオカってデザートに使われるタピオカ!?そこで本当にタピオカのでんぷんが使われているのか調べてみると…

本当に"タピオカ"って書いてあります!
使う人の立場に立って原料を思いっきり変えちゃう!そんな臨機応変の精神こそが110年続く「ヤマト」の礎だったんです!

飴の老舗「榮太樓總本鋪」

新宿伊勢丹の地下1階にある"あるお店"。若い女性たちで賑わっています!

ディスプレイはとってもオシャレで、全く老舗っぽくありません!置いているのは化粧品…?店員の花島さんに聞いてみると…

花島さん:可愛らしい見た目にした"液状の飴"でございます。

そう、飴なんです!その名も「スイートリップ」(1本525円)。その食べ方は…パンにかけるもヨシ!ヨーグルトにかけるもヨシ!という、今までにない新感覚の飴なんだそうです。
可愛いデザインがウケて、若い女性に大人気のこのお店は…

『あめやえいたろう』。ここは飴の老舗「榮太樓總本鋪」が開いたお店だったのです!
一体デパートの一角でどれくらい売れているのでしょうか?「榮太樓總本鋪」の8代目・細田眞社長に伺ってみました。

細田社長:ホワイトデーが毎年ございますけれども、2週間14日までと考えますと、1300万円〜1400万円くらいです。飴だけでですよ!

たった1店舗で、2週間の売り上げはなんと1400万円!これが"飴だけで"というからスゴい!

そんな「榮太樓總本鋪」が創業したのは、今から152年前の江戸末期。創業者の初代・榮太樓はとっても商売上手なアイデアマンでした。

▼榮太樓のアイデアその1「人気商品の開発」

こちらが初代・榮太樓が考案し脈々と受け継がれる「榮太樓飴」。
実は明治の初め、飴は麦などの穀物から作った糖が原料の"水あめ"や"千歳飴"のようなものしかなかった!そんななか初代・榮太樓は初めて「砂糖」を原料に、食べ安い一口サイズの飴を作り、それが大ヒット!つまり「榮太樓飴」は現在の飴の元祖なんです!

▼榮太樓のアイデアその2「狭い店」

当時の店内は「奥行き2.3m、幅3m」。お店がたった2坪ほどの大きさしかなかったのにはワケがあるんです。それは…

細田社長:あえて間口を広くしなかったのは、お客様に並んでもらうためです。

そう、店が狭ければ行列ができやすい!そして行列ができるとお客さんの評判になる!というわけ。
今の人気ラーメン店などで見かける技を当時既に取り入れていたんです!

さらに、こちらの人気商品「梅ぼ志飴」には色っぽ〜い使い方が!

細田社長:芸者衆がこの飴を口に入れて、唇を舐めるとですね、光るというか少しキレイに見えるんですね。

そう、「梅ぼ志飴」は唇にツヤを出すために京都の芸者衆達も使っていたと言われているそうなんです。

先ほど紹介したリップグロスのような形をした人気商品「スイートリップ」も、実は「梅ぼ志飴」からヒントを得て生まれたもの!
ではスイートリップも唇に塗って使えるんでしょうか?

細田社長:たぶん塗らないでしょうね(笑)キスする前には良いかもしれないけどね!

こんな洒落っ気たっぷりの発想が、152年も続いた秘訣なのかもしれません!

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