過去の放送内容
2009年5月17日放送

特集
ご当地お菓子第2弾!!
ゲスト
斎藤精一郎さん(NTTデータ経営研究所所長)・眞鍋かをりさん
番組内容
今回のがっちりマンデーは、見ているだけで食べたくなっちゃう、
あなたの町のご当地お菓子第2弾!!
儲かる隠し味のヒミツに迫ります!
最新ご当地スイーツ マダムブリュレ
儲かるご当地スイーツ、バームクーヘンに"あれ"が乗って大人気!
まず最初にやって来たのは大阪府箕面市、
こちらのご当地スイーツ、お店の名は「マダムシンコ」。

なんだかお菓子屋さんぽくない名前ですが・・・
出迎えてくれたのはマダムシンコ 川村信子会長。
スタッフ:何でマダムシンコなんですか?
川村会長:銀座でクラブをやってました。
実は、川村会長、お菓子屋さんを開く前は銀座のクラブのママでした。
その時、お客さんへのお土産でよく洋菓子を渡していたため、お菓子には詳しかったんです。
その後、大阪に戻り2006年マダムシンコをオープン!
でも、お店にひとたび立つと銀座時代の血が騒ぎ、ついついお店を仕切っちゃうんですって!

こちらの看板商品は、会長が大好きなヒョウ柄の箱に入ったスイーツ!!

その名もマダムブリュレ 1.470円。
ふっくら焼いたバウムクーヘンに、メイプルシロップを染み込ませ、表面をカラッと焼いたのが大人気!
多いときで一日3000個が飛ぶように売れて、焼き上がるたびに完売!!
その作り方は・・・
(1)まずは専用の焼き釜でバウムクーヘンを焼きます。
バウムクーヘンは銀座のママ時代、お客様へのお土産で一番よく使ったお菓子!
(2)その後、バウムクーヘンをメイプルシロップにたっぷり浸す。
これは、マダムが子供の頃、ホットケーキにかけるメイプルシロップが大好きだったことから思いついたアイデア!
(3)さらに、砂糖をつけて
(4)最後にバーナーで表面をカリカリにします!
マダムブリュレはマダムの経験や思い出から生まれたスイーツだったのです!
そんなマダムブリュレ、デパートに出せば即日完売!10分間で600個が売り切れたこともあるそうです!!
これは儲かる!と思い、たくさん作ろうとしたのですが、一つ弱点が・・・
それは上のメイプルシロップが溶けちゃうこと。
そうすると見栄えが悪くなるため、作り置きができなかったのです。
しかし、そこでマダムは考えました!!
川村会長:どうにかして日にちが持つ方法はないかと考えて、冷凍するようになったんです。

なんとバウムクーヘンを凍らせちゃうという突拍子もないアイデア!
お店で働くパティシエの竹原靖さんにお話を伺うと、
竹原さん:普通に考えたらナシですが、実際に食べたらおいしかったので。
これで、お店だけではなく、百貨店や通販での販売が可能になったんです!
そんなマダムブリュレ、1日の売上が400万円を超えることも!
そんなマダムシンコはマダムブリュレでがっちり!
最新ご当地スイーツ 霧の森大福
儲かるご当地スイーツ、お次は愛媛県で毎日売切れのお菓子!
愛媛県松山市にある「霧の森菓子工房 松山店」の前には、
開店前からご当地スイーツを求める人だかり!

10時の開店直後から飛ぶように売れ続け、わずか1時間足らずで、なんと200箱が完売!
ものスゴイ売れ行き!
がっちりマンデー経済予報士見習い 水野真裕美もちゃっかりお買い上げした正体は??

霧の森大福1個157円(8個入り1箱1050円)
大ヒットのわりにはチョッと地味・・・
大福といっても緑色をしてますが、一体どんなお味なんでしょうか?
水野:すっごい抹茶の香りがします!ん?ちょっと苦い?いや甘い!
これ、決して水野の味覚がおかしいわけではありません。
これこそが霧の森大福の人気のヒミツ!

中には甘い生クリームとこしあん、それが苦味の効いた抹茶を練りこんだおもちに包まれて、さらに表面にもたっぷりの抹茶。
抹茶の苦味と、中身の甘さの絶妙なバランスがウケているんです!
店頭では即日完売という事で電話注文にも対応。
しかし、スタッフが東京から電話すると・・・
お店の方:お届けが、来年の1月の終わりから2月にかけてになります。
なんと来年まで食べられない!
インターネットでも不定期で販売。

しかし、50箱限定のところ4000人が殺到!!
毎回80〜100倍の抽選倍率なのです!
なかなか手に入らない霧の森大福、儲かりポイントはズバリ「抹茶」!!
ということで、松山市から車で1時間、抹茶の産地・新宮町のお茶畑に行き、霧の森 井原巧社長にお話を伺ってみました。
井原社長:実は無農薬なんです。すべて完全無農薬!

ここの抹茶は無農薬栽培されており、100gで約2000円という貴重な物。
それを大福1個に、お茶1たてと同じ量だけ使っているのです。
この贅沢さがおいしさのポイント!
でも、この霧の森大福、最初から売れていたわけではなく、発売当初は赤字続き・・・
水野:最初は赤字だったのが、黒字になったきっかけは何だったんですか?
井原社長:ネット社会だと思います、インターネット販売です。
売上が伸びたきっかけはインターネット販売。
しかも、この販売方法がちょっと変わってた!
それは、とっても丁寧なメールのやり取り。
普通はインターネットで注文すると、数日後に商品が届くだけ。
しかし、霧の森大福を注文すると直ぐには商品が届かず、お店から何故かメールが届く。
その内容は注文の確認のほかに、販売とは関係のない世間話まで!
これに返信をしないと大福が送られてこないため、ちょっと面倒くさい気もしますが、お店にいるような丁寧な接客が大好評!
「あのお店は親切で信用できる」と、ブログや口コミで評判が広がりブームに火が付いたのです!

ネット販売を始めた頃から、売上げはグーんと上昇し、7年間で10倍に!!
そんな霧の森大福はがっちりです!
最新ご当地スイーツ ざびえる
前回の放送で地元のご当地お菓子を募集したところ、たくさんお手紙いただきました!
中でも最も多く推薦があったのが、大分県の「ざびえる」。
大分ではみんな知っている超有名お菓子らしいのですが、なぜか一度店頭から消えてしまったそうなんです。
一体どういうことなのか?
大分市内のデパートを訪ねると・・・

ありました!こちらが大分のご当地お菓子「ざびえる」!お客さんも・・・
お客さん:大好きです!おいしいです!このあんこだけは他にはないです!
やっぱり大分では大人気!!
見た目は和菓子のようですが、外はサクサクっとしたクッキー生地で、
中は白あんというちょっと変わったお菓子。
ざびえるが誕生したのは1962年、発売以来大分の皆さんに愛されてきたのですが、
2000年発売元の長久堂が自己破産・・・
それにともない「ざびえる」姿を消したのです。
販売していたお店トキハデパート 曽根崎雅志さんにお話を伺うと、
曽根崎さん:ざびえるはお菓子の中で一番人気があった商品だったんで、復活してほしいという要望はたくさんありました。
そんな声に応えてざびえるを蘇らせたのが、ざびえる本舗 太田清利社長。
社長は元々、自己破産した長久堂の営業課長だったんです。
太田社長:かなりショックでした。このお菓子に勝るお菓子はない。是非残せるものなら残した方がいいって思いましたね!
社長のざびえるに対する熱〜思いと、それに共感した7人の元従業員と共に2001年ざびえるを復活させたのです!
自己破産した長久堂は、ざびえる以外にもケーキや団子、洋菓子、和菓子を取り混ぜて100品目もの商品を販売、手を広げすぎた事が失敗の素でした。
そこで、社長は看板商品のざびえるを中心に、2品目に絞って販売!
さらに、太田社長は直接ざびえるを卸すことができる店舗を選んで販売。
自分達で品質や賞味期限などを直接把握できる場所で、大切に売っているのです。
こうした努力の甲斐もあって「ざびえる本舗」の売上げは5億7000万円!!
年間700万個が売れるまでに成長!
そんなざびえる本舗は、ざびえるでがっちり!!
最新ご当地スイーツ ゴーフル
儲かるご当地スイーツ、神戸の定番の"あれ"には意外なヒミツが!
江戸時代末期の開港以来、西洋文化が早くから取り入れられた兵庫県神戸。
こちらのご当地スイーツは・・・?

神戸凮月堂ゴーフル 15枚入り1575円
神戸凮月堂本店 新井耕介店長によると、
新井さん:我が社は100億円売上がありまして、そのうちの6割、60億がゴーフルです。
今や神戸の代表的スイーツとも言えるゴーフル。
なんといっても大きくて薄〜いのが特徴!

ゴーフルは元々フランスのお菓子で、この様に分厚かったのです。
それが日本で薄くなったワケは?
新井さん:せんべいという日本を代表するお菓子のイメージで、せんべい状にしてはどうかと言うことで薄くしました。
日本のゴーフルは、フランスのゴーフルにせんべいの要素を取り入れたため、薄くなったのです。
実際にゴーフルを作っている工場でも、薄さへの工夫が・・・

焼くときに、わざと周りを残して焼き上げる。こうすることで、薄くてもムラなく均一な厚さになる。

さらにクリームも直接塗るのではなく、先に均一に伸ばしてからつけます。
こうして生まれたゴーフルですが、発売当初は数ある洋菓子のひとつという程度。
神戸凮月堂を確立したのは、戦後間もなく社長に就任した2代目の吉川進。
進が、売場として目を付けたのが、百貨店。
昭和30年当時のお値段、3枚で100円!
現在の価値でおよそ1000円!!と、少々お高いですが・・・
実は、この値段設定が、進物菓子としての高級感を演出して大成功!
今では全国2000の百貨店や直売所で販売するまでに成長!
そんな凮月堂はゴーフルでがっちり!
最新ご当地スイーツ ういろう
続いての儲かるご当地スイーツは、名古屋名物の意外な事実が明らかに!?
名古屋駅前で定番のお菓子を聞いてみると・・・
街の人:ういろう!

青柳ういろう 1本368円
トップメーカーの青柳総本家では、棒状のタイプで年間約110万本、
ひとくちタイプで約900万個を生産しています!
しかし、名古屋名物ういろうには衝撃の事実が・・・!?
青柳総本家 後藤知成さんによると、
後藤さん:ういろう自体はもともと小田原が発祥になります。
何と、ういろうは名古屋生まれじゃなかったんです!!

そこで、神奈川県小田原市に行ってみると、お城のようなお店の看板には、確かにういろうの文字が!
さらにお店の方から衝撃発言が!?
店員さん:実は私"ういろう"という名字でありまして、ういろう武と言います。

頂いた名刺を見てみると、確かにういろうさん!
こちら、24代600年に渡って小田原でういろうを作り続けている超老舗、株式会社ういろうだったのです!
実は、「ういろう」という言葉は、ういろうさんの家が作ったお菓子、という意味だったのです。
では小田原で生まれたういろうが、なぜ名古屋の名物になったのでしょうか?
再び青柳総本家さんでお話を伺うと、
後藤さん:昭和6年に名古屋駅の方で、ういろうの立ち売りを始めまして、
1931年に青柳さんが、ういろうの美味しさを広めようと、名古屋駅のホームで売り出したところ、たちまち大人気に!
さらに、東海道新幹線が開通した時には、名古屋名物として青柳のういろうだけが車内販売の許可を得る事に成功!
「名古屋名物ういろうはいかがですか〜」という売り文句で知名度が上がり、今やういろうと言えば名古屋となったのです!
そんな青柳総本家は、ういろうの年間売り上げ約20億円でがっちり!!