過去の放送内容

「がっちりマンデー!!」毎週日曜あさ7時30分から

がっちりマンデー!!

過去の放送内容

2009年2月1日放送

特集

儲かるご当地お菓子

ゲスト

森永卓郎さん(経済アナリスト)、和希沙也さん

番組内容

今回のがっちりマンデーは、出張予定のお父さん必見!
儲かるご当地お菓子
最新スイーツからロングセラーのヒミツまで徹底解剖!

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モンシュシュ「堂島ロール」

最初のご当地スウィーツは大阪から、毎日行列が絶えないケーキ!?
大阪市北区堂島浜にあるケーキ屋さんの「モンシュシュ」

開店30分前だというのにお店の前はお客さんで一杯!その数、なんと150人の大行列!!
そんな並んででも食べたいご当地お菓子はこちら!

ご存知、堂島ロール1.200円(1個) 大阪生まれの超人気スウィーツです!
2003年、堂島にオープンしたモンシュシュ、こだわりのスウィーツがオフィス街のOLやサラリーマンに大ウケ!

なかでも堂島ロールは1日3千個を完売するという人気ぶり!
その後、名古屋・東京へと進出し、その人気は今や全国区!

実は、こちらの美人姉妹が堂島ロールの生みの親。
そこで株式会社モンシュシュ 金美花社長(姉)と金春花専務(妹)に堂島ロールが売れたきっかけを伺いました。

金美花社長:きっかけは、堂島のすぐ近くに北新地という高級クラブ街がありまして、高級クラブのママが手土産として使ってくださったのがきっかけなんです!

金美春専務:ホント北新地の町から広がったよね。
 
番組スタッフ:お二人とも甘い物は好きなんですか?
金美花社長:実はあまり私が生クリームが得意じゃなくて…
金美春専務:(姉は)口がオヤジなんです!私は大好きなんですけど
金美花社長:妹は大好きなんですけど、私は生クリームが特別好きじゃなくて…

なんと甘い生クリームが苦手という社長、そこで出来上がったのは生クリームの甘さをグッと抑えた堂島ロール!
ところが、その甘さ控えめなところがサラリーマンに大ウケ!

確かに行列を見てもなんと半数以上が男性客!

そんな堂島ロールのもう一つの特徴は、ロールケーキなのにスポンジ生地を一巻きしかしてないところ!

金美花社長:実はもともとは渦を巻いていたんです。でも最初のオープンの時に売り切れでお叱りを受けたので、私がシェフに生地を半分にしたら2倍作れるんだけどって言って出来ました。

生地が足らず無理やり巻いちゃえ〜って出来たのが太巻き状の堂島ロール!
ところが、生地が半分になったおかげで生クリームの量は2倍!
2倍にしても甘さを抑えているから丁度いい味になったのです。

さらに、堂島ロールを全国に広めた営業戦略がありました!

金美花社長:私は営業は絶対にしない主義なんですよ。私たちがここに出店しようと思って出店したことは一度もありません!

なんと売り込みは一切しないんです!

金美花社長:好きな人がいたとして、10回告白するから付き合える、というもんじゃないと思うんですよ。その人と付き合うと思ったらイイ女になる事!絶対に自分から告白しない!自分から営業に行かない!

お姉様、営業も恋愛も待つタイプとか!
そんな作戦が功を奏して三越や東急百貨店といった一流百貨店から続々と出店依頼の熱烈なラブコールが!
モンシュシュは堂島ロールでがっちり!

シベール「ラスクフランス」

続いてのご当地スウィーツは山形から、山形発の超儲かりお菓子とは?

今、山形で生まれたラスクフランス950円(28枚)が大人気なんです!
ラスクとはスライスしたパンに砂糖をまぶして焼き上げたお菓子。

山形県山形市蔵王にあるシベールのラスクフランスは、年間約400万個を販売!
売上はなんと約44億円!!
そもそも何で山形のラスクがそんなに売れたのでしょう?
そこで株式会社シベール 熊谷眞一社長にお話を伺いました。

熊谷社長:ラスクの場合はフランスパンを一回作って(フランスパンで)儲けているわけですね!それをさらにラスクに加工する事でもっと儲かるんです。

もともとラスクは売れ残りのフランスパンで作るので2度儲かる!まさにオイシイお菓子!
さらに…

熊谷社長:フランスパン作っているパン屋さんは全国どちらのパン屋さんも(ラスクを)作っていたんですね、それを改めて進物になるという発想をしたのは私が初めて!

普通のパン屋さんでも売れ残りのパンで作っていたラスク。しかしシベールのラスクは丁寧に小袋に入れ、ガーリック味やショコラなど6種類のラスクを開発!
それを贈り物として通信販売することで、全国的に大ヒットしたのです!!

ところが、昔はシベールのラスク作りに反対する人もいたんだとか…

熊谷社長:ウチのパン屋の親方は「ラスクにするためにパンはオレ焼けない」といい、それを説得するのに5、6年もかかっているんです!

しかし、社長が何が何でもやりたかったラスク作りは大成功!
今では職人さんたちも納得して、ラスク専用のフランスパンを焼いてくれているそうです。

フランスパンのおまけ的存在から、一躍山形を代表するお菓子に急成長!
そんなシベールのラスクは山形でがっちりです!

株式会社ひよ子「名菓ひよ子」

次なるご当地スウィーツは、ご当地が2つある謎のお菓子?
そこで、やってきたのは東京駅のお土産物売場、東京土産の定番と言えば…?

そう、名菓ひよ子 578円(5個)

しかし福岡でも定番土産を聞いてみると…?

街の人:福岡のものなんですよねひよ子は、アレは福岡の飯塚が本店です!

福岡の飯塚市が本店?
一体どういう事なんでしょう?

そこで、飯塚市にあるひよ子飯塚総合工場を尋ねてみました。
迎えてくれたのは株式会社ひよ子 営業本部 塚田憲二郎さん

早速、ひよ子は東京土産か?福岡土産か?伺ってみました。

塚田さん:どっちでもOKです!

どっちでもOKって一体どういう事なんでしょう??
実は、ひよ子の生い立ちにヒミツが隠されていました!
ひよ子は大正元年、九州の炭鉱町、飯塚で生まれました。
創業者・石坂茂さんが考案したまんじゅうは、何故か可愛らしいひよ子。
当時、飯塚は養鶏が盛んな町でした、そこでよく見かけたひよ子をマネて作ったのです。

そんなひよ子は意外な人達に大ウケ!

塚田さん:もともと(ひよ子を)求められていたのは、飯塚が炭鉱が盛んだった事が始まりだと思います。

当時、ひよ子を楽しみに食べていたのは炭鉱夫、肉体労働で疲れた身体を元気にしてくれると、甘いひよ子まんじゅうは大好評に!

飯塚で生まれた、ひよ子を有名にしたのは炭鉱夫さん達だったのです!

でも、福岡の飯塚で有名になったひよ子が何で東京土産になったのでしょうか…?
昭和31年福岡から東京までの特急が開通!
すると、ひよ子は東京でも知られ大人気に!直営店やデパートで次々と売られるようになると、予想外の出来事が…!?

塚田さん:東北の方々を中心に東京の土産として徐々に定着をしていって、それが今東京土産としても広まっているんです。

なんと!東京土産に定着した原因は、東北の人の勘違い!
でもひよ子にとって東京進出の大チャンス!
そこで、ひよ子は考えました。

そこで飯塚でもない福岡でもない東京土産として売っちゃったってわけ!

そんなひよ子を製造している製造工場に潜入しました。
そこで目にしたのは、まさにひよ子が生まれる瞬間!

皮に包んだ餡をひよ子型にプレス。ちゃんとクチバシも付いてます!

その後、約20分焼き上げると、こんがりキツネ色に、最後の工程は目を付けて出来上がり。
1日15万羽製造されているそうです。

ひよ子は福岡と東京でがっちり!

株式会社おたべ「おたべ」

続いてのご当地スウィーツは兵庫から、和菓子の伝統を覆したお菓子とは!?
伝統和菓子メーカーが集う京都。

その京都土産の大定番と言えば「おたべ」
中にアンコが入って薄く延ばした和菓子。
年間販売数は80万箱を誇る、京都土産のロングセラー商品!

しかし、そんな「おたべ」を創業したのは…

株式会社おたべ広報 西田博一さんにお話を伺いました。

西田さん:八ッ橋業界で言うとウチが一番新しい会社になります。

おたべは八ツ橋業界では「新入り」だったのです。
そんなおたべの創業は昭和21年、京都は20社以上のメーカーがひしめく八ッ橋の激戦区!

意外と知られていませんが、八ッ橋とはもともと焼いてある硬いもの、生八ッ橋とは焼く前のもの。

そこで、創業者の酒井清三さんが「粒あん」を包んで発売したのがおたべ。
当時業界では、餡を入れた生八ッ橋なんてまったくの常識はずれでしたが、甘い物好きの女性にウケて大ヒット!

八ッ橋の名前が全国で有名になったのは、おたべが餡子入り生八ッ橋を作ったからなんです!
京都でおたべが成功した理由は、常識に捉われない新商品に挑戦した事!!
今では1日約80万個のおたべが製造され、年間売上は約50億円!!

おたべは生でがっちりです!

石屋製菓「白い恋人」

最後のご当地スウィーツは北海道から、奇跡の復活を遂げたアノお菓子!

まず、むかったのは北海道新千歳空港。
そこで、スカイショップ小笠原の笹木優伸さんにお話を伺ってみると。

笹木さん:新千歳空港はお土産が日本で一番売れている空港になりますので、お土産が生き残るには厳しい空港になっております。

そうなんです、北海道はご当地土産の超激戦区!
そんな中、今注目のご当地お菓子といえば…?

石屋製菓の白い恋人 2.465円(36枚)
しかし、白い恋人は2007年8月に発覚した賞味期限の改ざん問題で、3ヶ月間の生産・販売の停止処分に!
約23億円の黒字から経常損益8000万円へと転落、ホントに大丈夫なんでしょうか?

そんな石屋製菓の本社にがっちりスタッフが潜入!

すると出迎えてくれたのは腰の低〜い石田製菓株式会社 島田俊平社長。

番組スタッフ:やっぱり売上は厳しいですか?
島田社長:結構復活までは大変でしたね

番組スタッフ:復活されたんですか?!
島田社長:えぇなんとか!

そうなんです!白い恋人は販売が再開された当日、札幌の百貨店や土産物店では、午前中に完売しちゃうほど!
不祥事前と比べ何と25%増しの売上!
まさにV字復活を遂げていたのです!!

島田社長に工場を案内してもらうと

島田社長:スミマセンこちらが白い恋人の工場です。スミマセンあれは印字をしてます。あっスミマセンこれはあの…

スミマセンの連発!もうそんなに謝らなくていんですよ。

石屋製菓の創業は昭和22年水飴など駄菓子を造る会社でした。
そんな石屋成果が昭和51年白い恋人を発売。

「白い恋人」そんな素敵なネーミングにしたのは、フランスで行われた冬季オリンピックの記録映画のタイトル「白い恋人たち」から拝借しちゃったんだとか。
ところが発売当初の人気は今ひとつ…

そこで考えたのが飛行機の機内菓子!
機内菓子に採用されることで北海道に着く前から「白い恋人」がアピールできる!
これが旅行者にウケて、たちまち大ヒット!

白い恋人は、今人気の空スウィーツの先駆け的存在だったのです!
V字復活した白い恋人の売上は過去最高の100億円突破の勢い!

石屋製菓は白い恋人でがっちりです!

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