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「がっちりマンデー!!」毎週日曜あさ7時30分から

がっちりマンデー!!

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2006年6月4日放送

特集

FANCL

ゲスト

(株)ファンケル 池森賢ニ 名誉会長

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FANCL

ファンケルといえば無添加化粧品。
防腐剤や殺菌剤を一切使わない肌に優しい化粧品として女性から圧倒的な支持を得ているんです。
さらにはさまざまなサプリを始め、青汁や発芽玄米など健康食品の売り上げは400億円と業界売り上げNO.1!!1999年には東証1部上場も果したのです。

このファンケルを一代で築いたのが池森賢ニ名誉会長。
会長にはこれまで、凡人には到底出来ない波乱万丈の生き様がありました。

1937年三重県に生まれ、8歳の時に事故で父親を亡くし、親戚に預けられました。
中学卒業後上京した会長は住み込みで働きながら、通信教育で高校卒業資格を取得したのでした。

そのころの日記には
「人間は一日ニ、三時間寝れば大丈夫 寝ていないと思うから眠くなる」
とつづられていたんだとか。

その後、大学へ入学するも、授業にでる余裕がなく中退。
このころ、池森青年にある才能が開花します!

それが歌!!
各地ののど自慢大会を荒らしまくり、稼いだ賞金を生活の足しにしていたんだとか。
あの、巨匠古賀政男からプロ歌手への誘いを受けるものの、「地道が一番!」ときぱっり断り、ファンケルを設立!!したのかと思いきや、ガス会社に就職。

15年間バリバリ働き、1970年代に流行っていた「脱サラ」というフレーズにあこがれて37歳で会社を退職。そしてファンケルを設立!!かと思いきや、仲間と資金を出し合ってコンビニのようなお店をオープン。
しかし、わずか8ヶ月で倒産…。仲間が次々と逃げ出し、2400万円もの借金を抱えてしまったのです。

ここで一年発起してファンケルを設立!!かと思いきや、兄のクリーニング店で注文取りの外交員をやらせてもらうことに。

給料は歩合制。清潔感を出すために白衣に蝶ネクタイ姿でモーレツに働いたんです!

持ち前の営業力で、人の20倍、月に300万円稼ぐこともあったんだとか!!
たったの2年半で2400万円の借金を返済したのでした。

そんな中、営業中に化粧品による肌トラブルに悩む女性が多いことを知った会長。
実は70年代後半、化粧品による被害が大きな社会問題になっていたのです。
「皮膚トラブルのない安全な化粧品があれば必ず売れるはずだ」と思い、化粧品に関して何も知らなかった会長は専門書を読み漁り、猛勉強を開始。
皮膚トラブルは、化粧品に含まれる添加物が原因であることは明らかでした。
そこで、「無添加の化粧品を作ろう!」ということでついに1980年に資本金24万円でファンケル化粧品を設立!!
池森賢ニたったひとりの、43歳の決断でした。
社名の由来はFINE(不安) CHEMICAL(蹴る)つまり、不安を蹴ると言う意味があったのです。

化粧品工場に防腐剤などを使わない無添加化粧品の作成を依頼した会長は、お店も販売ルートももっていないため、通信販売を選んだのでした。

自ら、無添加の安全性を書き綴ったチラシを配って歩き、客から電話をうけると曲げたうでが痛くて戻らなくなるほど、懸命に商品を売り込んだのです。
しかしここで大問題が…。
無添加の商品では、客が使い切るまでに著しく品質が落ちてしまうのです。
そこで会長が思いついたアイディアは、その当時業界では奇想天外な「腐る前に使いきれる一週間分の量をサンプル瓶に密封してうればいい」というものでした。

おしゃれで可愛く、持ち運びに便利という理由で人気に!
また通販での商品受け渡しにも一工夫したのでした!

池森会長の儲かりテクニック

▼池森会長の儲かりテクニック:置き場所指定制度
今のように宅配時間指定がなかった時代、お客さんが不在の時には商品を持ち帰っていたのでした。
しかし、「こんな無駄なことはない!」と会長は渋る宅配会社を説得し、客が留守のときは客の指定したドア近くの場所に商品を置いてくる仕組みにしたのでした。
このサービスで一個あたりの配送費用が7円下がり、数億円のコストダウンに成功しました。

▼池森会長の儲かりテクニック:1000円お試しセット
サンプル商品といえば無料というのがその当時の化粧品業界の常識。
「化粧品に問題認識のあるひとにだけリピーターになってもらいたい」ということで、会長はサンプルをセットにして手ごろな価格の1000円で販売したのです。
今ではどの化粧品メーカーにもお試しセットの始まりでした。
サンプルを販売するという、業界でも誰も思いつかなかったこのアイディアは空前の大ヒットを記録。
敏感肌に悩む、本気の客を囲い込むことに成功したのです。
無添加化粧品は瞬く間に、時代の大ヒット商品になっていきました。

ファンケルのお店は全国に213店舗。通販からスタートして、店舗販売にも乗り出すという今では当たり前の戦略を編み出したのも、池森会長なのです!!

Q:ファンケルを設立したのが43歳で、全く触れたことのない分野でしたが怖くなかったですか。
A:当時、化粧品トラブルで悩んでいた人たちがたくさんいたので、この人たちを助けたいと思いやりました。一番最初の化粧品をお見せします…

化粧品業界の人は化粧品で女性に夢を売っていて、そのような薬のようなものは売れるわけがないと、相手にしませんでした。従来の常識を破ってみると、意外と面白いものが見えてくるのです。

Q:失敗や、苦労したことはありましたか。
A:新しい事業をどんどん立ち上げてしまうので、そのうちのいくつかは失敗しています。例えばSSやLLサイズに絞ったアパレルの販売などです。

Q:人生を振り返るといかがですか
A:倒産や借金を返したということが、自分の自信になりました。あのときの倒産がなければ今のファンケルはないと思っています。

ファンケルの化粧品事業と並ぶもう一つの柱が、サプリ・健康食品事業。
いまや、コンビニの一角を支配するさまざまなサプリメントがあります。
実はこのサプリメントがコンビニで売られるようになったのもファンケルのおかげなんだとか。

それは、90年代後半、サプリメントが栄養補助食品と呼ばれて価格の高かった時代に、超低価格路線で市場に参入したのが、ファンケルだったのです。

低価格ながら、高品質の化粧品と健康食品を開発するために作られたのが、ファンケル総合研究所。

ここでは、総勢98名の研究者が化粧品部門と健康食品部門に分かれてお仕事をしているんです。

並べた炊飯器には、水加減を変えて炊き上げた発芽玄米が…今ファンケル一押しの商品なんです。

発芽玄米は、玄米を発芽させることで栄養価を高くし、食べやすくしたお米。
今は発芽米のおかゆを出すための具材を探しているところなんだとか。
そこに並んだ食材はふぐの白子やワタリガニなどどれも高級なものばかり!!

次は、ドリンク。ファンケルでドリンクを言えば青汁。
あの飲みやすい青汁を作ったのが、この研究所なのです。

青汁を何で割ったら飲みやすくなるのかを実験しているんだとか。
青汁の原料はそのままだと苦いケールの葉っぱ。
なぜファンケルの青汁が飲みやすいのかというと、絞る前の工程に秘密が。でも企業秘密です!

そして今東京のファンケルショップである異変が起きていました。
特定の人たちに良く売れているんだとか…それは香港の人!!
海外7つの地域と国に進出しているファンケルの中でもっとも良く売れているのが香港と言う訳。

日本人が海外でブランド物を買うのと同じように、香港より日本で買ったほうが安いためにみんな買っていくんだとか。
アジアの市場では既に高級ブランドとして認知されているファンケル。
ますますファンケルは儲かりそうですね!!

▼引き続きゲストに質問しました。
Q:サプリという言葉を使い始めたのもファンケルなのですか?
A:そうです。健康食品はイメージが悪くかったので、当時アメリカで使われていたサプリメントという呼び名を使うことにしたのです。そのことと、価格破壊がサプリメントブームに火をつけたのです。

Q:他社の価格とはどのくらい違っていたのですか?
A:5分の1くらいです。研究も販売も自分たち企業で行っていたため、安くすることができました。

Q:会長が社員に対して怒ることはなんです
A:社員のお客様に対する対応です。売り上げよりもお客様に喜んでいただけることをやるように指導します。このことが最終的に売り上げにつながるのです。

Q:会長が次に考えている健康ビジネスを教えてください。
A:抗老化です。年齢による皮膚や健康の衰えなどは万人にくるものなので、ファンケルではその部分を中心に研究しています。

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