JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス

JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス 毎週(木) 午後11:00〜11:30

JNN系列の記者が、ニュースで伝えきれない「こだわり」を込めたドキュメンタリー番組。そこからは日本の、世界の、人間の、さまざまな知られざる側面が見えてきます。ニュースのその後はもちろん、歴史も文化も、記者たちの視点でとらえたドキュメンタリーをお届けします。

2020年10月放送

2020年10月1日放送

戦世ぬ哀り ~サイパン・太平洋の防波堤~

地上波2020年8月2日OA
制作:RBC琉球放送
ディレクター:伊良波美海子

【内容】
西太平洋に点在する600を超える島々。
現在の「ミクロネシア」の島々を、日本は「南洋群島」と呼び、太平洋戦争で敗れるまでのおよそ25年間、委任統治していた。

そのうちの1つがサイパンで、事実上の領土にするため、多くの移民を送り込んだ。

その足掛かりとして設立された「南洋興発」は、海軍の後ろ盾を得て発展。製糖業のほか、水産業など南洋各地で事業を展開し、〝北の「満鉄」南の「興発」〟と言わしめた。

会社は暑さと労働に耐えうる移民として沖縄出身者を求め、貧困にあえぐ沖縄側の利害も一致し、多くの県民が移住した。サイパンだけでも2万7000人余りが暮らしていて、そのおよそ7割を県出身者が占めるほどだった。(1942年時点)

「南洋の暮らしはとても楽しかった」と永山幸栄さん(92)は懐かしむ。
父が南洋興発で働いていた永山さんは、サイパンで生まれ育ち、家族8人で穏やかな暮らしを送っていた。しかし、島での暮らしに暗雲が立ち込める。

太平洋戦争が勃発し、日本の敗色が濃くなった1944年、政府は「南洋群島戦時非常措置要綱」を閣議決定。この中には、「南洋群島在住民の総力を結集して直接戦力化し、軍と一体となりて皇土前線の防衛にあたらしむ」など、住民を戦力と捉える文言が並ぶ。米軍上陸後、閣議決定の内容に沿うかのように、住民は戦闘に巻き込まれ、日本本土を守る防波堤として多くの命が失われた。

証言と史料を基に、島の歴史とサイパン戦の実相に迫る。

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2020年10月8日放送

非戦の軍人・堀悌吉の譲れない信念

地上波2020年8月16日OA
制作:TBSテレビ
ディレクター:佐古忠彦

【内容】
真珠湾攻撃を指揮した、連合艦隊司令長官・山本五十六と生涯の友であった堀悌吉。

当時の海軍軍人の中でも、稀有な平和主義者だった。

二人の海軍人生のスタートは日本海海戦。堀は、ロシア兵が艦船とともに海に沈んでいく姿を目の当たりにしたことで、ある戦争観をもつことになる。

「戦争善悪論」という論文で、「戦争は悪」と論じた堀は、軍縮の道に奔走し、山本五十六とともに日独伊三国同盟に反対し、日米開戦に至らないよう発信していた。だが、対米強硬派の動きにより海軍を追われ、そこから、日本は、戦争への道を突き進むことになる。堀は、その経緯も含め、人生の記録を克明に残すとともに、山本五十六からの28通の書簡を保管し続けていた。そこには、皮肉にも真珠湾攻撃を指揮することになった山本が堀にだけ明かした真意など胸の内が綴られていた。

戦後75年の夏。なぜ堀や山本の非戦の信念が封じられ、日本は開戦に至ったのか、先人の思いから現代の我々が何を教訓とすべきか、を考える。

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