2018年10月18日放送
子どもに忍び寄る“見えない紛争”の影
地上波2018年7月22日OA
ディレクター:水口康成(TBSテレビ報道局)
【内容】
ウクライナ東部では、ウクライナ軍と分離独立を主張する親ロシア派が武力衝突を続け紛争は5年目に突入した。その一方で国内では、中東の混乱のような難民の移動がみられるわけでも、テント村が目につくわけでもなく、今回のウクライナ紛争は被害の実態が感じられない「見えない紛争」とも呼ばれている。 では、戦場の街はどうなのか。カメラが銃撃や砲撃が報告される地域に防弾車両で入った。そこではトラウマを抱えた子供のケアや爆発物から身を守る教育など子供たちを戦争から遠ざけようとする懸命の努力が続けられていた。しかし、事態の長期化が子供たちを思わぬ方向に向かわせていた。
2018年10月25日放送
空に舞った花びら ~B29元搭乗員 宮崎慰霊の記録~
地上波2018年8月5日OA
ディレクター:二木真吾(MRT宮崎放送)
【内容】
今から73年前、九州南部の都市、宮崎も戦場だった。米軍爆撃機や戦闘機の空襲に怯える日々が続いていた昭和20年4月28日。B29・サルボサリー号が宮崎市上空で、旧日本軍の高射砲により撃墜され、米軍搭乗員12人中、11人が犠牲になった。
こうした中、去年5月。宮崎の戦争史を調査、研究している稲田哲也氏のもとに撃墜されたB29搭乗員の遺族から連絡が入った。
「父親が宮崎上空で撃墜されて戦死している。何か知らないか?」
そして、稲田氏とアメリカの遺族との間で情報のやりとりを続けていたある日、唯一の生き残りが、現在も生存していたことがアメリカの遺族の調査で判明した。
その唯一の生存者は、遺族らと共に、今年4月28日に宮崎市で行われた日米合同慰霊祭に出席した。死線をくぐり抜けたアメリカ兵から見た戦争という悲劇。そして、かつての仲間たちへの思い…。唯一の生存者の目に映るものとは何だったのだろうか。