■12才で大スター
横浜生まれの魚屋の娘、加藤和枝は幼少よりとびぬけて歌がうまく、戦後二年目の1946年にわずか9歳で劇場デビューを果たしました。翌年には地方公演をし、「美空ひばり」の芸名を名乗りました。1949年には映画に出演、レコード発売し、歌に芝居に大活躍しました。二枚目のレコード「悲しき口笛」を大ヒットさせ、すでに12才で押すに押されぬ大スターとなりました。
■民放のパイオニア
ラジオ東京(後のTBSラジオ)は1951年12月25日に開局しました。東京で初めての民放でした。50KWの大出力の放送局はNHKとラジオ東京だけでした。ラジオ東京は開拓者精神をうたい、NHKに真っ向勝負を挑む放送局でした。
その年までに美空ひばりは23枚のレコードを出し、39本の映画に出演していた売れっ子スターです。ラジオ局同士の争奪戦の末、ラジオ東京が開局記念番組で美空ひばりを獲得しました。
■「リンゴ園の少女」
年が明けて、1952年。14歳の美空ひばりの下に7万枚ものファンからの年賀状が届きました。浅草での正月公演には一週間で7万人が詰めかけました。二月にかけて、全国19カ所での公演、新作映画のクランクインと大忙しの中で、ラジオ東京開局記念番組の収録が始まりました。美空ひばりにとって初主演のラジオドラマ「リンゴ園の少女」です。
この写真はその収録風景です。天井からの一本マイクに向かって、台本を読む美空ひばりの姿勢がよく、堂々としています。回りを固めているのは当時の超一流の俳優たちです。
左から、望月優子、山形勲。美空ひばりを挟んで三島雅夫です。左端に収録を見守る母喜美枝の姿があります。
これはTBSに残る第一回放送の番組表です。1952年4月3日(木)、夜8時半から30分の放送です。この頃はテレビがはじまる前で、ラジオと映画が娯楽の王様でした。ラジオの夜8時30分は家族がそろって耳を傾けるゴールデンタイムです。番組は人気となり、」番組の挿入歌「リンゴ追分」は70万枚を超し、当時、戦後最大のヒット曲となりました。NHKは「リンゴ園の少女」がはじまった翌週の4月10日から、同じ時間にラジオドラマ「君の名は」をぶつけました。番組はもともと19話の予定が、あまりの人気に39話まで続き、番組が終盤に入った11月20日には映画「リンゴ園の少女」が公開され、これも大ヒットしました。
開局早々のラジオ東京にとって、番組が人気になっただけでなく、レコード、映画に発展し一大ブームを生み出し、ラジオ東京の名をいやがうえにも高めました。
■知られざる美空ひばりのラジオミュージカル
「リンゴ園の少女」はその年の12月25日の夜に最終回を迎えました。クリスマスです。美空ひばりは番組の中で「ホワイトクリスマス」「ひとりぼっちのクリスマス」「ジングルベル」を歌っています。美空ひばりのクリスマスソングです。全国のファンにとって、どれだけステキな贈り物になったことでしょう。残念ながら、録音は残っていません。当時の番組表から、放送を想像し、しのぶだけです。
さて、これだけの大ヒット番組の後、美空ひばりのラジオ番組にはどんなものがあったのでしょうか。「リンゴ園の少女」はあまりに有名ですが、その直後の後継番組についてはほとんど知られていません。TBSヴィンテージクラシックスは今回、その後の日々のラジオ番組表を丹念に調べ、美空ひばりの二番目のラジオ番組を「発見」しました。
年が明けて、1953年1月8日。同じ木曜日の夜8時半から、スタートしたのが「ミュージカルドラマ バラ色の乙女たち」です。主演は美空ひばり。全25回放送。美空ひばり主演。音楽、万城目正、米山正夫。その他の出演は、丹阿弥谷津子(黒澤明映画「生きる」出演は同じ1952年)、堺駿二(堺正章の父)、久松保夫(後のTBSテレビ「日真名氏飛び出す」主演)などとなっています。残念ながら、音源は残っていません。ただ、この番組から41枚目のシングルレコード「バラ色の乙女たち」は4月に発売されレコードを聞くことがきます。この年、美空ひばりは、映画では8本に主演し、人気はとどまるところを知りませんでした。16歳の少女はこの年、11月、横浜の高台に900坪、プール付きの豪邸を新築し、「ひばり御殿」といわれました。
■美空ひばりはTBSラジオで歌い続け、語り続けた…
「美空ひばりショウ」(1955.10.28〜1957.3.28 全72回)
1955年は美空ひばりの青春花盛りの年でした。美男の人気ジャズプレーヤー小野満との恋が育っていました。生涯の親友となる中村メイ子との出会いがありました。江利チエミ、雪村いづみとの「三人娘」がスクリーンにはじけました。一世を風靡した「三人娘」映画の第一作「ジャンケン娘」の試写会が10月28日、東京宝塚劇場で開催されました。ひばり、チエミ、いづみが舞台挨拶に登場するとファンが熱狂し、会場はパニックになる騒ぎでした。
その日の夜から、ラジオ東京では「美空ひばりショウ」がはじまりました。
この番組は1957年ま二年間、72回にわたって放送されました。映画スターでもあり、テレビ出演が映画五社協定でテレビ出演できない時代です。レコードにもない、美空ひばりの生の歌声が日本の夜をうるおし続けました。
■美空ひばり青春アワー(1956-1958)
2016年1月、TBSヴィンテージクラシックスの発掘音源による三枚組CDが発売されました。(発掘 酒井眞理)1956年ー1958年、美空ひばり19歳から21歳までの青春の歌声を収録しています。
「美空ひばり青春アワー/TBS VINTAGE J CLASSICS」発売時のニュースはこちら
以下のラジオ録音となっています。
「歌の風車」 芸能生活10周年記念歌謡ショー (1958年4月1日放送)
「美空ひばり歌舞伎座公演」実況録音 (1958年3月26日、27日)
「美空ひばりアワー お便りありがとう」 芸能生活10周年記念特別番組 (1958年3月29日放送)
「美空ひばりアワー 思い出は歌とともに」(第1回) (1958年9月6日放送)
「美空ひばりアワー 思い出は歌とともに」(第15回) (1958年12月13日放送)
「歌う三人娘 特別番組 ペレス・プラードで歌う三人娘」 出演:美空ひばり/江利チエミ/雪村いづみ 演奏:ペレス・プラード楽団 (1956年10月22日放送)
これは1956年10月22日のラジオ東京番組表です。美空ひばりが外国の楽団をバックに歌うのは人生初めてのことでした。
なお、ここには美空ひばりのはじめてのレギュラーでのDJ番組からの収録がありました。ラジオは初期においては「送りっ放し」であり、放送は滅多に収録し、保存されることはありせんでしたが、美空ひばりについては特別扱いで、初回や最終回などの節目の回や特別番組が残されてきました。
「美空ひばりアワー お便りありがとう」(1957.8.3―1958.3.29)
「美空ひばりアワー 思い出は歌とともに」(1958.4.5―1959.5.30)
二年間にわたって、美空ひばりはマイクに向かって語ることに挑戦しました。折しも、日本の映画は年間観客数が11億人と最大を記録した頃です。現在の10倍の映画人口でした。
美空ひばりは映画にひっぱりだこで1957年に12本、1958年に16本の映画に出演しました。これは美空ひばりにとっても年間最多でした。それも「ひばり捕物帖」「ひばりの三役」「ひばりの花形探偵合戦」など美空ひばりの名前がタイトルになった主演がほとんどでした。京都で撮影を続ける美空ひばりの元へラジオ東京のスタッフはデンスケをかついでいき、苦労して2年間の放送を続けたといいます。最終回の収録は5月7日。皇太子ご成婚パレードのお祝いムードが続いている頃です。テレビの普及が一気に進みました。
美空ひばりも、ラジオ、映画からテレビへ。ラジオ東京はTBSラジオと名前を変えます。テレビ時代となっても、美空ひばりはTBSラジオにすばらしい放送を残しました。
筑紫哲也による特別なインタビュー記録もこうした流れの中にありました。
以下、あまり知られていない美空ひばりのTBSラジオ音源をまとめました。
ちなみにテレビ時代における出演記録として、もっとも古いのはラジオ東京テレビが開局した1955年12月26日です。当時、テレビはビデオが実用化しておらずほとんどが生放送です。
この番組の映像も残っていません。美空ひばりの歌唱映像が残ったのはこの11年後でした。
【放送日】1955/12/26 18:00―21:00
【番組名】世紀最大のショー 国際スタジアムから生中継
「小野満とフォアーブラザーズ・ダイナミック・ジャズリサイタル」
出演:小野満とフォアーブラザーズ(ベース:小野満 ドラム:白木秀雄 ピアノ:八城一夫 テナー:芦田ヤスシ)
応援出演:美空ひばり 江利チエミ 雪村いづみ
美空ひばりと恋仲であった人気ジャズプレーヤー小野満のコンサートの生中継でした。
その後、ラジオ東京テレビは1960年、TBSテレビと名前を変えます。TBSテレビにおける美空ひばり映像で最古のものは1965年10月5日のものです。TBSテレビの元祖ベストテン番組の初回に登場し、「柔」を歌いました。なお、その他の出演者は以下となっています。石原裕次郎をはじめ当時のトップスターたちの豪華な顔ぶれです。
【放送日】1965/10/05 20:00―20:56
【番組名】「TBS歌謡曲ベストテン」(第1回)
出演:美空ひばり 石原裕次郎 村田英雄 橋幸夫 舟木一夫 マヒナ・スターズ 倍賞千恵子 フランク永井 アイ・ジョージ 三田明 日野てる子 井沢八郎 北島三郎 志摩ちなみ ほか 司会:三木鮎郎
テレビ時代の美空ひばりの出演の全貌については稿をあらためます。
長文をお読みいただきましてありがとうございました。
2021.12.06
TBSヴィンテージクラシックス
発掘プロデューサー 小島英人