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中田英寿×岡野雅行

司令塔が信じ続けた男。

今も鮮明な記憶として、目に焼きつく、「ジョホールバルの奇跡」
その舞台裏にあった、知られざる真実!!!
今、中田英寿が初めて語る、野人への想い。
そして、岡野は、ヒデがいたからサッカーができると
今、も感謝する。
しかし、岡野は、昨年ついに浦和レッズから
戦力外通告を受けた・・・・!

1997年11月16日。
日本サッカー界の歴史を塗り替えた、マレーシア・ジョホールバルでの戦い。
誰もが鮮明に記憶を残すあの伝説のVゴール。
初のW杯出場に導いたのは、延長からピッチにたった野人・岡野雅行だった。
一躍ヒーローとなった岡野だが、あの歓喜のゴールの裏側には、
深い絆で結ばれた中田英寿の存在があった…

「スピード」を武器に代表の座を勝ち取っていた岡野。
しかしこのW杯アジア最終予選、1度もピッチに立つ機会は与えられていなかった。
「代表を辞退しよう」とも考えていた岡野を支えたのは、当時20歳の中田英寿だった。

中田は予選の最中代表に招集されたものの、即座に司令塔としてチームの要となった。
中田が得意とするプレーは相手の背後を突く、鋭いスルーパス。
そのパスの受け手として、岡野のスピードは「ぜひとも岡野と組んでみたい」と中田に感じさせていた。
その司令塔の思いに、腐りかけていた岡野は再び出場のチャンスを待つようになった。

そして岡野にチャンスが巡ってきたのが、W杯出場をかけたジョホールバルでの戦いだった。
延長での緊迫した場面、しかも最終予選初出場となった岡野の脳裏に浮かんだのは、
意外な言葉だった…
「出たくない!」

日本代表が、W杯本戦初出場を手にしたジョホールバルの歓喜。
あれから12年。二人は別々の道を歩んでいた…
現役から一線を引き、新たな世界で歩みを進める中田。
昨年、36歳で戦力外通告を受けながら、なおも現役を続ける岡野。
今では連絡を取り合うことのない2人が、互いに思いの丈を語る。今だから話せる真実。
日本サッカー界が世界の扉を開いた瞬間、そこに隠された2人の深い絆とは?