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2013年04月22日(月)放送分 二宮尊徳の考えには、現代の経営者。日本の政治にも役立つ考えがありそうですね。 *二宮尊徳の経営学の中で、最も私たちが勇気づけられるのは、 いわゆる“水車の哲学”「天の理と人間の理」 二宮尊徳は、「水車はなぜ回っているのだろう?」と考えた。 この頃の日本人を支配していた観念の1つに、 「天の理」というのがある。いわば“自然の理”。 場合によっては、「運命」と捉えられていた。 ●回転している水車は、下半身を川の中に浸している。 ●天の理は、川の水を高いところから低いところへ流す ●もし、水車が全身を川の中に浸していれば、水車は下流に流れてしまう。 それが天の理。 ●しかし、水車は流れることなく回転を続けているのはなぜか。 それは水車が、上半身を川から引き抜いて空中に置いているから。 ●水車の上半身を川から脱せさせて空中に置いたのは誰か、それは人間。 ●水車は水圧だけによって、回転しているわけではない。 水車が引き抜いてその場に留まっているからこそ、水圧をそのまま 利用して回転を続けている。 ●これは人間が考え出した。つまり水車は“天の理”だけによって、 回転しているわけではない。“人間の理”も加えられている。 「人間の理は、時に天の理に背いてでも、その主張を貫き通す」 という発見があった。 しかし、このことで、我々が考えなければいけないのは、 「天の理に背いて人間の理を貫く時には、ある種の非常さが必要」 ということ。 人間は情を重んずる。 非情よりも情の方が通りが良いし、歓迎される。 しかし、この情に負けると、夏目漱石ではないが、 「情に棹(さお)せば流される」という現象が起こる。 流された後は、必ず後悔する。 二宮尊徳の“人の理は天の理を超える”というのは、 単に天の理である運命に背くということではない。 「非情さを持って事柄を処理する」という 勇気と決断をも意味している。 |
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