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土曜朝イチエンタ。堀尾正明+PLUS!

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土曜朝イチエンタ。堀尾正明+PLUS!

番組からのお知らせ
プロフィール

堀尾正明

堀尾正明(ほりおまさあき)

生年月日:1955年4月24日
出身地:埼玉県
趣味:ゴルフ

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大学在学中に文学座附属演劇研究所に入り、研究生としてミュージカルに出演。81年にNHKにアナウンサーとして入局、初任地はNHK北九州放送局。
東京へ異動後は芸能畑を担当し、95年開始の『スタジオパークからこんにちは』メインキャスターとなり、人気を博す。
00年『NHKニュース10』のキャスターに抜擢され報道番組を担当。その後『サタデースポーツ』『サンデースポーツ』担当に廻りスポーツ畑へ。2002 FIFAワールドカップのメインキャスターを担当。

長峰由紀

長峰由紀(ながみねゆき)
TBSアナウンサー

生年月日:1963年6月28日
出身地:埼玉県
趣味:演劇鑑賞、相撲観戦

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●出身高校:埼玉県立松山女子高等学校
●出身大学:立命館大学 文学部 中国文学科
●身長:153cm
●血液型:O型
●入社年度:1987年

人権TODAY

人権に関わる身近な話題をテーマに掲げて、ホットなニュースをお伝えしています。

くにたち原爆体験継承者育成プロジェクト

放送日:2015年08月15日
今日は、東京都国立市が取り組む被爆体験の継承活動について
TBSラジオの中村友美ディレクターが取材しました。
戦後70年となった今、戦争を体験した方がどんどん高齢化し
戦争の風化が懸念されています。
そんな中、語り部として、戦争を知らない若い世代に向けて
当時の体験を語っている方がいます。
国立市に住む原爆被害者の会「くにたち桜会」の副会長で、
15歳の時広島で被爆した、平田 忠道さんのお話です。

『本当に原爆というのはね…中には原爆が落っこったから
戦争が終わったなんて言ってるけどね、
僕らからしたらとんでもないよ。
原爆落っことさなくたってね、日本はもう負けてましたよ。
広島だけじゃない。長崎もやられて。
全く戦争と関係ない人が犠牲になったんですよ。
僕のところの母と、4歳の弟が家に住んでました。
それで、犠牲になりました。』

平田さんご自身は、爆心地から15キロ離れた工場へ
働きに出ていましたが、自宅は爆心地から
およそ1.8キロの場所にありました。
家は全て焼け、39歳のお母さんと4歳の弟さんは亡くなりました
平田さんはそんなご自身の体験について国立市内の学校を中心に、
講演活動を行っています。
平田さんからお話を聞けることは子供達にとっても貴重な機会だと
思いますが、今後の語り部活動について、
平田さんはこのように話しています。

『もう僕も、85歳。あと何年できるか分からない。
そのために、僕は国立市で、僕らの代わりになって、
生徒とか皆さんにお話ししたいと言う方が、結構いらっしゃる
心強いですね。20代〜70位の方も、僕らの体験したことを
受け継いでいただけると。これは非常にありがたいことで。
こういった方をどんどん増やしていかなきゃいけないと思います』

「くにたち原爆体験継承者育成プロジェクト」が
今年からスタートしました。
参加しているのは、平田さんから広島の被爆体験を受け継ぐ11名
そしてもう一人、長崎で被爆した桂茂之さんの体験を継承する9名
あわせて20名です。
研修内容は、平田さん、桂さんのお話を詳しく聞くことはもちろん
実際に広島にも訪れ、原爆が落とされた当時平田さんが歩いた道筋を
実際に辿りながら、当時のお話を聞いたそうです。
このプロジェクトに参加している33歳の宮地大祐さんによると
他にも、こんな研修プログラムが参考になったといいます。

『東京で、広島市の伝承者として活動されてる方も
いらっしゃったので、その方から実際にお話を聞くことが
できました。経験してないから喋れないということではなくて
自分の事として、8月6日、9日という日を汲み取って
お話されてるんだなとすごく感じて、心に訴えかけてくるものが
あったんですね。実際これから平田さんのお話を自分の中で
まとめて、伝承の原稿を作っていくんですけど、
やっぱりそういう平田さんの思いというのを、
自分の中で汲み取りたいと強く思いましたね。』

広島は3年間かけて伝承者の育成に取り組んでいます。
教える側は、「まず正確な事実」をきちんと伝えたうえで、
体験者の話を繰り返し聞かせて、
参加者に、より深く学んでもらうようにしています。
宮地さんは、伝承者の方から、被爆者の思いが乗り移ったような
話し方を聞いて、勉強になったと言っていました。
そんな宮地さんが、これから伝承者として、語り継いでいきたい
「思い」とは何か、聞きました。

『この70年間、日本が戦争をしなかったという事実は、
70年前の戦争を経験した、その方達の思いがあったというのも
大きな要因だと思う。一人の方が私に話してくれた時に、
「昔話ではなく、今につながる話として聞いてほしい」と言われた
今でも十分に起こり得ることなんだと、その方からお話を聞いて
強く思った。これからどんどん戦争の話を聞ける機会は
無くなっていくと思うけど、一人での多くの方のお話を聞いて、
自分の中で、戦争に対しての絶対的な「ダメだ」という気持ちと
平和に対しての思いにつなげていきたいなと思ってます』

宮地さんは、来年3月に国立市のプロジェクトを修了したのちは
国立市の語り部として活動するだけではなく、友達や家族など
身近な人に話すといった小さなところから始めていきたいと
言っていました。

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