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〜10人の脚本家と10組の名優が贈る、10の物語〜

2014年7月13日スタート日曜よる9時

あなたの“おやじの背中”

人にはそれぞれの「おやじの背中」がある―――。
あなたとお父さん(またはお父さんのような存在の方など)との思い出に残るエピソードをお送りください。
たくさんの書き込みをお待ちしています。

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私は摂食障害という病気を患っています。
病気のことを理解しようと父なりに努力をしてくれています。それでもお互いに理解しあえず、悪い雰囲気になることがあります。でも圭さんが瞳子さんを心配している気持ちや幸せになってほしいという親心を感じて、きっと私の父も同んなじように思ってくれているのだろうな、と改めて父の暖かさを感じることができました。
私とバージンロードを歩くのが夢だと言っていたので、いつか私も重松さんのような人と出逢って父とバージンロードが歩けるように、病気と向き合っていきたいです。

ちゃこ (26) 女性 2014.7.20 (日) 00:19:54

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おやじの背中と聞いて、私はお父さんの大きい背中を思い出しました。今、一人暮らしの私はドラマを見て、お父さんに会いたくなりました。
明日はお父さんの誕生日!何か、プレゼントできたらなと思います。
お父さんと二人で散歩。いいですね!今回の親子、あこがれます。

ろも (20) 女性 2014.7.18 (金) 14:50:29

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私の父は去年他界しました。
どことなく、生前の父は田村正和さんに似ていたので思わず見いってしまいました。
私が幼いときに離婚をし、あまり一緒に暮らした記憶はありませんが、離れてからも頻繁に遊んでくれた父。
自由奔放だったので子どもの事にはあまり関心がなかったようですが私はそんな父が大好きでした。
今でも父の事を思い出すと涙がとまりません。
亡くなってから気付く事はたくさんありますね。
このドラマを見るたびにきっと父を思い出します。
1話は泣きなが見てしまいましたが、それでは父に悪いので次週からは感謝の気持ちで見ないとですね。

ぴのすけ (26) 女性 2014.7.16 (水) 20:56:42

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私と父は一緒に暮らしたことがありません。
私が生まれた直後に単身赴任の辞令がおりて、実家の九州から遠い東京まで父のみ引っ越すことになったからです。

物心ついて初めて帰省した父と会ったときは、この人は誰だろう?なんで私の家に一週間くらいいるんだろう、と不思議な気持ちで、成長につれどう父と関わったらいいのか分からず反発ばかりしていました。

典型的な頑固親父と頑固娘。
いつも会えばケンカばかりだったけれど、
社会人になり独り暮らしを始めた今、初めて父がいままでどれ程遠い地で頑張り、私達家族を守ってくれていたか感じることができました。

今年で父は定年を迎えます。25年できなかった、故郷での母との暮らしを楽しんでもらいたいと切に願っています。

ミモザ (25) 女性 2014.7.15 (火) 13:39:58

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家の親父はもう亡くなりましたが親父に教えて貰った事は酒の席で酒の飲み方酒を飲んだ後人さまには絶対迷惑をかけるなよ、たまにあびるほど飲んでみろ分かるからお袋には話せない男どうしの話親父と居酒屋で飲んだり女には絶対手をあげるなとか世の中の事誰に人の話は良く聞け人様には絶対迷惑はかけるな男どうしの釣りでの何気ない会話での悩みを聞いて貰って弁当を食ったり喧嘩したり人に対する礼儀一緒に仕事に連れて貰い親父が一生懸命仕事をしている姿お袋には言えない悩み親父の男らしさ優しさ色々世間の事沢山為になることやってはいけない事人を傷つけない事よく怒られてばかりですが男らしい親父でした

ポパイ () 男性 2014.7.15 (火) 12:02:59

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まだ赤ん坊の妹を背負った父が、電灯の下をグルグルと歩き回っています。
それを布団の中から見上げている私。

これが私の「最初の記憶」です。
母に聞いたところによれば、それはたぶん母が入院していたときのことだろうとのことで、「あなたは3歳だったのによく覚えているね」と言われました。

妹を背負った大きな父の背中を見ながら、私は安心して眠ったことも良く覚えています。

今でも、夜半に目を覚ますと、あのときの父の背中を思い出します。

もうすぐ、父の7回忌です。

koonet (59) 女性 2014.7.14 (月) 21:29:08

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普通のサラリーマンではなく塗装工だった父は時間が不規則で安月給、家では酒ばかり飲んでいましたが、休みも少なく疲れてただろうに、いろいろな所に連れて行ってくれた思い出が多く、仕事帰りにはお土産を買ってきてくれた。私がバイトで帰りが夜になる時はわざわざ迎えにきてくれた。そんな父が私が21の時、病気で亡くなって心にポッカリと大きな穴が開いた。やはり父親って偉大な存在なんだと思います。私にとって、いつもペンキの匂いのする父ちゃんは誇りでした。

かめちゃん (51) 女性 2014.7.14 (月) 16:05:14

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今は亡き私の父は無口なタイプの人でした
小学4年生の時に父子家庭になり父が私を引き取りました。しかし当初、仕事ばかりだった父は私との接し方に困惑していたと思います。
 ある日、父が「出かけるか」と始めて父と子2人で浅草に行きました。
お互い会話切り口が見出せず淡々とした雰囲気でした。
その途中私に自動販売機でジュースを買ってくれた時、お釣りの中に20円多く小銭が残っていました。
それを父は笑顔で「半分ずつな」と10円玉1枚を私の掌に乗せました。
私にとって初めて見た表情でもらった10円玉は初めて直接感じ取れた父の優しさでした。恐らく私はその時にいままで接点のなかった父親が「認識」から「存在」に変わりました。その後、浅草の街で父の後ろを歩く私から見える背中はとても大きく、格好良く見え今でも私の心に残っています。

むっちゃん (25) 男性 2014.7.13 (日) 22:03:22

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自然態のドラマで見入ってしまいました。

私は2才から喘息持っていて、父は仕事忙しく帰りも23時頃で朝は7時出勤ですが、喘息発作はいつも夜中の1時から5時ぐらいに起きてしまい、病院まで30分ぐらいかかるのに、いつも気にしてくれて、私をおぶって病院や車に乗せるのをしてくれました。

私にとっては、父の背中は安心する場所でした。結婚前は父の背中が淋しさを伝えてました。なんか、父とは簡単な会話はしたてたけど、重要なことは、父の背中で感じていたようなきがして、私は父の背中をいつもみていた気がしました。

これからもドラマをみて、父に何かできることがないか探して行きたいと思います。

のりっぺ (43) 女性 2014.7.13 (日) 21:40:34

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シベリア抑留で上官に「一生分の苦労を今しているが、生きて帰ればみんな一生安泰に暮らせる」と言われたと、勝手気ままな人生を送った父。でも父の苦しみを母も私たちも気がつかなかった。私はいつも父を責めていた。体が不自由になった母は父の介護を拒み施設入所、居所も告げなかった。末期の肺がんと分かり施設に入った父のベットで私は横になった。本当に小さくなった父の背中をさすりながら「今何がしたい?」と聞くと「今日のところはない、また明日だ」棺に子どもが作ったプラネタリュウムを入れました。自由に宇宙を闊歩してくださいね。そしてあの日お父さんの背中に何度も謝っていた私を許してね。

かたつむり (54) 女性 2014.7.13 (日) 20:55:12

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