2011年10月16日スタート日曜よる9時放送
初回放送を見ていただいた方、ありがとうございました。
次こそはという方、是非是非ご覧下さい。
ここで第一話のポイントをおさらいしましょう。
歴史的事実1 : 南極観測を動かしたのは子供達だった !!
世界からも、国内からも見放された南極観測。
それは何故か?
日本が 「 敗戦国 」 だったからです。
「 日本には南極へ行ける力なんてない 」
「 本気で行けると思ってるのか? 」
などと各国に馬鹿にされる日本。
国内でも、「 今の日本は今日の飯を食うので精一杯 」 と悲観的な声。
諦めかけた倉持 (木村拓哉) たち。
そこへ手を差し伸べたのは子供達でした。
日本中に広がる子供達の募金の動き。
そしてついには大人、国をも動かしたのでした !!
歴史的事実2 : 南極観測船「宗谷」にまつわる奇跡 !!
南極へ行く為の船は砕氷船と言って、氷を砕く力に長けてなくてはいけませんでした。
日本にはその砕氷船はなく、世界各国からも借りる事は出来ませんでした。
そんな中、白羽の矢がたったのが 「 宗谷 」。
太平洋戦争中、何度も戦地へ赴き、沈むことなく生還した船。
「 運のいい船 」 が宗谷でした。
そしてその設計を担当したのが、「 運の悪い船 」 をかつて設計した牧野茂氏。
それがあの、戦艦大和 だったのです。
その二つが融合し、誕生したのが南極観測船 「 宗谷 」 でした。
宗谷は現在お台場に展示されていて、中にも入れます。
実際撮影でも使用した場所にも入れますので、是非是非足を運んでみてください!
歴史的事実3 : ホンダ、ソニー、竹中工務店の協力 !!
南極で使用する発電機、通信機、基地の開発は困難を極めていました。
氷点下何十度にも達する寒さ、激しいブリザード。
誰もが諦めていた中、無償で協力してくれた会社がありました。
風力発電機を開発した本田技研工業の本田宗一郎。
通信機の井深大と盛田昭夫。彼らはソニーの創業者でした。
日本で初のプレハブ住宅と言われる昭和基地を作ったのが竹中工務店でした。
竹中工務店は後に東京タワーを造ることになります。
他にも無償で協力した企業は 1,000 を超えるといわれています。
南極観測が 「 戦後、日本が始めて一つになった事業 」 と言われる理由です。
歴史的事実も満載な日曜劇場 「 南極大陸 」 !!
なんと来週第2話の放送を前に、再放送があります。
10月23日 (日) 午後2時から !!
そして 10月23日 (日) よる9時から
放送の第2話は…
1956年11月8日、晴海ふ頭を出発した南極観測船宗谷ははるか2万キロの航海へと挑んでいきます。
その航海は本当に険しいものだったそうです。
戦艦大和の設計者牧野茂氏 (第一話参照) の設計で、砕氷船として生まれ変わった宗谷は、氷を砕くに適した形 (卵型) にした事により、揺れやすくなったそうです。特に暴風圏とよばれる海域では、船が60度も傾いたそうです。
第2話ではそんな険しい航海の様子を描いていきます。
お互い立場も、職業も違う者たちの集まり。
当然争いも起こります。それぞれのプライド、守るべきものが見え隠れします。
第一話とはまた違った物語が展開される第2話。
南極を目指す倉持達を待ち受ける試練とは !?
10月23日 (日) よる9時 !!
ぜひぜひご覧下さい !!