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第5夜 日本人の真価とは?

メイドインジャパンの逆襲が始まった!
今、日本の“ものづくり”技術は再び世界に羽ばたこうとしています。その陰には、戦後70年の積み重ねが…。
焼野原から現在を超えて未来まで時代をくだりながら、激動の70年を徳光和夫の案内で辿ります。
そこから浮かび上がる5つの時代の《なぜ?》と《どのように?》。
時代ごとの苦難を乗り越え最先端を生み出した先人達の、夢と情熱のドキュメント、そして感動の本格再現ドラマ…“ものづくり”に生きた人たちから見えてくる日本人の真価とは?そして日本の未来は? 
ビートたけし、語ります。
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(1)なぜ、日本は戦後の焼け野原から立ち上がれたのか?【1945年〜50年代前半】

1945年、空襲によってすべてを失った国土。食べるものも、着るものもない!無い無いづくしをチャンスにかえたチャレンジ精神。軍の放出品を使って作った機械が、やがて世界を変えることに…。前向きな情熱がボロボロの日本を押し上げました。キーワードは笑顔です。

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(2)なぜ、日本は‘たった5年で’東京大改造が出来たのか?【1950年代後半〜60年代】

1964年のオリンピックが東京開催と決まってからの5年間、東京は日本人が初めて経験する変貌をとげました。首都高、東海道新幹線などのインフラ建設ラッシュ。そこには日本ならではの知恵がありました。一方、現在冷凍などの保存技術の進化により豊かになった“食”事情。こうした冷凍などの保存技術の革新が起こったのもこのオリンピックがキッカケでした。キーワードはあきらめない。

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(3)なぜ、日本は公害問題とオイルショックをバネにできたのか?【1970年代〜80年代前半】

1970年代に入ると、東京は水質汚染、光化学スモッグなどに悩まされるようになります。そして1973年には第一次オイルショック…といくつもの大きな壁が立ちはだかります。後に‘環境性能’という日本のブランドとなる技術が生み出されたこの時代、日本の“ものづくり”はどうやって乗り越えたのでしょうか?

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(4)バブル崩壊と‘失われた20年’…日本の“ものづくり”はどうなっていたのか?【1980年代後半〜現在】

1986年からのバブル景気になると、人々は“ものづくり”よりも“マネーゲーム”に明け暮れるようになります。そして91年のバブル崩壊。日本の“ものづくり”は受難の時代へ。しかし、その中でも、新たな息吹がありました。激変する環境をチャンスに変える業態変革への挑戦、しなやかに姿を変えて成長する“ものづくり”の現場を取材します。キーワードは業態変革。

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(5)日本の“ものづくり”はどうなるのか?現在、そして未来へ

世界の人々は日本の最先端技術・テクノロジーの数々が、未来の地球を救うために欠かせない技術であることを認めています。と同時に、日本の“ものづくり”が変容するターニング・ポイントが、今なのです。日本の戦後70年とは、終戦直後7千万強だった人口が1億2千万を超えるまでの歩みでした。そして2008年をピークに、その人口が激減する世界初の超少子高齢化時代に入りました。この新しい時代、日本が“ものづくり”の力で勝負していくための武器とは何か…そこには‘培われてきた伝統、日本人らしさ’がありました。 日本の“ものづくり”は、未来の地球のために!

第5夜 ゲスト

  • (写真)ビートたけし
  • 【歴史案内(声の出演)】(写真)徳光和夫

ドラマ出演

中尾慶明 小柳 友 宇梶剛士 長谷川朝晴 宮地真緒 阿南健二 神保悟志

解説

谷川史郎(野村総合研究所 理事長)

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