この差って何ですか?

毎週火曜よる7時

過去の放送内容

2018年9月11日

(1)「割り箸の形」の差

(写真)

専門家:吉井辰弥(吉辰商店 代表)

この差は…
「使いやすさ」や「香り」・「木目」を楽しんでもらうために進化したか どうか
はじめに誕生したのが「丁六箸」。持ちやすく進化したのが「小判箸」。割りやすく進化したのが「元禄箸」。杉の香りを楽しめるよう進化したのが「利久箸」。木目を楽しめるよう進化したのが「天削箸」。

〇「割り箸の形」の違いに何か意味はあるのか?
現在、主に日本で使われている割り箸は5種類。それぞれの箸には名前があり、角ばっている「丁六(ちょうろく)箸」、角が丸まっている「小判(こばん)箸」、「元禄(げんろく)箸」、「利久(りきゅう)箸」、「天削(てんそげ)箸」と呼ばれている。
「割り箸の形」の違いには意味がある。

〇「割り箸」が生まれたのはいつ?
割り箸が生まれたのは江戸時代。割り箸も時代と共に進化していき、今の色々な形がある。江戸時代の割り箸は、竹で作られていた。
明治10年頃になると、杉の木の産地である奈良県吉野郡下市町で、余った杉の木の廃材で現在のような割り箸が作られるようになった。それが、「丁六箸」。

〇なぜ「丁六箸」という名前なのか?
江戸時代に「丁六貨幣」とう銀貨があり、世の中にたくさん出回っていた。そのため、「丁六銀貨」のように世の中で広く使われて欲しいという意味を込めて「丁六箸」という名前が付けられたと言われている。

〇なぜ「小判箸」と呼ばれた?
明治20年頃生まれたのが、「小判箸」という割り箸。「小判箸」の進化のポイントは、「丁六箸」の角を丸く削ったこと。角を削ったことで、手にフィットし、持ちやすくなった。
角が丸くなって、小判のように見えることから、「小判箸」と呼ばれるようになった。

〇「元禄箸」の名前の由来は?
明治30年頃誕生したのが、「元禄箸」という割り箸。「元禄箸」の特徴は、真ん中に溝が入っていること。割りやすいように、割り箸の表と裏に削られている溝が入ったことが進化のポイント。
「元禄箸」の名前の由来は、江戸時代の中期、元禄時代に生まれた「元禄小判」。「元禄小判」は財政難の幕府が金の量を減らして作った小判。木を削って量を減らしたことから、「元禄箸」という名前が付けられた。

〇「利久箸」の誕生秘話とは?
明治末期に誕生したのが「利久箸」。「利久箸」の進化のポイントは、片方だけでなく両端が細く削られていること。
両端を細く削ったことには、名前の由来にもなっている茶人の千利休が関係している。千利休は客人をもてなす時は、いつも自ら杉の木を削って箸を作っていた。その際、より杉の木の香りを楽しんでもらうため、わざわざ箸の両端を削ったと言われている。そのため、「利久箸」はおもてなしの箸として、主にホテルや料亭などで使われている。
千利休は「休」という字だが、「利久箸」は「久」の字を使う。これは、ホテルや飲食店で「休む」という字を使うのは縁起が良くないとされたため。いつまでもお店が続くように、「永久」の「久」の字が使われた。

〇なぜ「天削箸」は作られた?
大正時代に「天削箸」が誕生した。上の部分を斜めにカットしたのが、「天削箸」の進化のポイント。斜めにカットすることによって、木目がより際立って見えるようにした。つまり、「天削箸」は、食事中箸の木目も楽しんでもらおうと作った、日本人ならではの心遣いが込められた箸。

(2)「泉」と「和泉」の差

(写真)

専門家:髙信幸男(名字研究家)

この差は…
泉の近くに住む人が名乗ったか、泉の国に住む人が名乗ったか どうか
「泉」は泉の近くに住む人が名乗った名前。
「泉の国」は法律によって「和泉の国」に国名を変えたため、そこに住む人も「和泉」に名前を変えることになった。


〇狂言師の和泉元彌さんは、なぜ「和」の付く「和泉」?
ご本人に聞いてみた。もともとは7代目の宗家が江戸時代の頃に、朝廷から芸を評価されて「和泉守(いずみのかみ)」という肩書を頂いたのがはじまり。「和泉守」とは役職で、今の大阪府和泉市のあたりを「和泉の国」と言ったことに起源があるため、国の名前の「和泉」と繋がっていると考えられるが、「和泉の国」になぜ「和」が付いているかは分からないとのことだった。

〇先に生まれたのは「泉」さん
奈良時代、現在の大阪府南西部にあった「泉の国」に住んでいた人たちが「泉」と名乗りはじめた。しかし、その後ある大きな出来事がきっかけで漢字1文字の「泉」さんは、漢字2文字の「和」がつく「和泉」さんに名前を変えた。

〇「和泉」に名前を変えた出来事とは?
奈良時代の713年、「二字佳名の詔(にじかめいのみことのり)」という法律が出され、国名を2文字に統一しなければならなくなった。当時の天皇が国づくりのお手本にしていた中国の都市の名前が「長安」や「洛陽」など漢字2文字の名前だったため、国名を漢字2文字にするよう命じた。この法律にはもうひとつ決まりごとがあり、縁起の良い字を必ず1文字は使用しなければいけなかった。
そこで「泉」の国では、平和な「泉」の国がいつまでも続くようにと願って、「泉」の前に「和」を付けて「和泉」の国とすることとした。国名が変わったことで、「泉」の国に住む「泉」さんも、名前を漢字2文字の「和泉」に変えるように命じられた。

〇なぜ未だに漢字1文字の「泉」さんがいる?
これは、「泉」の国に住んでいた人とは全く関係なく、全国の“泉の湧く所に住んでいた”人たちが漢字1文字の「泉」と名乗ったため。

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