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お江戸マメ知識

まるで本当に見てきたかのように「江戸のアレコレ」を語ってくれる、時代考証の山田順子先生。このコーナーでは毎週、そんな山田先生に“気になるシーン”について解説していただきます。

仁の事を書いた瓦版が売られている。「さぁさ、皆様お立ち会い!そう毒に効く『ぺにしりん』を作ったお医者様!南方先生だよ!」

山田先生

瓦版とは、江戸時代に発行されていた情報紙のこと。地震や火山噴火などの天災や、政治経済など時事性の強い情報を伝えるもので、毎月とはいわないけれど不定期に発行されていたの。江戸の人々は、「○○町で妖怪が出没した」とか「あそこには首が2つの○○がいる」といった“バケモノネタ”も大好きでねぇ。そういった他愛もないワイドショーネタも多く盛り込まれていたのが特徴よ。「瓦版」という名称は幕末から使われはじめたんだけど、それ以前は読売(よみうり)などと呼ばれていたわ。なぜそのような名前で呼ばれていたのかというと…瓦版売たちが、ネタのいいところを“読”みながら“売”っていたから。彼らは商売上手で、結末を濁して半分ぐらいまで読むものだから…江戸っ子たちは続きが気になっちゃって、ついつい買ってしまったみたい(笑)。江戸はさまざまな情報の集まる場所だったけれど、地方で暮らす人々にとっても瓦版は貴重な情報源で、送ってあげるとすごく喜ばれるものだったそうよ。
ちなみに、この瓦版は一枚の紙の中に(基本ペライチだった)いかに上手く情報を盛り込むかというのがポイントで、あの平賀源内もアルバイトとして記事を書いていたことがあるんだとか。多才・奇才で知られる彼のことだから、さぞやいいキャッチコピーをつけて、江戸の人々の興味を惹きつけていたんでしょうねぇ。

咲に文を出し、門を見上げている野風。「咲様、南方先生はお命を狙われておりんす。あなた様におすがりするしかありんせん」

山田先生

野風のお手紙、とっても綺麗な文字で書いてあったのに気づいたかしら?あれは事前に美術スタッフさんに「チョー達筆で、最上級の紙に書いたものを用意してね」ってお願いしておいたの。なぜなら花魁たちは、客引きのために幼い頃から筆をものすごく鍛えられるから、みな示し合わせたように達筆でね。今でいう銀座のホステスさんたちと同じで、足の遠のいたお客さんたちに「最近あなたに会えなくてさみしーの」とか「お金が入用になったから、お祝いついでにきてちょーだい」なんて、手紙を書きまくっていたの(笑)。『昼下がりの吉原』なんていうテーマで描かれた画を見てみると、大抵女郎たちが手紙を書いているシーンが描かれているんだから、これホントの話よ。手紙を書くというのは野風級の花魁になっても常に行っていることで、手紙を出すお得意さんのランクが変わるだけ。「手紙を書く」ということが、女郎たちの一番の仕事といっても過言じゃなかったんだから。きっと、あの時代にコピー機があったら、みんな苦労しなかったでしょうね。
そして、毎日のように女郎たちがヒマな時間帯を狙って吉原へやってくるのが貸本屋さん。荷物が重いから大概はおじさんだったようだけど、読み書きをすることのできた彼女たちの唯一の楽しみは読書だったのね。話好きの貸本屋さんを囲んで他愛ないウワサ話をするのもまた、楽しいひと時だったみたい。

咲が写真を見て「よく出来た絵」とつぶやくシーンがありましたが、あの時代の人たちは写真の存在をまだ知らなかったのでしょうか?

山田先生

カメラが日本に渡来したのは1848年のこと。長崎の上野俊之丞に引き取られた後に薩摩藩で研究が進められ、写真の技術は徐々に広まっていきました。坂本龍馬や勝海舟といった偉人たちの姿が現代にも残されているように、この時代の人たちが写真の存在を知っていてもおかしくはないのだけれど、あの驚き具合から察するに…少なくとも咲は、目にしたことがなかったのでしょうね。ただ、当時の写真はもちろんモノクロだったから、カラープリントの写真を見た咲が、絵と勘違いするのも無理はないと思うわ。
そうそう、幕末から明治期にかけては主に“湿板写真”という写真術が用いられていたのだけれど、写真といえば戦後に皇女和宮のお墓が改装されることになって発掘調査が行われたとき、唯一の副葬品として「礼装した男性の姿が写った一枚の湿板写真」が発見されたの。ところが、湿板写真とはガラス板に感光膜としてコロジオンという銀色の液体を塗布した面に転写するという方法で撮影されたものだったから、取り扱いがとてもデリケートでね。それを知らなかった研究者たちが「翌日にでも分析しよう」と思ってそのまま寝かせておいたところ、空気に触れたことでその写真に写っていた男性の姿は消えてしまったそうよ。青年の正体は夫の家茂だったとも、かつての婚約者だったとも言われていて、いまだに謎に包まれたままなの…。

山田先生への質問は締め切りました。たくさんの質問をいただき、ありがとうございました。