まるで本当に見てきたかのように「江戸のアレコレ」を語ってくれる、時代考証の山田順子先生。このコーナーでは毎週、そんな山田先生に“気になるシーン”について解説していただきます。
かまどにかけた鍋と釜。咲、煮上げた厚い布を鋏で切っている。
このドラマでは、火をおこすシーンもリアルにこだわっているの。
薪をくべて火をおこしているから、スタジオの中はとっても煙たいのよ。でもこれはすごくリアル!生木を燃やすと、どうしても煙が出るでしょう?だから、江戸時代のお屋敷の中は、想像以上にすすだらけでねぇ。年に一回12月の半ば“すすばらい”という行事を行って、真っ黒に汚れた屋敷内をきれいに保っていたの。それに、昔はこの煙でみんな、目をやられてしまっていてね。この当時に「結膜炎」なんて呼び方はなかったんでしょうけれど、目の病気を患っている人がとても多かったんですよ。
(戸惑って)これが普通なのですか?こんなご飯ばっかり食べるもんなんですか?
あのご飯の盛り方はちょっとマンガチックだったけれど(笑)、あながち間違ってもいないわね。江戸の人たちは、ひとりで1日5合ぐらいの白米を食べていたから、朝からあのぐらい(約1合強)は食べていたんじゃないかしら。その他のメニューを見てみると、御御御付(おみをつけ)に梅干し、なすとだいこんのお漬物。夕食時、これにめざし(干物の一種)なんかがつくと、「今日はごちそうだねぇ」って感覚だったと思うわ。めざしもそうだけれど、昔は梅干しも超高級品だったの。旅のときなどには、江戸の人たちは梅干しを油紙につつんで持ち歩き、たまになめてはつばを出し、眺め倒して食べていたんだから(笑)。
このセリフには「白米の量に対しておかずが少ない」という意味とは別に、お医者さんとして「こんなに白米だけを食べていたら、脚気(ビタミンB1欠乏症のひとつ)になってしまうんじゃないか」という、江戸の人たちの食生活への心配も含まれていたのかもしれないわね。
江戸の町でたたずむ仁の前を、杉田そっくりの飛脚が走っていく。「あ!あいつ先祖、飛脚だったのかな」
今回は、飛脚の話を少々。江戸時代にはもちろん車も自転車もなかったから、都市から都市へ人が走って荷物を届けていたの。飛脚にもいろいろと種類があるんだけれど、江戸の後期には皇室や大名たちが使うシステムを真似た、民営の制度も整っていたのよ。庶民が利用する飛脚問屋の中で一番早かった便は、江戸〜大阪間を3日で届けたというわ。ちなみに、この便を利用するとかかる料金は7両(今の金額に換算すると約56万円)。「こんな大金を払って、誰が飛脚を利用していたのか」って?実は、この便を主に使っていたのは米問屋たち。江戸と大阪の為替相場をいち早く知るために、この便を使って情報収集してたってわけね。
特に幕末は、庶民も暮らしが豊かになったために旅を楽しむようになったの。今も昔も変わらない感覚だと思うけれど、どこかへ出かけたら旅先でお土産を買いたいでしょう?そういったときに利用できるような、宅急便のシステムもすでに完成されていたんだから!
山田先生への質問は締め切りました。たくさんの質問をいただき、ありがとうございました。