『居酒屋もへじ』

水谷豊&石井ふく子 第6弾!

インタビュー

井上順さん インタビュー

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― シリーズ5作目は“母”がテーマ。ジミーにもスポットが当たりますが……

4作目までの中で、“ジミーは勘当された”という話は出てきましたが、それ以上は描かれていなかったんです。今回は“お母さん”がテーマで、ジミーの“親子関係”も大々的に描かれるということで、ジミーを演じる僕個人的にはプレッシャーがありました。ゲストとして出演される、一路真輝さん演じる川上さんも母一人娘一人の母子家庭で、その親子関係が描かれますが、それと平行して僕が演じるジミーの親子関係のほか、平次さんや校長、社長たちの親子関係も語られます。
登場人物それぞれのセリフ一言ひとことに血が通っているドラマなので、そんな中、当然ジミーのセリフも増えますし、今まで以上に頑張らなければという気持ちです。

― 井上さんにとって“お母さん”の存在とはどういうものでしょうか?

これはもう僕だけじゃなくて皆さんそうだと思うのだけど、大体の家庭では、お父さんが働きに出ているので、お母さんと過ごすことが多いわけじゃないですか。なので、お父さんへの想いとは別に、お母さんの存在というのは大きいと思います。
僕の母親は50歳で他界してしまいましたが、僕は両親を通して、石井ふく子先生やプロダクションの社長である吉田名保美さんという方たちと知り合うことができました。母は若くして亡くなってしまいましたが、石井のお母さんや吉田のお母さんと引き合わせてくれたのかなと。そういった意味で、僕は“母親”という存在に恵まれていたのかもしれませんね。
両親の愛情や母親の愛情って、子供の頃は当たり前のようにあるものだと思っていたけれど、今、この歳になってあらためて考えてみると、親のありがたさや家族の尊さを感じています。そんなこともあり、毎日出かけるときには仏壇にお水をお供えして「今日ももへじのリハーサルへ行ってくるからね」といった感じに話しかけています。
こうしてお芝居をさせていただいていると、僕を支えてくれた方たちの顔が浮かんでくるというか、想いを巡らすことがありまして、何だか皆さんが背中を後押ししてくれている感覚があります。皆さんに助けてもらって、ジミーの想いや空気感を出せていると思います。

― 芸能界へのデビューのきっかけがご両親だったのですか?

うちはその昔、渋谷の富ヶ谷でお爺さんが馬場をやっていまして、僕の父は次男なのですが、長男が馬場を継ぐことになり、父は「獣医になれ」と言われて獣医になった人です。その父の影響もあって、小さい頃は獣医に憧れていました。それと、世間のため人のためになる仕事として、新聞記者にも憧れていました。そんなある日、両親の知り合いのお宅へ連れて行かれて、「子供は奥の部屋で遊んでらっしゃい」みたいに言われて部屋に行くと、当時の僕より年上のお兄さんたちがギターやドラム、ピアノで洋楽を演奏していたんです。当時、テレビや映画では見たことはありましたけど、生の演奏を聴ける場所なんてあまりなかったこともあって、すごく惹かれまして。学校が終わって遊びに行くようになったんです。ここにいた人たちが、後に「六本木野獣会」と呼ばれる集まりだったんですね。
メンバーだった田辺靖雄さんや峰岸徹さんなどが芸能界デビューする中、同じようにメディアの世界やファッション業界などを目指す人たちが集まっていました。そんな野獣会の仲間とバンドを結成しまして、銀座のアシベや新宿のアシベ、上野のテネシーとか池袋のドラムなどで演奏活動をしているとき、今の田辺エージェンシー・社長の田邊昭知さん率いるスパイダースが「新しい形のスパイダースを作りたい」とお声をかけていただき、僕はスパイダースへ加入しました。
そういった感じなので、結局、僕がこの世界にいるのは自分から望んだことではなくて、親が野獣会の若い人たちが集まっている場所へと連れて行ってくれたからこそなんです。

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― もしお母さんがご存命であったら、なんと声をかけてあげたいですか?

僕は照れ屋でもないから、「サンキューありがとう」って言っていると思います。「お袋の子供でよかった」と、きっとそう言っていると思う。先ほども、仏壇の水を変える時に話しかけていると言いましたけど、そうして声をかけられるというのは、子供の時、両親がきちんとコミュニケーションしてくれていたからだと思います。もちろん、昔から「ありがとう」という感謝の気持ちはありましたけど、やっぱり今の方が一つひとつ深いかな。そう思えるのは今まで歳を重ねてきたからだと思うので、そう考えると、歳を取っていくのは決して悪いことではないですよね。

― バンドデビュー後、石井プロデューサーの「ありがとう」などで俳優業でも活躍の場を広げますが……

石井さんとは「ありがとう」の第2シリーズからのお付き合いですが、石井ドラマのテーマってあの当時から一貫して変わっていませんよね。大きく言えば“絆”ということになると思いますが、親子の絆、兄弟の絆、友達とや仲間との絆といったことを大きな幹として、そこから枝葉のようにいろいろなことが起こることで物語が進行していくといった感じでしょうか。そうした幹をきちんと持ちつつ、ブレることなく、その時代時代の背景もしっかり取り入れて描かれている。それをずっと続けてらっしゃるところは、やっぱりすごいことだと思います。
それと、石井さんが作ってくれる温かい磁場というか、撮影現場の雰囲気はとても気持ちが良いんです。そんな気持ちに慣れる場所なら、また行きたいって思うじゃないですか。“豚もおだてりゃ木に登る”というわけではありませんが、僕みたいな演技でも石井さんに「良かった」って言ってもらえると、もっと上手く演じたい、人一倍頑張らなきゃいけないという気持ちが生まれてきますよね。石井さんにはもちろん、演出家やスタッフのみなさん、水谷くんに対しても、下手なジミー坂田をやったら失礼だと思う。だからこそ、台本は100回近く読みますし、それこそ自分のセリフのところは4、500回は一人で練習しています。座ったり立ったり、その次にはちょっと声のトーンを落としてみたりと、考えられるあらゆることをやってみるんです。そんな姿をみられたら、ちょっと笑われてしまうかもしれませんね。とにかく、いろいろ自分でやってみた上で撮影現場へ入り、現場で演出家に整理してもらうという感じでしょうか。

この世界にデビューして以来、こうしてドラマをやらせていただくほか歌や映画、舞台や司会進行など、いろいろやらせていただいているので、僕のことを器用に思っている方もいるかもしれませんが、実はそんな器用じゃないんです。だから、とにかくやるしかないんです。ただ、いろんな方との出会いやいろんな仕事との出会いを通じて、この世界は本当に深いんだなと感じています。正直言って、自分の芯となるところはありませんが、周りの多くの方に助けていただき、今の自分があります。また、間近で素晴らしいことを見て体験させていただく機会もたくさんいただいているので、それは多少なりとも自分の肥やしになっていると感じています。

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― 最後に、この『居酒屋もへじ』シリーズの魅力をお聞かせください。

やっぱり“人の優しさ”だと思います。僕が演じるジミーと平次は小学校からの仲間なのですが、そんな平次は自分のことより人様のことを大事に生きている人。人にも優しいし、そんな平次が作る料理も、訪れるお客さんに対して優しい。そんな優しさを、平次を取り巻くジミーたちがワイワイと言いながらも感じている。そんなやり取りに優しさを感じて、心が癒されるのだと思います。
人それぞれに頑張りどころというものはあると思うのですが、人を押しのけてまで頑張るとまではいかないにしろ、ふと、何か大切なことを忘れてしまっているのでは? と感じるときがありますよね。そんなとき、平次のお店へ行けばいつでも居てくれて、特に言葉を交わさなくても、何故だか心地よさを感じさせてくれる。それがこの番組の魅力の一つなのでしょうね。
個人的なところでは、自分自身、60代になってから関わらせていただいている番組なので、とても良いプレゼントを頂戴しているというか、本当にありがたいことです。
僕は「順さんは、何が一番好きですか?」って聞かれると、“笑顔”って答えるんですね。笑顔の人を見て怒る人はいませんし、とても良い気持ちにさせてもらえるじゃないですか。例えば、携帯電話で笑顔で話している人を見ると、何か良いことがあったのかな? と思うし、こちらも微笑ましい気持ちになる。そんな笑顔がたくさん頂戴できるのがこの石井さんの作品であり、このドラマの撮影現場。そんなドラマだからこそ、観ていただいた方もきっと笑顔になっていただけるのだと思います。

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