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第1222回
一番遠い親日国
アルゼンチンに渡ったサムライ

2012年3月10日 夜9時〜

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宮地 眞理子(みやち まりこ)

1978年2月27日生まれ。神奈川県出身。女優として映画、TVドラマ、舞台などに多数出演するほか、CM、雑誌等でも幅広く活躍。趣味はボディボードと映画鑑賞。「映画は本当に大好きですね」との言葉通り、映画雑誌に連載を持っていたこともあり、自身でも「RAILWAYS」('10年)、「誘拐ラプソディー」('10年)に出演。ドラマではTBS「温泉へGO!」('08)にレギュラー出演する。特技は、新日本舞踊、合気道。
ミステリーハンターは今回で44回目(スペシャルの回は含まず)。

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日本からみるとちょうど地球の反対側に位置する国アルゼンチン。この日本から一番遠い国が実は親日国であることをご存知ですか?一体なぜアルゼンチンの人たちは、日本と日本文化に温かい愛情を示してくれるのでしょうか?今回でアルゼンチンを訪れること3回目というミステリーハンターの宮地眞理子さんにお話を伺いました。

移民たちの努力と勤勉さを評価してくれた国

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歴史上ほとんど接点がなかったアルゼンチンと日本ですが、明治時代からアルゼンチンへ移り住んだ日本人がいました。その頃アルゼンチンは、ヨーロッパの移民により世界有数の豊かな国に発展しており、夢を抱いて向かう新天地としてふさわしい国でした。そして日本とアルゼンチンを繋ぐきっかけとなった記念すべき日本人移民第一号の方は、明治維新によって日本を飛び出した旧旗本の武士でした。 「日本人移民第一号、牧野金蔵さんの息子さん、ペドロさんにお会いしました。101歳のご高齢と聞いていたので、ご本人を目の前にした時は信じられなかったです。シャンとなさっていて、キチッとスーツを着ておられて、しっかりとお話になる。カッコよかったですね。

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ペドロさんにとってお父様の金蔵さんは、今なおヒーローのような存在のようです。金蔵さんは、真面目に働き、当時花形職業だった機関士になり、子供たちにも優しく家族を大切にした方だったそうです。」 移民をした方のお話というと、壮絶な苦労をイメージしてしまいますが、アルゼンチンでは必ずしもそうではないのですね。 「移民の研究をしている先生にも伺ったのですが、アルゼンチンは稀にみる国だそうです。当時から人種による差別がなく、個人の努力を正当に評価してくれる国だったそうです。また日本からアルゼンチンへ渡った人たちは、技術者や企業家なども多く、政府が斡旋した開拓者としての移民ではなかったことも大きいですね。

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とは言うものの、日本から一番遠く、言葉も文化も違う異国で働き生活をするというのはやはり大変なことです。移民初期の方たちの努力は本当に偉大です。その方たちの勤勉さ、誠実さ、手先の器用さが尊敬され、今の親日に繋がっているのですから。取材でどこへ行っても日本人と言えば歓迎してくれますし、温かいおもてなしを受けました。アルゼンチンのみなさんが日本にとてもいいイメージを持ってくださっているのも、移民の方たちのおかげです。でもその事実は日本ではほとんど知られていないのが残念ですね。ですから今回の番組で少しでも多くの方たちにそのことを知って頂きたいです」。 日本人の勤勉さを評価してくれたのは、市井の人々だけではありませんでした。明治以降、日本が戦争中に窮地に立ったときにも、アルゼンチンは救いの手を差し伸べてくれたのです。

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「日露戦争のときに軍艦を探していた日本に立派な最新の軍艦を売ってくれたり、第二次世界大戦中にも日本への攻撃参加を拒み続け、戦後は日本にたくさんの救援物資を送ってくれたというエピソードは日本ではそんなに知られていませんよね。でもアルゼンチンでは有名な話で、両国が強い絆で結ばれている証として今も語り継がれているんですよ」。 ことに日本と日本人を評価してくれたのが、アルゼンチンの人たちが今なお敬愛するペロン大統領とその妻でエビータの愛称で親しまれているエバ夫人でした。ペロン大統領はよく国民に「日本人のように真面目に働きなさい」と言っていたとか。戦後からもうずいぶん時が過ぎましたが、今なお親日の心で日本人に接してくれるのですからとても嬉しいですね。

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