2015年4月期連続ドラマ毎週日曜よる9時

天皇の料理番と一丁倫敦

ドラマの舞台となる明治後期から大正・昭和にかけては、まさに日本の成長期。
当時の街並み・服装・生活ぶりなどの状況を、綿密なリサーチでその成長ぶりも忠実に再現しました。
中でも、篤蔵の成長と共に日本の成長と、
時代の推移を私たちに見せてくれている 「一丁倫敦」 の町並み ――

一丁倫敦 (いっちょうろんどん) 」 というのは、明治27年に赤レンガ積みの三菱一号館ができて以来、その周辺のビルを含めて、外国的な景観に統一したことから名付けられた 「通り」 で、丸の内の開発を象徴しています。
ドラマでは、丸の内に実在した 「一丁倫敦」 という通りを甦らせるべく、
現存する資料をもとに、TBS 緑山オープンスタジオに大掛かりなセットを建てています。

ストーリーが進むごとにその姿を進化させていく 「一丁倫敦」。
このページでは、その歴史を紹介していきます!

(1)大名屋敷から官庁街へ

丸の内は江戸城を守り、幕府の繁栄を支えた諸国の大名屋敷でした。
明治維新を境に江戸城は皇居となり、その周りを囲んでいた大名屋敷の町並みは新たな姿にかたちを変えます。
明治23年には、明治政府の方針により、丸の内を民間に払い下げることとなり、三菱がそれを一括して取得しました。
ドラマ序盤では、東海道線は新橋駅まで、中央線は御茶ノ水駅まで… と、丸の内界隈は不便な地域でした。さらに 「三菱が原」 と呼ばれるほどの荒野原だったのにも関わらず、明治27年には三菱一号館が竣工され、当時、交通の拠点だった新橋と皇居を結ぶ馬場先通りを舞台に、レンガ街時代が幕を開けます。

郡司福秀 《三菱ヶ原》
1902 (明治35) 年
三菱地所株式会社所蔵

(2)一丁倫敦と仲通り

三菱一号館は、明治27年、開国間もない日本政府が招聘した英国人建築家ジョサイア・コンドルによって設計された、三菱が東京・丸の内に建設した初めてのオフィスビルです。19世紀後半の英国で流行したクイーン・アン様式が用いられています。館内に三菱の銀行部が入っていたこともあるほか、階段でつながった三階建ての棟割の物件が事務所として貸し出されていました。
三菱一号館の竣工をはじめとして、馬場先通りには煉瓦造りのオフィスビルが建設されていき、三菱一号館から三号館、そこに東京商業会議所を含め、4軒長屋と呼ばれました。明治44年三菱十三号館の完成によって、軒高 15m で統一された首都の景観が形成され、人々はイギリスのロンドン市街の面影を重ねあわせこの景観を 「一丁倫敦」 と呼ぶようになりました。

(3)現在の「三菱一号館」

老朽化のために1968年 (昭和43年) に解体されましたが、40年あまりの時を経て、コンドルの原設計に則って同じ地によみがえりました。
今回の復元に際して、明治期の設計図や解体時の実測図の精査に加え、各種文献、写真、保存部材などに関する詳細な調査が実施されました。また、階段部の手すりの石材など、保存されていた部材を一部建物内部に再利用したほか、意匠や部材だけではなく、その製造方法や建築技術まで可能な限り忠実に再現するなど、さまざまな実験的取り組みが行われています。
19世紀末に日本の近代化を象徴した三菱一号館は、2010年 (平成22年) 春、東京・丸の内のアイコン、三菱一号館美術館として生まれ変わりました。

(4)蘇る一丁倫敦!

ドラマの中で登場する 「一丁倫敦」 丸の内の町並みは、TBS 緑山オープンスタジオで再現した大掛かりなセット!

時代の移ろいに合わせ、そのセットたちも美術スタッフの手によって進化を遂げていきます。

(5)「天皇の料理番」とのコラボ情報

番組ポスターへの登場だけではなく、2010年に 「三菱一号館美術館」 として生まれ変わった三菱一号館内併設の Café1894 にて、コラボメニューを提供中 !!
「日曜劇場 天皇の料理番」 のなかでも、代表メニューとなる 「カツレツ」 と 「オマールのビスク」 をお楽しみいただくことができますので、コチラのコラボページからぜひ、チェックしてみてくださいね!

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