TBSテレビ・毎日新聞社2015年・戦後70年共同プロジェクト「千の証言」



[ 千の証言・投稿 ]
東京都台東区・五十川チトセさん(83)


戦後、朝鮮から引き揚げてきた私は広島県呉市の高等女学校に編入、5年生の時でした。住んでいた江田島には米軍、呉にはオーストラリア軍が進駐し、兵隊と腕を組んで歩く派手な服装の女性たちが街にあふれていました。

公民の時間でした。いつも苦虫を噛みつぶしたような渋い顔のM先生が何かの拍子に言われました。「君たちはパンパンと言って馬鹿にしているが、君たちだってもしあの戦争や空襲で親も兄弟も親戚も誰もいなくなっていたら、他にどんな生きる道があるのだ」と。

いきなり頭を殴られた思いでした。ご飯も味噌汁も漬物も、およそ名前のつく食べ物は食べられない、着た切りスズメの引き揚げ者の私には、真っ赤なピラピラの洋服に濃い口紅の彼女たちは、まったく縁のない別世界の人間に見えていたのです。先生の一言で考えてみたら、何がなくても私には保護してくれる両親がいたのでした。もし身内が誰もいなかったら、確かに先生の言葉の通りでした。

転校や進学でいくつもの学校で教わってきたけれど、このM先生の言葉だけは折にふれては思い出し、つい自分本位に考え、行動しがちな私への戒めとしています。何年かたって東京に出てきた私に、人づてに先生の訃報が届きました。


一覧に戻る
TBSトップページサイトマップCopyright© 1995-2025, Tokyo Broadcasting System Television, Inc. All Rights Reserved.