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2005年08月18日 |
戦後60年、8月15日終戦の日のペギー葉山さんの日記 |
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8月15日の現場にアタックは、戦後60年、8月15日終戦の日の日記と題し、 歌手のペギー葉山さんをゲストにお迎えしてお送りしました。 この日、ペギーさんにも、8月15日にお書きになった日記をお持ちいただきました。 ペギー葉山さんの日記は・・・
8月15日水曜日 お天気、晴れ
今日は水曜なので、休日である。朝、警戒警報が出た。 お昼の食事が終わって、今日は重大な放送があるというので、役場にラジオを聞きに行った。 畏くも天皇陛下は、御自ら国民にお言葉を下さった。 日本はこの戦いに負けたそうである。そう思うとがっかりしてしまって、何をするにも嫌だった。 不安な心で過ごした。夜はお粥だった。お母さんがいらっしゃらないので、夜は何となく寂しかった。
ペギーさんは、当時小学生。集団疎開で福島県の田島にいらっしゃいました。 日記の中にある重大な放送とは玉音放送のことで、山の中だったのでラジオの電波状態が悪く、ペギーさんはよく聞こえなかったそうで、学校の担任の先生が泣いているのを見て、何で泣いているのかと尋ねると、「戦争は終わった」と答えたそうです。 それを聞いたクラスメートは「日本は戦争に負けたんだ」と言うと、先生が「バカモン!負けたのではなく、天皇陛下が戦争をやめてくださったんだ!」と叱ったそうです。 ペギーさんはこのことを今でも鮮明に覚えているとお話し下さいました。
そのころのペギーさんの思い出は、やはり食糧難だったということが大きいようでした。 当時、ペギーさんの周りの子どもは、自分が食べたいものの絵を描いて、壁に貼っていたそうです。 ちなみにペギーさんは、お母さんが作ってくれた太巻きとおにぎりの絵を貼っていたそうです。 戦争が終わるとペギーさんは、アメリカの美しいハリウッド映画を見て、自分もアメリカに行きたい、と考えるようになりました。 今から思えば、それはアメリカのイメージ戦略だったのではないかと振り返りました。 その後、ペギーさんはジャズの世界に入り、アメリカに向かうわけですが、戦争中はアメリカを憎んでいたペギーさん、実際にアメリカに行ってみると、とても暖かく迎えてもらい、感動したそうです。 それでも8月15日の記憶は、今でも鮮明に残っているそうで、この平和な世の中を作ったのは、当時若くして死んでいった人たちのおかげだと、ペギー葉山さんは振り返っていらっしゃいました。
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