先月いっぱいで、東京駅の「赤帽さん」が姿を消しました。そこでとうとう、東京で唯一の「赤帽さん」となってしまった、小森次郎さん(86歳)にお話を、伺いました。
小森さんは、昭和6年から70年間にわたって、東武浅草駅で赤帽の仕事を続けています.よほどの用事が無い限り、雨の日も風の日も、ほぼ毎日自宅のある江戸川区から1時間かけて通っているのです。そして東武浅草駅改札口近くでパイプ椅子に座り、頭には、「手回り品運搬人」とかかれた赤いフェルトの帽子にブレザー、ニッカボッカ-ズのズボンといういでたちで、お客さんを待ってます。
かつては、栃木県の足利や桐生から、産地の織物の生地や、地方公演の歌手のバンドの楽器など、100キロの荷物も担ぎ,朝から夜遅くまで、多い時は一日何百件もの仕事があったそうです。ところが、時代とともに、宅配便などの普及により大きな手荷物を抱えるお客さんも減り、仕事の依頼が、激減しました。
今では、荷物の運搬より,道案内が後を絶たず、取材中も何人もの方が、「都営の乗り場は?」とか、「キップ売り場は?」などひっきりなし。小森さんは、尋ねてくる皆さんに丁寧に対応し、近くの売店のお手伝いもやっているそうです。
そんな,小森さんにとっては、商売よりも、小学校の頃から知っているサラリーマンや20年来の付き合いになる売店のおばさんとか、皆に会うのが一番の楽しみでして、駅の雰囲気が、なんともいえなく好きなんだ、とおっしゃっていました。
また、その小森さんをささえて、留守番をしている奥さんは毎日お弁当をつくっているということです。
これからも、浅草駅の顔として、元気な赤帽さんでいてほしいと思います。
リポーター 大橋美佳