檀れい 今日の1ページ

女優の檀れいが毎回、その日にまつわる話題や風物詩などを交えてお届けします。忙しい朝のひとときを是非、番組と共にお過ごしください。

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出演者

檀れい

檀れい
1992年、宝塚歌劇団に入団。
月組、星組のトップ娘役をそれぞれ務める。
2005年に退団。
2006年、山田洋次監督作品「武士の一分」でスクリーンデビュー。
映画・TV・CMなど活動の場を広げ、2015年4月からTBS火曜ドラマ「マザー・ゲーム」にも出演。

「皆さん、師走ですよ!」というおはなし

2014年12月01日
早いもので、今年も師走。
今朝は今月しておきたいことを駆け足で見ていきました。

まずは、お歳暮。
届ける時期は12月はじめから20日ごろが一般的。
年内いっぱいでも構わないようなんですが、
あまりギリギリになると「ふるさとに帰っていてお留守」も
あるので、25日ぐらいまでに送るのがいいようです。

年末といえば、大掃除もありますよね。
年末に掃除をする「すす払い」の習慣は、
平安の頃からあったそうです。
江戸時代になると江戸城の「すす払い」が
12月13日に行うようになり、
一般の人々もこの日に行うようになったようです。

すす払いは部屋をきれいにする、
というよりは歳神さまを迎える準備。
一年の「穢れ」を掃除で清めるという意味がありました。
いまでもお寺や神社では
13日にすす払いをするところが多いですよね。

そして、年賀状。
デザインを考えたり、印刷に出したり、
という方はすでに準備を始めているかもしれませんね。
年賀状の投函は15日スタート。
25日までに出せば、元旦に届きます。
郵便局のお年玉つき年賀ハガキの一等は、
今年とおなじくお年玉一万円!
一等が当たる確率は、十万本に一本だそうです。

最後は……お餅!
お餅をつく日は特に決まっていませんが、
9が付く日は、「苦しい」を連想させるということで、
29日はあまりよろしくないとされています。
29を「ふく(福)」と読んで、
でも餅つきをこの日にするお寺もあるんですって。
要するに、「気持ち次第」ということでしょうかね。

この時期ならではの習慣を楽しみながら、
1年のフィナーレを迎えることができるといいですね。


あすは「ナポレオン」についてです。

ナポレオンのおはなし

2014年12月02日
12月2日はナポレオンが皇帝に即位した日。
型破りな英雄ナポレオンが、
私たちの暮らしに与えた「ちょっとした影響」をご紹介。

1804年の今日、ナポレオンの戴冠式が
パリのノートルダム寺院で行われました。
当時、カトリックの国の君主が即位するときには、
ローマへ赴き、教皇から王冠を授かるというのが常識でした。
しかし常識の中におさまらないのがナポレオン。
教皇をフランスに呼び寄せたのです。
これだけでも世間はびっくりしたというのに
彼はさらに前代未聞の行動に出ます。

戴冠式では、ふつう教皇が君主の頭上に王冠を置きます。
ところがナポレオンは自分の手で王冠をとり
自分自身の手で王冠をかぶってしまったのでした。

そして彼は新しいことをどんどん実践していきました。
皇帝の座についた年、
ナポレオンは食品を長期保存する方法を
多額の賞金をつけて募集しました。

軍隊が遠征をするときに必要だったからです。
この賞金を手に入れたのが、アペールという料理人。
殺菌消毒の方法を発明し長持ちする瓶詰を完成させたのです。
この方法は後にイギリスで応用され缶詰の発展にも繋がりました。

いまスーツを着ていらっしゃるという方は、
ちょっと袖口を見てください。
上着の袖口にボタンをつけたのも、
ナポレオンだと言われています。

ロシアへ遠征したときのこと。
厳しい寒さの中で兵士たちは、ぐすんぐすん、はっくしょん!
そして鼻水を服の袖口で拭いていました。
みっともないと思ったナポレオンは
袖口に金属のボタンをつけ鼻を拭きにくくしたそうです。

皆さんはありませんか?
「前例がありませんから…」と言われて諦めてしまうこと。
そんなときにはナポレオンを思い出してみてはいかがでしょう。
不可能が可能になるかもしれません。


あすは「鴨」についてです。

冬のご馳走、鴨のおはなし

2014年12月03日
ドラマでよくこんなセリフを耳にしますよね。
「へっへっへ、いい鴨がきやがった」

悪い人が騙しやすそうな人を見つけたときに言うセリフです。
これは鴨がおいしいから生まれたことば。
おいしそうな獲物がやってきた」という意味で
「いい鴨がやってきた」と言うんですね。

鴨は昔から日本人のご馳走でした。
江戸時代には将軍をはじめ多くの大名が
鴨猟を行う「鴨場」を持っていたといいます。

またこの時代はお歳暮として鴨を送りあうこともあったそうです。
食べ方はいろいろですが、
グルメで知られる作家・池波正太郎は、
食について書いたエッセイの中でこんな料理を紹介しています。

赤穂浪士が討ち入りの直前に食べたという、
鴨入りの卵かけごはん。
軽くあぶった鴨肉を醤油とみりんのつけ汁につけ
溶いた生卵とあわせて、炊き立てのごはんにかける…
ただそれだけの、簡単な一品だったそうです。
鴨は栄養価が高いとされる食材。
これに卵を合わせるのですから鬼に金棒のスタミナ食ですよね。

日本ではマガモやカルガモといった鴨は
決まった期間だけ捕獲が認められています。
そしてこの解禁の時期こそが鴨のおいしい季節なんですね。

たとえば、石川県加賀市。
11月15日からの3か月間だけ
伝統の猟「坂網猟」が行われます。
坂網と呼ばれるY字形の網を投げ上げて鴨を捕らえます。
江戸時代には、武士の心身の鍛錬に役立つということで、
藩が奨励していたので多くの藩士がこの坂網猟を行っていました。

この猟でとれる鴨は年におよそ200羽。
加賀市の限られたお店でししか食べられませんが
くせがなく滋味にあふれていて
そのおいしさから「幻の鴨」と呼ばれているそうです。

加賀市のほかにも天然の鴨の産地は各地にあります。
お取り寄せもあるようですから、
皆さんも冬の鴨を味わってみてはいかがでしょうか。


あすは「靴下の町」についてです。

靴下の町のおはなし

2014年12月04日
靴下の生産・日本一の県は奈良県だそうです。
この場合の「靴下」には、
ストッキング、婦人靴下、紳士靴下、子ども用靴下が含まれます。

奈良県は昔は綿の産地。
この綿を利用してつくられるようになったのが靴下でした。
しかし合成繊維ができてからは綿の栽培は衰退
靴下産業だけが奈良県に残ったというわけです。

この奈良県には「靴下の町」と呼ばれているところがあります。
県内一の生産量をほこる広陵町です。
最盛期には150の靴下工場があり
細かい工程は一般のおうちが内職として受け持っていました。
町の暮らしの中に
靴下づくりがごく自然に根付いていたんですね。

最盛期よりは少なくなってしまいましたが、
現在も50前後の靴下工場があるそうです。

「靴下の町」を広く知ってもらうために
イベントも開かれています。
年に2回開催される「くつしたの市」。
広陵町の靴下工場が出店、格安で靴下が買えるとあって、
毎回たくさんの人で賑わうそうです。

そして広陵町ではこんなあたたかい活動もしています。

靴下は筒状に編んでいきますがつま先の部分を閉じる前に、
はじっこを一センチぐらい切り落とすので
リング状のハギレが出ます。
このハギレを福祉施設に送って手芸の材料として
使ってもらっているそうです。
コースターや、ぬいぐるみ、コサージュといったものが
できるそうですよ。
 


あすは「原爆ドーム」についてです。

原爆ドームのおはなし

2014年12月05日
広島の街に原爆が投下されたのは1945年8月6日、
原爆ドームからおよそ160mのところで原爆が炸裂しました。
爆風と熱を浴びた建物は
天井から炎を噴いて燃えていたといいます。

私たちはいまこの建物を「原爆ドーム」と呼んでいますが、
誕生したときからこの名前だったわけではありません。

1915年完成当時の名前は
「広島県物産陳列館」。

物産品を展示・販売をしたりする施設でした。
開館当初はみかんや牡蠣といった名産品が並び、
その後美術展なども開かれるようになったそうです。

設計したのはヤン・レツルという、
チェコの建築家です。
1907年に来日してホテルや学校の校舎など
たくさんの建築を手がけています。

「広島県物産陳列館」はレンガ造りの三階建て。
外側にはモルタルを塗り凝った装飾をほどこしていました。
川辺に立つこのモダンで美しい建物は
広島の名所の1つだったそうです。
しかしこの美しい姿は一瞬で失われてしまいました。

そして1996年12月5日
いまから18年前の今日、世界遺産に登録されます。
戦争の惨禍を伝える歴史の証人としての価値が
評価されたのでした。
   
設計者であるレツルは
故郷にいるころから東洋文化に興味があり、
漢字の読み書きもできたそうです。
そして日本人女性と暮らし
着物を着て微笑む写真も残っています。

レツルは原爆投下の二十年前に亡くなっています。
いまは鉄骨だけになってしまったドームを、
彼は遠い空からどんな思いで見ているのでしょうか。

悲しい遺産はもう増えてほしくありませんよね。
後世には美しい遺産をたくさん残したいものです。
    

次回は「感謝する日」についてです。