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63年前の発掘フィルムを修復! 初の国産「テレビ映画」がDVDで蘇る!!  〜テレビの夢だった「ぽんぽこ物語」〜2020.2.7

ボタン写真 <主演 美少女スタア小鳩くるみ 七変化で危機を乗り切る愉快な旅道中コミカル活劇!>

2月12日にDVDで発売されます。主演 小鳩くるみ 出演 大塚周夫、若水ヤエ子、久野四郎、栗原眞一 脚本と音楽はあの川内康範+小川寛興の「月光仮面」コンビです。

2018年に奇跡的に発掘された67本のフィルム原盤を1年にわたって修復しています。レストア済みのエピソードから特別におもしろい12話をDVDにいたしました。
さらに、少女スタアだった小鳩くるみとその後消えた子役栗原眞一が61年ぶりに再会するドキュメントや、小鳩くるみが放送以来はじめて番組を見る特典映像を収録しました。
また小鳩くるみの家で保管されていたサウンドトラックテープをCDにし、<DVD+CD>のセットにいたしました。
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ボタン写真 ① 「ぽんぽこ物語」は日本のテレビの夢でした

テレビがまだまだ子どもだったころのことです。東京タワーがまだ完成していない1957年(昭和32年)、日本ではじめての「国産テレビ映画」として誕生したのが「ぽんぽこ物語」です。それは、日本のテレビの夢でした。
まだテレビ局は、日本に3局しかありませんでした。放送は一日、数時間だけ。基本は生放送の時代です。VTRも実用化されていませんでしたから。一方で、アメリカはすでに「テレビ映画」全盛でした。 ハリウッドの映画会社がフィルムで製作した番組をさかんに輸入しました。日本のテレビ局には、自前のテレビ映画をつくる制作力がありませんでした。機材、技術、人材などのすべてがそろっていませんでした。日本の映画会社は一切、協力してくれませんでした。五社協定を結び、新興のテレビを排除していました。そんな中で、自前でテレビ映画をつくることは、悲願であり、夢でした。

「スーパーマン(テレビ版)」、「名犬ラッシー」「ベンケーシー」など日本でテレビがはじまったころの人気番組は、アメリカの「テレビ映画」です。テレビ映画は、興行用ではなく、テレビのために制作された映画のことです。 当時ドラマと呼ばれていたのは、舞台のようにスタジオで一発本番の生放送のドラマでした。

NHKが同様の制作(こぐま物語、1959年)を始める2年前というあまりに時代の先を行き早過ぎていたことや、後継番組の月光仮面があまりに有名となったことや、「ぽんぽこ物語」のフィルムはその後、行方が知れなくなったことなどで、いつしか「幻の元祖作品」となり、忘れ去られた存在となりつつありました。

しかし、2018年秋にTBSビジョン=現在のTBSスパークル=の倉庫でフィルム原盤が大量に発見され、大きなニュースとなりました。67本もの原盤でした。かなり傷みが烈しいものがあり、1年かけてフィルムをデジタル修復しました。レストアがなされた12話をセレクトし、DVDとして発売することになりました。63年振りに蘇る番組です。

② 元始、テレビは「ぽんぽこ物語」という太陽でした!

「ぽんぽこ物語」は歴史的偉業です。「テレビの原点」です。あの堀川とんこう氏は言います。「『ぽんぽこ物語』はテレビ草創期にはじめての技術、新たな手法でドラマをつくろうとした人間がいた記録である。それは「テレビドラマの原点」と呼ぶに値する」(DVDぽんぽこ物語ベストセレクション ライナーノーツより)

テレビ草創期の1957年今道編成局長(後の社長)の大方針で先行するNHK,日本テレビとの差別化戦略としてドラマ重視が打ち出されました。TBSは、東芝日曜劇場、うろこ座といった生スタジオドラマ(草創期は基本が生放送。当時のドラマは舞台中継のひとつ)を強化することに加え、米国から滝のように押し寄せた「テレビ映画」(興行映画ではなく、テレビ画面専門につくられた映画。テレビ版「スーパーマン」、「アイラブルーシー」など。今のテレビドラマ)を日本でも自前で作らなければいけないと決意しました。1957年のことです。あの「最良の放送局たれ」の社訓が生まれたのはこの年、社祖足立正の年頭のあいさつでした。

ボタン写真 そして、TBSテレビのプロデューサー大垣三郎が企画をたてました。大ヒットバラエティ「おトラさん」(柳家金語楼)で有名でした。そして、制作を東京テレビ映画(後のTBSビジョン、現TBSスパークル)に発注しました。同社は、それまでニュース映像とインサートフィルムを専門としました。当時は大手の映画会社は五社協定を結びテレビを排除していました。映画会社からは一切、協力を得られない中で、東京テレビ映画は徒手空拳、フィルムでの収録作品の制作の大冒険に乗り出します。はじめてのテレビ映画づくりはいたいたしいほどの挑戦でした。

ボタン写真 当時のスタッフでただひとりお達者な彼末淳氏は、「今まで、誰もやったことがないことで、まったく何日も睡眠もとれず無我夢中でやりました。でも、日本ではじめてのものを創る喜びがありました」と語っています。NHKが、こうしたテレビ映画をはじめてつくるのはこの2年後(子熊物語,1959)です。TBSグループは、月曜から土曜まで、全74話という「テレビ映画」を創り切ったのです。これこそが日本で初めてのテレビ映画です。

そんな先人たちのパイオニア精神の塊である番組は、放送後、ずっと行方知れずでしたが、2018年、秋に奇跡的に見つかったのです。そしてそれを一年かけて復元できました。「日本で誰もやっていないテレビ映画に彼らは挑戦したのです。テレビの金字塔です」と中央大学の市川哲夫教授は語っています。(ぽんぽこ物語DVDライナーノーツより)

「ぽんぽこ物語」には、先人たちのチャレンジ精神がつまっています。愉快で楽しくはちゃめちゃな物語が私たちに「ハンドオーバー」してくるものは少なくないと感じます。

写真 ③ 川内康範:「月光仮面」の前に「ぽんぽこ物語」があった

国産テレビ第一号でありながら、忘れられつつあった「ぽんぽこ物語」(1957-58)と二番目の、あまりに有名な「月光仮面」(1958-59)は密接な関係があります。

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1. この二つは実は、「姉妹」の関係であり、
2. 「太陽と月」の関係でもある。
3. どちらも「菩薩」という要素がある。

そもそも苦労した同じ開拓者の仲間です。どちらもテレビ草創期の先人たちが想像を絶する悪条件の中で、苦心惨憺の末、つくりあげたテレビの最初の子どもだと言えます。撮影して現像をし、さらに音声をアフレコしなければならないフィルムの時代に、毎日毎日の連続番組をつくるということはそれまで誰も挑戦さえしませんでした。同じような挑戦は例えばNHKでは「ぽんぽこ物語」の二年後にやっと始まる(子熊物語、1959年2月)のです。
果敢に放送の歴史を拓いた最初の二作は、合わせ鏡にうつる物体のようです。ただし、ちょっとゆがんだ不思議な合わせ鏡にうつる二つなのです。その鏡を設えたのは大作家、川内康範(1920-2008)です。この2作によって川内康範は、スーパーマンとは異なる日本のヒーローを創造しました。慈悲に満ちた、仏心のある独自のヒーローを造形し、人々を熱狂させました。その原点はこの二作にあります。

1. 姉妹番組

1958年(昭和33年)。東京の城南、芝で日本初の電波塔が次第に天高くそそり高くそそり立っていった年(12月完成)。そして、ウェスタンカーニバルの熱狂が幕を開けた2月、月光仮面がはじまる一週間前、新聞で新しいテレビ番組「月光仮面」が紹介されました。

ラジオ東京テレビでは、24日から、毎夕六時に帯番組として「月光仮面」を取り上げる。これは「ぽんぽこ物語」の姉妹編として大人も子どもの楽しめるスリルとサスペンス、スピードをもったテレビ映画で、外国物にも劣らないテレビ活劇といえよう。
(読売新聞 1958年2月16日)


「ラジオ東京テレビ」とは現在のTBSテレビのことです。アメリカの「テレビ映画」(テレビ用につくられた映画、現在のテレビドラマ)全盛の時代に、日本で最初のテレビ映画としてはじまった「ぽんぽこ物語」はあと6話で、4か月前に予定していた回数を完了し、完結するところまできていました。この新聞記事は、TBSからの番組宣伝資料がもとになっています。後番組の「月光仮面」は、「ぽんぽこ物語」の<姉妹番組>と明記されていました。姉が「ぽんぽこ物語」であり、妹が「月光仮面」です。放送局はそう認識し、それを意図しました。「ぽんぽこ物語」が好調に推移し、スポンサー(武田薬品)は継続しました。脚本家(川内康範)、役者が受け継がれています。(「ぽんぽこ物語」の精助役の久野四郎は「月光仮面」で袋五郎八に、魚徳の大塚周夫は、「月光仮面」では山本記者役となるなど)。この二作は一体化した姉妹でした。

2.「太陽と月」のヒーロー造形

川内康範(1920-2008)は、戦後、詩人として出発し、その後、映画の脚本家となりました。テレビ草創期にはじめて手掛けたテレビ脚本が「ぽんぽこ物語」でした。(以来、TBSでは240本の脚本を手掛けました)

「ぽんぽこ物語」は、すでにラジオドラマ(ラジオ東京)、映画(新東宝)として人気があった狸兄妹の冒険道中ものを川内康範がテレビ用に脚本化したものなのです。映画と明らかに異なるのは川内独自のヒーロー造形にありました。「ぽんぽこ物語」は実は、日本のテレビにおける超能力ヒーローの嚆矢だと言えます。子だぬきは、人間に生まれ変わりながらも、たぬきの超能力を有し、旅途中で危難に陥れば、秘密の技で切り抜けます。そして、そもそも兄と妹は「世の中の善人を助け、悪い人をくじく(川内康範の台本にある「制作意図」)という勧善懲悪の役割を担っています。

だからこそ、主人公の兄妹は、子どもという設定なのに、大人の悪人を倒し、善人を助けます。倒すといっても、特徴的なのは、敵に対する態度です。そもそも敵として憎むことがありません。慈悲の心で、さとし、赦すのです。敵を倒し、殲滅するアメリカのヒーロー像とは全く異なります。月光仮面の「憎むな、殺すな、赦しましょう」という言葉はまだ生まれていませんが、兄妹の態度は月光仮面主義の先駆となっています。(例:第24話で、初夢姫の旅一行は、山賊の権吉たちに捕われるが、たぬきの力でピンチを乗り越え、寛容の気持ちで接する。すると、そのやさしさに鬼の権吉が涙する)

ぽんぽこ兄妹も、月光仮面も、川内の仏教心にもとづくヒーロー像ですが、面白く興味深いのは両者が太陽と月の関係でもあることです。

ぽん子、そして人間に生まれ変わった初夢姫は、太陽でした。今回発売のDVD+CDセットのうち、CD収録の三曲目「白妙城の初姫さま」の歌詞に以下のくだりがあります。本作の主題歌・挿入歌はもちろんすべて川内康範によるものです。

だれでも笑顔であいさつなさる たしかに姫はよいお方
我らが町の、ひとびとの
初姫さまは太陽だ
初姫さまは太陽だ


お姫さまは、太陽のようなヒーローでした。やはり川内康範の作詞である「月光仮面」
の主題歌にも同じような歌詞がありますが、肝心の部分が異なります。

だれでも好きになれるひと
夢をいだいた月のひと
月光仮面は誰でしょう
月光仮面は誰でしょう


誰もに好かれているという点では一緒。そして、お姫様はあかるい太陽のようであるの
に対し、月光仮面は、月なのです。


3. 菩薩としての「助ツ人」(「つ」ではなく、「ツ」である)

川内康範は2008年、おふくろさん騒動が終結しないまま亡くなりました。戒名は、「生涯助ツ人」という破天荒なものでした。生前の川内の言葉によります。彼が生涯貫いたモットーでした。1984年、グリコ森永人質事件で、「かい人21面相」と渡り合ったのも「助ツ人」としてでした。

「ぽんぽこ物語」には、川内作品で、はじめて「助ツ人」が登場します。「鬼面菩薩」です。
第50話で、親書を懐に密使となったぽん吉が幕吏に囲まれます。
そこに突如登場するのが謎の仮面剣士、鬼面菩薩です。強い「助ツ人」なのですが、菩薩なのです。仏心です。
衆生を救う慈悲の心を持つヒーローです。ぽん子もそうです。悪人を真人間に改心させるという日本ならではのヒーローです。自分自身と理想の姿を重ね合わせていたのかも知れません。これに対し、あまりに有名なことですが、後続番組の「月光仮面」は、日光、月光の両菩薩のうち月光菩薩をもといにしています。
こうした謎の助ツ人ヒーローの登場は、その後、昭和のヒーローもののひとつの重要なパターンとして受け継がれていきました。

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