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今回見つかったのは、『ぽんぽこ物語』(1957年11月11日〜1958年2月22日放送。全75話)の71話分の原盤フィルムです。『ぽんぽこ物語』は、日本の放送史において、国内で初めて収録・制作されたテレビドラマでした(当時は、「テレビ映画」と言いました)。
月〜土曜日に放送された10分間のドラマ番組。子だぬきが人間に生まれ変り、旅をする物語で、主演は当時の少女スター、小鳩くるみ。脚本は川内康範(『月光仮面』、「おふくろさん」作詞など。)
参考:テレビドラマの先駆けとされてきた『月光仮面』の放送は「ぽんぽこ」の直後1958年2月24日〜1959年7月。
原盤フィルムは、TBSの子会社であるTBSビジョン(代表取締役社長:阿部龍二郎)の倉庫に保管されていたもので、このほど、在庫の整理をしていたところ、確認されました。ブリキ缶に16mmの映像フィルムのネガと音声フィルムが1話分ずつセットで収納されていました。缶には、番組名『ぽんぽこ物語』や放送局名(JOKR、現TBSテレビ)のほか、制作社名として「東京テレビ映画」(TBSビジョンの前身)が記されています。フィルムにカビや大きな傷等はなく、良好に再生ができました。現在、ネガのデジタルマスタリングを急ピッチで進めています。
■主演した鷲津名都江(70、元 小鳩くるみ)さんの談話
国産のはじめてのテレビ映画は『ぽんぽこ物語』ですといい続けてきたのですが、発見されて本当にうれしいです。中身をみて、懐かしくしあわせです。
■テレビドラマの歴史に詳しい中央大学 市川哲夫特任教授のコメント
映像も美しく、フィルムならではの豊かさがあり、よく完全に保存されていたと驚きます。「月光仮面」に先駆けた70数本を見ることができるというのは大変な価値があります。
なお、小鳩くるみ(鷲津名都津さん)さんが『ぽんぽこ物語』の映像に61年ぶりに再会する様子を、来年1月18日、『爆報!THEフライデー(毎週金曜よる7時〜放送)』で放送する予定です。
また、発見されたフィルムについては、補修した上でデジタルリマスタリングを急ピッチで進めています。
来年、夏にもTBSヴィンテージクラシックスのDVDとして発売する予定です。
資料1 日本のテレビドラマ草創期の歴史
TBSヴィンテージクラシックス調査まとめ
①1940〜実験放送、試験放送時代の生中継ドラマ
■1940年4月「夕餉前」 原作 伊馬春部 カメラ2台
■ 10月「謡と代用品」中村メイコ主演。このあと戦争で途絶える
②1945〜戦後、ラジオドラマの時代
■戦後 GHQ占領下CIE(民間情報教育局)の指導で「長期連続放送劇」がはじまる。
■1947-1953年 「向こう三軒両隣」(伊馬春部)「鐘のなる丘」(菊田一夫)
③1952〜NHKテレビ試験放送のスタジオ生ドラマ
■1952年12月「枯草物語」(NHK)
(現存する最古の実験ドラマフィルム。4分。インサート用。音声なし)
④1953〜テレビ放送元年からの生中継スタジオドラマ
■1953年8月「私は約束を守った」日本テレビ ドラマ第一作
■ 10月「さつきさん」日本テレビ 昼ドラマのはしり
■ 10月「わが家の日曜日記」日本テレビ 連続ホームドラマの草分け
■ 11月「幸福への起伏」NHK、13回連続ホームドラマ、ワンクールの型
■1954年11月「風光る」(単発生中継ドラマ)
(最古のドラマ本放送関連フィルム、インサート用3分08秒)
⑤1955〜ラジオ東京テレビ(現TBS)開局と新しいドラマのチャレンジ
■1955年4月「日真名氏飛び出す」(TBS〜1962.7.14)大人気を博し7年、380回続いた日本初の本格探偵ドラマ。スタジオでのアクションをふんだんに取り入れ、スタジオの生中継ドラマにロケーション撮影のインサートフィルムを効果的に使った。このインサートフィルム制作を担当した東京テレビ映画社(現TBSビジョン)がこの2年後に全編フィルム撮影の日本初のテレビ映画(ドラマ)を制作することになる。
■1955年 8月「轟先生」(日本テレビ)スタジオ生ドラマ。5分、連続帯ドラマの第一号。
■1956年11月「スーパーマン」(TBS)「アイラブルーシー」(NHK)など米国テレビ映画が大ヒット。背景に邦画5社の劇映画提供中止(5社協定)。
■ 12月「戻り橋」(TBS、東芝日曜劇場第一回、一時間枠TVドラマの草分け)
⑥1957〜TBS、「国産テレビ映画」の制作を開始。収録ドラマへの道を拓く
■1957年11月「ぽんぽこ物語」(11.11〜1958.2.22)放送。月曜から土曜の帯ドラマ、15週。全75話。各話10分。
屋外ロケ撮影した国産初のテレビ映画である。主演は当時の少女スター小鳩くるみ(1948-)。脚本は川内康範(1920-2008)。音楽は、小川寛興(1925-2017)。川内・小川は、「ぽんぽこ物語」の後番組、「月光仮面」を手がけた。
「月光仮面」(1958 .2-1959.7)は、巷間「最初の国産テレビ映画」といわれることが多いが、正確には「ぽんぽこ物語」こそ「月光仮面」に先行し、日本の放送史において、はじめて自前でフィルム収録し制作したドラマ番組である。
この事実は、放送関係者の間ではよく知られている。放送史において以下のように記述されてきた。今回の「発見」によって本来の事実がより正確に認識されることとなろう。
「初の国産テレビ映画は『ぽんぽこ物語』」(テレビ史ハンドブック/自由国民社p29 )
「日本最初の国産テレビ映画は『ぽんぽこ物語』」(テレビ番組事始/志賀信夫 NHK出版)
「『ぽんぽこ物語』は初の連続テレビ映画」(TBS50年史)
「日本初のテレビ映画はKRT(現・TBS)の子会社の東京テレビ映画株式会社が製作した10分の帯番組『ぽんぽこ物語』で、1957年11月11日から放送開始された。その終了後1958年2月24日から放送されたのが15分の帯番組『月光仮面』である。」(Wikipedia 「ドラマ」の項)
なお、テレビ草創期の名作として「私は貝になりたい」(TBS,1958年10月、芸術祭大賞受賞)が知られている。これは「ぽんぽこ物語」の一年後に新たに導入されたVTRを活用した作品であった。またNHKの最初の収録作品は「こぐま物語」であり「ぽんぽこ物語」の二年後のことである。(日本放送史 下巻/NHK 1970 年 p549)
資料2 TVドラマの歴史に詳しい中央大学市川哲夫特任教授(総合政策学部)の鑑定
「ぽんぽこ物語」原盤フィルム「発見」の意義(取材 TBSヴィンテージクラシックス)
映像も美しく、フィルムならではの豊かさがあり、こんなに貴重なものがよくここまで完全に保存されていたなと驚くばかりですね。
国産テレビ映画としては一般には「月光仮面」が有名ですから、みなさん国産のテレビ映画の第一号は「月光仮面」と認識し、共通理解していたんです。
当初はそうだったんですけれど、これをよく調べますとね、今回、発掘されました「ぽんぽこ物語」というのが、75本放送されていたという。これはTBSの社史にものっていますが、それが10分枠で75本、幻だったのですね。
その幻がでてきたということのテレビ史的な意味は大きいと思います。これは日本におけるドラマの祖形であるといえると思います。
それが今回、発見されたということですけれど、初期の日本のテレビのドラマというのは、スタジオかロケーションでフィルムで撮影して、それをインサートして放送していたわけですが、こういう「ぽんぽこ物語」のように全編収録したものというのは、もちろん先行例はアメリカがモデルになっているわけですけれど、アメリカのTV映画がですね日本のテレビ番組の表案をですね、かなりのウェートをしめていたのですね。日本はですね、当初こそ、(映画会社)五社の旧作を放映するという形をとっていたのですが、その後、これが映画界からの締め出しっていうと変ですが、門外不出にすると、新興のテレビというメディアに対して五社の映画は放映させないというそういう取り決めが背景にありましてですね、当時のラジオ東京はなんとか自前のテレビ映画をアメリカに見習ってつくりたいと考えたんですね。
当時は、アメリカと日本の経済的な格差は圧倒的なものですから、制作費用も数十分の1くらいだったと思います。この「ぽんぽこ物語」で当時制作費用が一本、10万円くらいで、貨幣価値は今は20倍くらいですから、今の価値でいえば200万円くらいでしょうかね。
それでもこういう時代劇ですと大変なお金がかかるわけですね。ですから、番組の収支としては相当な赤字を出したといわれていますね。
それでその経験を踏まえて次の「月光仮面」という人気シリーズにつながるわけですけれど、その前駆的なこの70数本を見ることができるというのは大変な価値があると私は考えます。