手作りフリップ(2021年8月29日放送)
「障がい者スポーツの祭典、東京パラリンピック開幕」

パラリンピックは、73年前、1948年のロンドン・オリンピックに合わせて、イギリスのストーク・マンデビル病院で開かれたアーチェリー大会が起源です。 ルードウィッヒ・グットマン博士が、戦争などで脊髄を損傷した兵士たちのリハビリとして開きました。
その後、国際大会として、徐々に発展し、1960年のローマ大会が、後に「第1回 夏季パラリンピック」となりました。

じつは、初めて「パラリンピック」という名前が使われたのは、57年前、1964年の東京大会なんです。
この開催に尽力したのが中村裕博士です。
この時の出場選手は、脊髄を損傷した「下半身まひ」の人々だけで、パラリンピックの「パラ」は「パラプレジア」、下半身まひを意味する英語からきていました。
その後、徐々にその他の障がい者にも参加資格が広がり、1985年に、「パラ」は「もう一つの」を意味する「パラレル」とすることが決まり、1988年のソウル大会で「パラリンピック」の名前が正式に使われることになりました。

こちらは今回の東京大会の金メダルの数ですが、オリンピックよりもパラリンピックのほうが多いのが特徴です。
例えば、陸上競技100メートルだけでも男女あわせて29人の金メダリストが誕生します。 というのも、「公平」な試合ができるように、陸上競技のトラックをみると、障がいの種類で7つ、さらにその程度により、全部で20のクラスに分かれます。
そのため、同じ100メートルでも複数のメダル獲得者が出るんです。
陸上競技のクラス表示は、このように表記されます。
アルファベットは種目のジャンルを示し、Tはトラックを意味します。 十の位は障がいの種類で、3だと「脳性まひ」を表し、一の位の数字が小さいほど、障がいが重いことを示しています。
パラリンピックの奥深さは、選手たちが自身の障がいを理解し、工夫を凝らして、もてる力を最大限に発揮しているところにあります。

例えば、水泳は、障がいの部位によって水の抵抗が異なるため、泳ぎ方が選手ごとに異なります。 自分の体に合った泳ぎ方を見つけた選手が強いと言われています。
走り幅跳びは、義足を着けたら誰でも跳べるわけではありません。 義足の進化に合わせて、それを使いこなすための筋力や技術力も必要です。

また、マラソンの視覚障がい選手は、伴走者と一緒に走りますが、息の合った連係を生むために、長い期間をかけて関係づくりを行います。 ちなみに、伴走者はレース中、選手への叱咤激励すら禁止されているんです。
パラリンピック選手が大切にする言葉があります。
「失ったものを数えるな、残されたものを最大限生かせ」パラリンピックの父とよばれるグットマン博士の言葉です。
