手作りフリップ(2021年7月4日放送)
「“100周年”中国共産党とは」

中国共産党の結党は、1921年7月、上海で行われ、参加メンバーはわずか13人。
当時27歳、毛沢東はそのメンバーの一人に過ぎませんでした。
これから100年経ちましたったんです。
当時の中国は、軍閥と呼ばれる独立勢力が各地で乱立し、内乱状態。
そんな中、共産党は、農村部を拠点に勢力を拡大していきました。
そして、蒋介石率いる国民党との内戦で、頭角を現したのが毛沢東でした。
1937年から日中戦争が起こり、旧日本軍と戦うため、国民党と協力したこともありましたが、第二次大戦後、共産党が内戦に勝利。
1949年に中華人民共和国を建国し、一党独裁の統治が始まりました。
敗れた国民党は大陸から逃れ、中華民国政府を台湾で存続させます。

権力を一手に握ったのが「建国の父」毛沢東です。
毛沢東は、急激な社会主義建設を目指す「大躍進政策」を進め、数千万人と言われる餓死者を出しました。
「文化大革命」では権力闘争を行い、資本主義的とされる人たちを次々と粛清し、社会に大混乱を招いたのです。
また、アメリカや旧ソビエトなどとも武力衝突し、周辺諸国と対立しました。
この毛沢東路線から脱却したのが、鄧小平です。
社会主義については、これを維持しながら「改革・開放」を掲げ、市場経済を導入する独自の政策で、経済成長を進めました。
しかし、1989年の天安門事件では、民主化を求めて集まった学生らを武力で鎮圧し、西側諸国から厳しい批判を受けました。 そこで、対立を深めるのではなく、「韜光養晦(とうこうようかい)=才能を隠して、内に力を蓄える」を提唱し、対立を避けました。 また、毛沢東時代の反省から、権力闘争を封じるために集団指導体制を構築し、安定をもたらしました。

しかし、2012年に習近平政権が発足すると、第二の毛沢東を目指すような動きを見せます。 権力闘争については、2013年、習近平氏は、中国社会にまん延していた汚職・腐敗を撲滅する運動を起こし、ライバルを排除、自身の権力を強化していきます。 改革開放については、その成果を認めながらも、国家の統制を強めます。
また、「韜光養晦(とうこうようかい)」、内に力を蓄えることから一転、「偉大な中華民族の復興」を唱えます。 これは巨大経済圏「一帯一路」や南シナ海・東シナ海への進出となり、国際社会に軋轢を生んでいます。
そして、2018年、それまで国家主席の任期「2期10年」を削除。
長期政権を目指すとみられています。
覇権主義を突き進む習近平政権と、今後、どう向き合っていけばいいのでしょうか。
