手作りフリップ(2021年2月7日放送)
「ミャンマーで軍事クーデター」

アウン・サン・スー・チー国家顧問率いる与党NLDは、去年11月の総選挙で、およそ6割(396/664)の議席を獲得。一方、国軍側は憲法で保障された166議席の他に、33議席しかとれませんでした。しかし軍は「選挙に不正があった」と主張、議会が召集されるはずだった2月1日、クーデターが起きたのです。

ミャンマーの旧称はビルマ。
日本の占領を受けていた時期があり、また「ビルマの竪琴」もあって、その名は広く知られています。
「ビルマの竪琴」で描かれた第2次世界大戦終結の1945年に、アウン・サン・スー・チーさんは生まれました。1948年にイギリスから独立。1962年、内戦などで国内が混乱する中、国軍のネ・ウィン将軍が軍事クーデターで政権を奪取、社会主義体制を築きます。そしてその後、半世紀にわたって国軍の政治支配が続きました。

一方スー・チーさんは民主化をめざし、1988年に現与党のNLD=国民民主連盟を結成しますが、翌年、「国家防御法違反」で自宅軟禁に置かれます。軟禁状態で民主活動を続けたスー・チーさんに、1991年、ノーベル平和賞が贈られます。
それから20年経った2011年、ようやく軍政から民政への移管が実現。2015年には民政移管後、初となる総選挙が行われ、NLDは与党に躍進したのです。
一見順調に見えたミャンマーの民主化ですが、大きな壁にぶつかります。2017年、国軍による、イスラム教徒の少数民族「ロヒンギャ」の迫害と、それを容認するかのようなスー・チーさんの対応に、国際社会から激しい非難の声が上がったのです。

こうした国際世論を無視して、ミャンマーとの関係を維持する国がありました。中国です。
ミャンマーにとって中国は、輸出額のおよそ3割を占める最大の貿易国で、多くの経済的恩恵も受けています。その見返りに中国が手に入れたのが、ミャンマーの中心を貫くパイプラインです。これまで中東からの資源は、アメリカが影響力を持つマラッカ海峡を通って運ばれていましたが、ミャンマーにパイプラインを通すことで、エネルギーの安定供給につながる、というのです。

今回の軍事クーデターについて、日本を含むG7の外相は「総選挙の結果は尊重されなければならない」「軍事クーデターを結束して非難する」との共同声明を発表。国連のグテーレス事務総長は「国軍に、可能な限りの圧力をかけていかねばならない」と強い言葉で非難しています。
日本にとっても、ミャンマーには436の企業が進出、およそ3500人の日本人が生活しています。与党NLDと国軍、双方にパイプを持つと言われる日本政府の、外交力が問われることになります。
