手作りフリップ|サンデーモーニング|TBSテレビ

「サンデーモーニング」毎週日曜日あさ8:00~9:54放送、出演:関口宏,橋谷能理子,岸井成格,張本勲,唐橋ユミ,水野真裕美,伊藤友里ほか

手作りフリップ(6月18日放送)

「元沖縄県知事 大田昌秀さん死去」

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「大田元知事と沖縄の歩み」を見ていきます。大田さんは沖縄県・久米島出身で、1945年、19歳のときに『鉄血勤王隊』として沖縄戦に動員されました。 九死に一生を得た大田さんですが、多くの仲間を失い、生きる気力さえなくなったといいます。そんな状況を救ったのが、日本国憲法だったそうです。

「戦争を永久に放棄する」などと書かれた憲法の写しを見て生きる意味を見つけたと語っています。その後、大田さんは1990年の県知事選挙で初当選。 95年には糸満市に戦没者の名前が刻まれた「平和の礎」を建設。そして同じ年、アメリカ軍の兵士3人による少女暴行事件が起き、県民の怒りがピークに達するなか、大田さんは反基地運動の先頭に立ちました。

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「(基地を)県外にも分散すべきだと言うが自分のところに引き取ろうとは誰も言わない。日米安保条約が重要だと言うが(基地を)引き取ったらどうですかと言ったらどなたも(基地を)引き取るとは言わない。何ですかこれは、どこまで沖縄の人は我慢すればいいんですか」(大田昌秀さん)

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大田さんは基地の削減を求め、当時の橋本総理と17回も会談を行うなど、信頼関係を築きました。96年には困難と思われていた普天間飛行場の返還で合意に至ります。しかし、この合意には、「県内移設」という条件がついていて、県外移設を求める革新勢力などから「橋本総理と近づきすぎだ」などの批判が出るなど、大田さんは政府との間で板挟みになりました。

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当時沖縄県知事公室参事だった山田さんによると、「大田さんは橋本総理に敬意を示していて、返還合意に反対すれば恩を仇で返すことになるのではないかと悩んでいた」といいます。

最終的に大田さんは普天間の県内移設に反対を表明。 しかし98年の知事選で条件付きの県内移設を容認した稲嶺氏に敗れました。 その後参院議員を1期つとめ、政界を引退。

「基地のない沖縄を」と訴え続けていた大田さん。しかし、その思いとは裏腹に今も全国の0,6%の面積の沖縄に、アメリカ軍専用施設の70.6%が集中しています。亡くなる半年前、大田さんは次のように語っていました。

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「沖縄の軍隊は抑止力になると馬鹿なことをいって、基地問題を解決しようとしないで強化しようとする。もし基地をつくったら次戦争が始まって真っ先に攻撃の的になってそこが戦場になる。基地だけは引き受けることができない」(大田昌秀さん)

23日は「慰霊の日」です。

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