世界陸上ドーハ

寺田的 世陸別視点 text by 寺田辰朗


室内で2m35の
日本新&今季室内世界最高を跳んだ戸邊
ダイヤモンドリーグなど豊富な“経験”でメダルに挑戦
2019年9月26日(木) 14:00
第7回
戸邊直人(JAL)が男子走高跳でメダル獲得に意欲を見せている。
世界陸上が始まったのが1983年。実現できれば世界陸上跳躍種目では初めての快挙となる。
歴史的に見ればメダルは難関だが、今季の成績を見れば金メダルも期待できる。戸邊は2月にドイツで行われた室内競技会で2m35の日本新をクリアした。これは室内今季世界最高で、屋外の今季世界最高も2m35と同じ記録である。
さらには、2月の室内競技会で4連勝。そのうちの3試合がワールド・インドアツアーの大会で、戸邊は日本人初の同ツアー総合優勝を果たした。
しかし屋外では2m28がシーズンベストにとどまっている。ダイヤモンドリーグではラバト大会で2位に入るなど勝負強さは見せているが、2月の室内シーズより調子が落ちているのは明らかだ。
2m35までステップアップした戸邊の技術は何なのか。そして屋外に入って問題が生じている部分はどこなのか。
日本新の裏にシングルアームと6歩助走
2月の室内競技4連勝は以下の通りだが、この戦績に戸邊のすごさが現れている。
2月2日 2m35・優勝 カールスルーエ(ドイツ)
2月9日 2m33・優勝 ビストリカ(スロバキア)
2月16日 2m29・優勝 バーミンガム(英国)
2月20日 2m34・優勝 デュッセルドルフ(ドイツ)
戸邊が2m35を跳ぶ前の日本記録は2m33。それ以上の記録を3試合で跳んで見せた。さらに付け加えれば、2m30台を跳んだ日本人は過去6人いるが、そのうち海外で2m30台を跳んだことがあるのは戸邊1人しかいない。
日本の走高跳史上最高の連戦を可能にしたのは、昨年との違いでいえば助走歩数と、踏み切り時のアームアクション(腕の使い方)だと戸邊は言う。
「大学3年の冬から6年間、ダブルアームで跳び続けて洗練できたと思うのですが、踏み切り2歩前で両腕を体の前で合わせる時に、腕の動きにつられて体が少し浮いてしまっていました。色々試してみたのですが、昨年8月のブリュッセルの試合で2m26(6位)だったときに、これはもうシングルアームに戻すしかない、と決断しました」
助走歩数は、アームアクション以上に頻繁に変更してきた。戸邊は補助助走(小刻みなステップ)をつけるため何歩も助走しているように見えるが、本助走は現在6歩と少ない。しかし過去には9歩、8歩、7歩でも2m30以上を跳んでいる。
「日本の競技場はだいたい9歩が取れるのですが、ヨーロッパを転戦すると9歩が取れない試合会場も多いのです。短い方がコントロールしやすいこともあって、そこから7歩にしたり6歩にしたりしてきました」
アームアクションと歩数も関係している。
本来はダブルアームの方が、踏み切りだけを見たときは正確な動作を行いやすい。まだ課題はあるというが、6歩にしたことで助走スピードのコントロールを行いやすくなり、シングルアームでも正確な踏み切りが可能になった。
戸邊は筑波大入学時から専任コーチをつけず、自身で強化方針を決め、その都度必要なアドバイスを周囲に求めてきた。大学院博士課程まで、走高跳を題材にした研究も行い続けた。「トレーニングや動作に対する理解を深めれば、長い期間で見て、競技者として到達する高さを高められる」と考えたからだ。
その結果、アームアクションや助走歩数の他にも、細部にわたって試行錯誤を繰り返してきた。その結果がドーハで、そして来年の東京五輪で実を結ぼうとしている。
体力的に落ちてしまった屋外シーズン
しかし戸邊の4月以降の屋外競技会は、室内に比べパフォーマンスが落ちている。屋外のシーズンベストは2m28で、室内で出した2m35とは7cm差がある。ダイヤモンドリーグは6月のローマ大会が2m15で11位、8月のバーミンガム大会は2m19で7位と、ワールド・インドアツアー・チャンピオンらしからぬ結果も残してしまった。
それでも6月のラバト大会で2m28の2位に食い込み、8月のチューリッヒ最終戦は2m27で5位と、なんとか室内王者の面目を保った。
大きな理由は2つあると戸邊は考えている。
1つは踏み切り位置を室内シーズン終了後に、30cm程度バーから遠くしたことで派生している技術的な問題。
もう1つは体力・筋力面の低下である。
踏み切り位置を遠くしたのは、2m40を目指すためだ。
ダブルアーム・アクションは上昇方向に両腕で勢いを付けるため、バーに近い位置で踏み切る。6年間のダブルアームで技術が洗練されるに従い、戸邊の踏み切り位置はバーに近くなった。
「シングルアームに変えたことで踏み切り前のスピードは上がったのですが、ダブルアームのときほど止まれない(垂直方向に変換しにくい)ので、もう少し踏み切りを遠くしたい。2m35のときも踏み切り位置が近かったので、それを変えようとしたのですが、連戦のなかでは大きく変えられませんでした」
言葉でいうほど、踏み切り位置を変えるのは簡単なことではない。助走中の視界も、踏み切った後の視界も著しく変わる。屋外シーズンが進んでも、そこへの対応がまだ上手くできていない。
体力・筋力的な問題の1つとして、助走スピードの低下がある。
「走高跳の助走は短距離と違って、地面を後ろに押す動作が強調されます。室内では助走で攻める体力・筋力があったのでスピードが出て、良い踏み切りにもっていくことができていたんです。屋外では踏み切りが室内と同じようにはできていません。スピードが落ちているからでもあり、良い踏み切りができないから助走スピードをコントロールしてしまっているところもある。その結果、踏み切り前の最後の3歩で重心を低く維持すべきところで浮いてしまっています。(踏み切り前に浮くという)同じ現象でも、ダブルアームのときとは別の要因です」
戸邊は体力的低下が生じることも、これまでの経験からある程度想定していた。年間プランで今年の7〜8月をトレーニング期間に充てていたのだ。
「冬期練習並みに体力面のトレーニングをして、室内のときのような攻める助走をできると思ったのですが…」
8月18日のダイヤモンドリーグ・バーミンガム大会で左足踵を痛めてしまった。2m19の7位と心配させたが、最終戦のチューリッヒ大会は2m27で5位と立て直した。
「チューリッヒから帰国後は攻める助走をやり始めて、そろそろ噛み合ってきています」
ワールド・インドアツアーの跳躍を再現する準備は、かなり進んでいる。
6人のライバルを想定
世界トップカテゴリーのワールド・インドアツアーとダイヤモンドリーグで活躍するだけに、戸邊はライバルたちの動向もかなり正確につかんでいる。
昨年のアジア大会金メダルの王宇(中国)は、室内こそ2m34で戸邊に食い下がっていたが、屋外では戸邊同様パフォーマンスが落ちている。5、6月には2m30台を跳んだが、その後故障があったという。
2m43の世界歴代2位を持つM・E・バルシム(カタール)は、昨年7月の試合で2m46の世界記録に挑戦した際に踏切脚の足首に大けがを負った。手術をして今年6月に復帰したが、復帰戦は2m27、7月の試合も2m27、8月のダイヤモンドリーグ最終戦チューリッヒは2m20と上昇の兆しがない。
戸邊も「チューリッヒで一緒に試合をしましたが、そこまで脅威を感じませんでした。2m40を跳んでいた頃の動きではありませんでしたね」と、優勝争いに加わるのは難しいと見ている(地元なので予想以上の力を発揮する可能性もあるが)。
ダイヤモンドリーグ最終戦に2m32で勝ったA・プロツェンコ(ウクライナ)、2m33を跳んでいるI・イバニュク(ANA=中立選手)とS・ソレッティ(イタリア)、9月に入って2m35の屋外今季世界最高をマークしたM・ネダセカウ(ベラルーシ)、13年世界陸上金メダリストのB・ボンダレンコ(ウクライナ)、そして昨年のダイヤモンドリーグ・チャンピオンのB・スターク(豪州)。
一時故障で低迷していたボンダレンコは、ダイヤモンドリーグ・ローマ大会とラバト大会で優勝。スタークは昨年ほどの強さはないが、バーミンガム大会に優勝するなどシーズン後半で調子を上げてきた。21歳のネダセカウはダイヤモンドリーグ大会優勝こそないが、「勝負強さが感じられる選手」だという。試技を2回連続失敗した後の3回目をパスして、1回しかチャンスがない次の高さを成功させることが多い。
だが戸邊も、そういった猛者たちの中に入って活躍している。世界陸上では上記選手たちに、自身も含めてのメダル争いを想定している。
「世界陸上では最低でもシーズンベストは出す予定です。予選通過記録は2m31か32になると思いますが、2m28〜29を1回目で跳んだ選手までは確実に拾われるでしょう。レベルが低くなったらその高さの2回目か、3回目の選手も通過します。シーズンベストで予選を通過して、決勝でもシーズンベストを更新し、状態が良ければ自己記録も狙います」
日本人走高跳選手にとってメダルは、挑戦するものである。世界陸上では過去、決勝に進んだ選手すらいないのだ。だが戸邊にとっては“いつものメンバーの中で勝敗"を競う大会になる。
ダイヤモンドリーグと世界陸上の違いを戸邊が話してくれたことがあった。
ダイヤモンドリーグでは「今日はオマエの日だったな」とか、「今日のオレは跳べないと思う」など、日常的な雰囲気の会話が交わされているという。それに対して世界陸上ではどの選手も、どんな状況でも勝負にこだわってくる。
そして勝負へのこだわりなら、今年の世界陸上のメダルを来年の東京五輪金メダルへつなげたい、と考えている戸邊は負けていない。
「今季の走高跳は僕も含めて予想がつかない状況です。そういう試合が面白いと僕は思っていて、かなりワクワクしています」
これが世界を転戦する戸邊のメンタリティーである。
いつも戦っているメンバーの中で、いつもと少し違ったテーストを加えてメダルを取る。それが戸邊の世界陸上だ。
寺田(てらだ) 辰朗(たつお) プロフィール】
陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

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