世界陸上ドーハ

寺田的 世陸別視点 text by 寺田辰朗


世界ユース金メダリストが
身につけたシニアの強さ
女子投てき日本人初入賞に挑む北口榛花
2019年9月23日(月) 20:00
第5回
女子やり投の北口榛花(日大)が覚醒した。
身長179cm。旭川東高3年時の2015年世界ユース(現U18世界陸上)で金メダルを獲得した選手で、翌16年に61m38とリオ五輪標準記録に迫った。17年、18年は記録を伸ばすことができなかったが、今年5月に64m36と日本記録を56cm更新。自己記録を3m近くも伸ばした。6月の日本選手権でも63m68で初優勝した。
助走を改良したことや、チェコに単身武者修行したことなど、北口の努力が実を結んだ。
女子投てき種目の世界陸上日本人過去最高順位は、11年テグ大会やり投の海老原有希(スズキ浜松AC。現コーチ)の9位。18日に発表された世界陸上の暫定エントリーリストでは、北口はシーズンベストで11番目。8番目の選手も同じ64m台なので入賞のチャンスは十分ある。
喜ぶ基準は“国際レベル”
64m36の日本新を出したとき、北口の喜び方は“国際レベル”が基準になっていた。
「やっと出てくれました。世界陸上の標準記録(61m50)も、東京五輪(64m00)も切ることができました。今まで標準記録を投げたことがなかったので良かったです」
日大に入学した16年はリオ五輪出場を目指したが、標準記録の62m00に62cm届かなかった。17年も61m07、18年にも60m48とシーズンベストは60mを超えていた。学生としてはまったく悪い記録ではないが、17年の世界陸上は標準記録(61m50)に届かず、18年のアジア大会は日本選手権で惨敗して代表入りできなかった。
「リオの選考からシニアの世界大会を目標に掲げてきたんですけど、故障もあり、精神的にやられることもありで思うようには行きませんでした。やっとここまで戻って来られてよかったなって思います」
今後の目標については次のように語った。
「65mオーバーを投げれば世界のメダルのテーブルに上がれると思うので、65mを超えることを目標にやっていきたいと思っています。試技の3回目までに62〜63m台を投げるのが世界で戦える選手です。次の試合では前半3投目までに記録を出すことを目標に、そして64m、65mとどんどん記録を上げていきたい」
投てき種目の予選は3回試技で行われる。リオ五輪の女子やり投は61m63、世界陸上ロンドンは62m29まで決勝に残った。決勝の人数は12人。3回目までの上位8人(ベストエイト)が、残り3回の試技を続けることができる。リオ五輪では62m28、世界陸上ロンドンでも同じ62m28までがベストエイトに駒を進めた。
風の影響も強く受けるので、記録は試合によって大きく変わってくる種目。シーズンベストでは北口より下でも、自己記録では北口を上回る選手も数人いる。本番でどう力を発揮できるかが重要になる。
やり投先進国、チェコ人のコーチに入門
7月のユニバーシアードで2位(60m15)となった後、北口は日本には帰国せず、チェコ人のコーチ(デイビット・シュケラック氏)のもとでトレーニングを積み、その足でドーハに入る。チェコには今年の2〜3月にも単身、武者修行に行っていた。
きっかけは昨年11月にフィンランドで行われたやり投の国際会議に、日本のやり投関係者と北口が出席したことだった。近くのテーブルに座っていた数人のコーチたちが北口のことに気づき、言葉を交わしたのが始まりだった。
北口は大学2年時から練習を見てくれるコーチがいない状態で、そのことが不安要素になり、試合に自信をもって臨めない一因になっていた。帰国してから正式に、シュケラック氏にコーチを依頼した。
「今しかないと思って、メールでしたが必死でアピールしました」
チェコは男女の現世界記録保持者を輩出している国で、やり投を始めた高校時代から憧れていた。関節の柔らかさを利用するなど、北口がやりたい技術を使う選手が多い国だった。シュケラック氏はチェコのジュニア世代のナショナルコーチ。自身のチームも運営していて、北口はそのチームに合流した。
「今まではクロス(助走の最後の局面。最終的な投げの構えに入るため左右の脚を交錯させるステップ)に入る前に、やりを肩の高さでまっすぐ引いていたんですけど、今は肩よりも下の位置から引くことで自然と体が横向きになります」
チェコのトレーニングだけが良かったわけではなく、北口自身がそれまで課題としていたことが、チェコのトレーニングにつながった。例えば上半身の強さに比べ下半身の動きが緩慢で、力強さもないことが弱点だと自他共に認識していた。技術を丁寧に行える利点もあるが、助走スピードの遅さは大きな改善点だった。
昨シーズン終了後は日大混成ブロックのサーキットトレーニングを、北口も一緒に行った。大学2・3年時も男子の先輩投てき選手たちが、トレーニングパートナーとなったりアドバイスを行ったりしていた。繰り返すが2・3年時も、60m以上投げて全国大会でも優勝していたのである。
だがチェコのトレーニングが、北口がやりたかったトレーニングと重なる部分が多かったことで(ここは合わない、と判断したところはスルーしたという)、自信を持ってシーズンに入ることができた。
「初戦は怖くてできませんでしたが、その後の練習で怖さを克服して助走スピードを上げられました。やりを保持して走る歩数も、6歩から8歩に増やしました」
他の選手たちと比べたら、まだ助走スピードは遅い。しかし北口の元々の特徴の、関節の柔らかさを生かした大きな腕の振りや、体の使い方を生かすことが前提なのだ。その特徴を維持しながら助走スピードを上げられれば、北口のやりはまだまだ飛んでいく。
高校時代の恩師が語る北口
8月にある指導者を取材する機会に恵まれた。旭川東高時代の北口をコーチした松橋昌巳氏(現北翔大コーチ)である。高校1年時までは水泳と陸上の2競技の試合に出ていたことや、やり投を始めた当初のことなど、高校時代の貴重な話を多数聞かせていただいた。
コーチ不在となったことで大学2年時のユニバーシアード台北大会前は、松橋氏が技術面もアドバイスし、現地にも帯同した。大学2、3年時に北口は低迷した(と本人は考えた)が、その間も松橋氏に何度も相談している。そのなかで松橋氏は「誰かに頼らないで、自分でやらないといけないことを北口自身も決めていた」と感じていた。
「誰かに頼るパターンは卒業をしようと、ユニバーの時にも話はしているんですよ。本人もそう言っていました。ないものはいくら望んでしょうがいないわけで、今ある状況で、できることをきっちりやろうという考え方です。ただ、わかってはいたと思うんですけど、そう簡単にはいかない。まして女の子ですから。それでも2年、3年と辛い思いをしたことで覚悟が決まってきたのでしょう。その過程でチェコのコーチと接点ができ、精神的には自立した状態で、技術やトレーニングなどを頼りにする形で行ったのだと思います」
一昨年、昨年と取材中の北口から、弱音に近い内容を聞くことも何度かあった。その状況で1人でも頑張る気持ちを固められたから、チェコに単身で乗り込んでいくことができた。もともと海外が好きで、英語でコミュニケーションをとることに抵抗がなかったこともプラスに働いた。
松橋氏の話してくれた高校時代の北口は、助走は今以上に課題だらけだった。
「私はやり投は、跳躍だと思っているんです。あれだけ走って最後にブロックする。しかし跳躍的な才能は、北口にはありませんでした。小学校でバドミントンもやっていましたが、ずっと水泳をやっていたからか下半身が細い。短距離選手のように走ったり、ハードルを跳んだり、低いハードルでジャンプしたり、陸上の基本的な練習はやっていたのですが」
だが、勝負強さは抜群だった。ジュニアや高校生の大会ではあるが、今以上にここ一番に強かった。
高校2年時のインターハイは、「全国大会でクロスだけで投げたら格好悪い」と、走ってからクロスを行っていた。大半の選手にとっては普通の助走である。
だが5回目に逆転された北口は、「クロスだけで投げさせてください」と松橋氏に申し出たという。その直後の投てきで6cm逆転して優勝を果たした。
「それを自分で判断できる高校生は、なかなかいないと思うんです。北口はこういう記録を狙いたい、ということを100%やりました。例えば高校2年生の春に53m台をいきなり投げたんですけど、日本選手権の標準記録だったんです。私はまったく知らなかったのに、本人はちゃんと調べているんですよ。高3のときは春先の試合で砲丸投の日本選手権の標準記録を狙って出しています。高校記録もそう。10月の日本ジュニアが高校最後の全国大会でしたが、その最終投てきで投げてみせました。ちょっと人間業ではないと思っていました」
チェコでトレーニングを積みながら北口は、ヨーロッパで5試合に出場している。記録は56m04、60m25、61m94、60m64、60m47だ。練習の一環で、初めての試合会場で投げるなかで、最終試技での60m台が3試合ある。前半3回で好記録を残すことはできていないが、最後にしっかりとその日の一番良い投てきをしているのだ。
ドーハの北口が高校時代より数段進歩した助走で、高校時代の勝負強さを発揮する準備は整っていると見ていい。
寺田(てらだ) 辰朗(たつお) プロフィール】
陸上競技専門のフリーライター。
陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。
専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の詳しい情報を紹介することをライフワークとする。
一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことは当代随一。
地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。
選手、指導者たちからの信頼も厚い。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。

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